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エピローグ
その裏。
一つの国が、完全に滅んだ。
かつて美しくあったはずの国の城は、邪神の手によって血に濡れてしまった。
きっかけはある王太子が、婚約者の妹が証言したという偽物の証言を鵜呑みにし、そして婚約者を追放してしまったことからだった。
その妹は前々から邪神と手を組み、国を守っていた石碑を破壊し、国を売った。全てはいつの間にか惚れてしまった【深淵】を今度こそ奪うために。
邪神もそれを知っているにも関わらずそれを容認し、この人間の国を魔族の国へ作り変えていった。全ては【深淵】を完全に取り込み、元の神聖な神へ返り咲くために。
しかし、その直後。
彼らの野望は叶うことなく、呆気なく終わることとなった。
血に濡れた城は炎に包まれ、繁盛していた街全ても瓦礫の山と化し、同じように燃えていた。その地獄絵図のような最中を、奴隷となって生き残った人々が逃げていた。国を奪った魔族はその人々を追いつつ、原因を探っていた。
そんな惨状の中、城の最奥に位置するそこに目を疑うような光景があった。
炎が溢れる、拝礼堂のような一室。その床には古代の魔導言語によって描かれた魔法陣。
礼拝堂内に飛び散り流れる多量の血と、二人の原型を留めていない死体が転がっている。その中で、凍えて震えているようにしている令嬢――カーラ・アルミダが生き残っていた。まるで裏切り者に相応しいと言わんばかりに。
「あ、あなた……誰なんですか……?」
カーラがそう問う。
目の前に召喚された、ソレに向けて。
そしてその魔法陣の中心には、黒い、黒い、黒い悪魔がいた。
見上げることになるだろう長身。その上で均整が取れた体格は、まるで『人体』というものの黄金率だ。
宵闇を溶かし、全ての闇を凝縮したような、腰まである鴉の濡れ羽色をした長い黒髪。自殺衝動すら覚える麗貌には、造形上なんの欠点も見つけられない。
切れ長で、涼やかで、そして地獄の底めいた――黒の中で燃えるように輝く深紅の瞳。その瞳孔は、翠と碧のコントラストのように煌めいている。
悪魔として象徴するであろう二対四本の角は、意外にも小さめな造形をしている。陽炎のように揺れつつも実体として存在している尻尾は鞭のように長い。
種族上、絶対にありえない形をした六対十二枚の黒翼は、色を除いて聖書に描かれたある堕天使をそっくりそのまま写したよう。
黒ずくめの服は黒一択というわけではなく、金色の刺繍が映えるように施された、貴族の男性が着る正装だった。
目を細めてたソレは、薄く色付いた形の良い唇がふんわり、絵も言われぬ弧を描いていた。
――一見すると、ところどころ【深淵】によく似た容姿をしているが、よくよく見れば明らか違うところがあった。
「全く、人間という生き物もそれらを創造した神々も、とても愚かで、とても愛おしい」
独言。
人間の令嬢の問いに答えず、まるでその存在を無視したようにソレは言う。
――生まれた時から神を超越していた悪魔は、背に生やしているその翼全てをゆっくり広げる。
黒い翼の羽根一つ一つ、その繊維までに数えきれぬほどの『創造神』に相当する魔力が宿っている。そう思わせるほどの異様さを放っていた。
全て広げ切ると、まるで世界全てに宣言するように悪魔――〝シエル〟は言った。
「さあ、全ての存在たちよ。始めようか、楽しい楽しい宴を」
瞬間。
「――アルシエルさま……」
燃え盛る小さき国は、消滅した。
◆
疾走。
血まみれのその者は、ひたすら疾走する。
その速度は人間では耐えられぬほどの音速に値している。ぶつかれば間違いなく木っ端微塵となるだろう。
しかし、その者は涙を浮かべ、噛み締めながら逃げていた。
そんな速度では、アレから逃げ切れるとは一ミリも思っていない。これはただの延命措置でしかなかった。
「くそッ、クソクソクソクソッ‼︎」
アレはやばい。
思想的とか見た目とか、ではない。本能的にやばい。
あの大国を支配して【深淵】を追うために――自身の生贄となる『悪魔』を召喚させたのに。
「なんで、なんで」
召喚で現れた、全てが黒いソレ。
それは、邪神に堕ち、悪魔を創った祖……サリターンが一番会いたくない悪魔だった。
「なんであのバケモノが呼び出されるんだよ⁉︎ あんの気まぐれバケモンがッ‼︎」
その事実に、邪神は思わず金色の目から涙を流す。
ソレが――シエルが召喚によって完全顕現したと同時に、一瞬にして国の、王族となった一家が殺されてしまった。
何かをする素振りは一切無かった。それどころかソレは目を閉ざしたままだった。
いや、薄く目を開け。ただ、笑みを浮かべたのだ。
それだけで、国にいた存在全てが燃え出し、召喚のために礼拝堂にいた人間は原型を留めないほど、ぐちゃぐちゃの肉の塊にされた。
邪神は自身の力でかろうじて生きながらえたが、そうでなくても深刻なダメージを負った。【深淵】の魔法とは比べ物にならないほどのダメージだった。
その際、彼に忌まわしい記憶が蘇ったのだ。
接触した時、配下の悪魔を皆殺しにされ、自身も致命傷を負わされたトラウマというべき記憶を。
それに耐えかねて、そのまま協力者である女を置いて逃げたのだ。
仮初の陛下と王妃になったアルミダ夫妻も、見るも無惨な姿になってしまった。
まるで、概念を捻じ曲げたように。
それは恐ろしいことだ。
あのクソガキのように『根源』を持っていないというのに……シエルはまるで《概念操作》を用いたように、全員を皆殺しにしたのだから――
「こんばんは、臆病なサリターン。そろそろ鬼ごっこにも飽きたのだがね」
耳元で、囁くように。あの部屋にいたはずの悪魔の言葉が聞こえた。
穏やかだが、その奥が氷のように冷たい声音。
その声が聞こえた途端に感じる、絶対零度並みの悪寒。
視界が回転して、シエルの美形な顔が見えた。
逃げなければ。肉体の限界を超えさせてでも、なんとしても。
しかし、その体がもう動くことはなかった。
「………………え……ぁ?」
もうすでに頭と胴体が切り離されていたから。
ゴロンと頭は転がり、頭を無くした白い体は人形のように倒れた。
しかし。堕天した後に、自分で不死者の呪いをかけた邪神だ。首を切断された程度では死なない。
それを理解しているのか、シエルは動揺することなくその首だけになった頭を掴んだ。
「さて、あえて呪いを打ち消さずに生かしているんだ。こちらの問いに答えてくれんか」
サリターンの、ジタバタ動く体を足で押さえつけて、シエルは言った。
「吐かなければ、本当の死を与えるだけだ」
その際、首は恐怖に顔を歪ませた。
一夜にして、廃墟と化した魔王城。
苦痛の悲鳴と絶叫が轟き。
邪悪な気配が、唐突に消えた。
その瞬間、“邪神サリターン”という存在はこの世から消え去った。
それだけは、確実に言えることだ。
そして、この世界に召喚された〝シエル〟がどこへ向かったのかは、誰も知らない。
【完】
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