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それから私はこの娘――クロアと一緒に離れで過ごした。
一応、本来の種族と名前は言っておいた。だが『真名』を言うのもなんなんで、文字って“シエル”と名乗った。
そうして帰ってきたのは『しーちゃん』という、いかにも女の子っぽいあだ名で呼ばれてしまった。お返しで、クロアを『クロちゃん』と呼ぶことにしたのでこれで“おあいこ”である。
……と言っても、親の面子というもののせいでクロアは本邸へ戻って、未来の王妃になるべく勉強しなければならないが、合間合間を縫って会いにきてくれた。出会った時点で王太子と婚約していたのは不快だったが。
話す内容は他愛のないことだ。私が蓄えた知識とか、場合によっては言葉遊び程度の魔法を教えたり、クロアがその日何が楽しかったのかなど。いろんなことを話した。一応お茶会とやらに出席できているようなので話の種には困らないのが幸いしていた。
会うその日までなるべく、極力、騒ぎ立てず、だが部屋の中を綺麗にしていった。綺麗になった部屋を見たクロアが嬉しそうにしてくれたので、以来、整理整頓も掃除もきちんとし続けた。食事も無限に作れるので、本邸で食べれなかった日はここで食べるようにしている。
あの時、どうして離れにいたのか。理由なんてあっても聞こうとは思わなかった。何があったのかなんて、昨日までなかった傷を隠すような態度を見れば一発でわかる。
十分な食事を与えられていないことも。
多少良くなったといえども……妹やらと比べれば、未だボロい衣服を見ても。
本音を言えばいろいろ聞きたかった。だが、それでも聞こうとはしなかった。無理に聞くのは、傷口に塩を塗り込むような行為だろうと思った。
だから、彼女が自分から言い出すまで待ったのだ。
そうして過ごして、一年ほど経った頃……
彼女からぎこちなく、私と初めて会ったあの日から何が起こったのかを話してくれた。
あの日――私がこの世界へ唐突に来た日が、彼女の唯一の味方だった祖父が亡くなって、葬儀を終えた日だったそうだ。
しかも二つ年下の妹の、ありもしない言い分を無条件で信じた両親によって、今までにないほどの暴力を振るわれて離れに押し込められた、と言う。
祖父が生きていた頃は、蔑む言葉しか言わなかったのに、そんな暴力なんて振るわなかったのに、だ。
以降の日々は真っ当な食事を与えられず、両親と妹から、暴言とも言うべき言葉と暴力の嵐だと言う。
それを聞いて、私は――
「……何をやっているんだ、その人間どもは」
八つ裂きにしてやろうか?
――そう言いながら、ひどく憤慨した。生まれて初めて、怒りでどうにかなりそうだった。
その感情の変化に、【原点】の魔力も反応して荒れ狂い。その余波で、離れの部屋にヒビを入れてしまった。そのせいでクロアを怯えさせてしまったのが一番の反省点だ。
派手な音が鳴ってしまったが、元から防音の魔法をかけていたので外には聞こえなかったのは良かった。
「うぅ……ひっぐ、うぇ~ん……」
「すまない……怖かったな。よしよし」
グスグス泣いているクロアを抱っこして慰めながら、ヒビが入った離れを直していく。
そうしながら、こうなった要因を考える。
憤慨した時、理由なんてなかった。理由のない怒りが込み上げたのは自分でも驚いた。
今の今まで、怒ることはあったものの、ここまでひどくはなかったはず。今でも、先ほどのことを考えるだけでまた怒りが溢れそうだ。
この感情は一体何なのか。どうして怒ったのか。どうしてここまで怒りが湧いてくるのか。
……どうして、こんなにも……
「んぅ~……しーちゃん」
「なんだ? クロちゃん」
互いにあだ名で呼び合って、すぐ。
「あたしのために怒ってくれて……ありがと……」
クロアが突然、そんなことを言った。
「……は、」
言葉が見事に詰まった。
そんな私にお構いなく、クロアは幼いながらも続けた。
「あたしが生まれてからずっと、おじいちゃんと使用人さんたちがあたしを育ててくれて……父様と母様はその頃からずっとあたしをのけ者扱いしてたの……よく分かんないけど、不幸をお前が呼んだんだって叫んでて……カーラが生まれてからひどくなってて……おじいちゃんがセキニンテンカするなって、そんな態度を改めろって言ってずっと叱ってくれてたんだ……そんなおじいちゃんが、唯一の味方で、あたし大好きだったんだ……
でもそんなおじいちゃんが事故で死んじゃって……いままでガマンしてきた分をはらすように叩いてきて……カーラも、父様と母様のマネをするように叩いてきて……やったことないことをやったことにされて、ここに閉じ込められたの……おじいちゃんと一緒にいた使用人さんたちも、叱ってくれたんだけど……その場でクビにされて、いなくなっちゃった……
誰も、あたしの味方はいなくなったんだって、思ったの……」
「……」
「でも、ここでしーちゃんに会えた……おじいちゃんのように、あたしのために怒ってくれる優しいヒトに会えたの……あたしの、大切なヒトに会えたって思えたの……だから、ありがと、なの……他人のためにやってくれたヒトにはお礼を言うようにって、教わったから……だから」
「もういい……十分伝わったよ」
息も絶え絶えになっててきたクロアを止めて、優しく抱き寄せて、優しく艶やかな黒髪を撫でた。息が整ったら、またグスグスに泣き出してしまった。
全部喋った分、感情が後追いで来てしまったんだろう。落ち着くまで、またさすればいい。
「……」
この子供は、あまりにも賢くて達観している。そう思った。
一体どれだけの暴力と蔑みを受ければ、これだけ賢くなるのだろうか。これだけ達観するようになるのか。信じられなかった。
クロアと同じぐらいの子供を何回か見たことがあったのだが……貴族や平民を問わず、それなりに感情豊かで、分からないことがあれば親に聞くような、そんな子供ばかりだった。
逆にクロアのような虐待児も見たこともあったのだが、クロアほどに賢くて達観している子はいなかった。
ここは私の故郷ではないのに。そうでないはずなのに。
どうして、この子は、
――こんなに苦しい目に遭っている?
そんな考えがよぎった。
「……」
そこまで考えて、笑いそうになった。
本当に悪魔らしくない。元々そういう種族なのに、こういう場合はゲラゲラと蔑むように笑えばいいものを。
まるで人間のように考えてしまう。大事にしなければと、真っ先に考えてしまっている。
でも、どれだけ悪魔的に考えても、人間的に考えても、相変わらず嫌悪感や憎悪なんてものはなかった。
むしろ人間的な思考に対して満足しているような、安心しているような、そんな正の感情が溢れていた。
どうやら長く封印されていたせいで、本当におかしくなってしまったらしい。
だが。
「悪くないな」
こんな感情を抱くのも。
そう思いながら、泣き疲れて寝てしまったクロアを優しく抱いていた。
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