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さて、晴崎幸雄改め、雨宮しずく。晴崎あかりの持ち前の優しさ、そしてポジティブさのおかげで、なんとか良好なファーストコンタクトになったのはいいのだが。
『……これからどうしよう』
それ以外は、何も良くなかった。
何故なら雨宮しずくには、何の力も後ろ盾もない。少なくとも、この外見年齢の子供が生きていくのに必要なものは、何一つ持ち得ていない。正直、あまりにも絶望的な状況である。
「そうだ、さっき下に降りたとき、飲み物取りに行ってたんだ。遠慮せず飲んでね」
「あ、ありがとう……」
そんなことを知る由もないあかりは、変わらず笑顔で接してくれる。隠し事への後ろめたさはあれど、確実にこれで救われる心もある。
よく冷えたサイダーで喉を潤せば、少しは気分も落ち着いてきた。もちろん、依然絶望的なことには変わりないが。
「えっと……しずくちゃん、体調はもう大丈夫?」
「あ……うん。体の方は、平気。ちょっとだるい感じはあるけど……どこも痛くないし」
「そっか。それならよかったよ。……でも、もしあとからでも調子が悪くなったら、わたしに言ってね」
あかりの表情や声色から、本気で身を案じてくれていることが伝わってくる。
ついさっきまで気絶していた人間に対して心配をするのは、良識ある者であれば当然のことではあるのだが、それに加えて今回は事情がやや特殊。ルシフェリオと名乗る、闇の力を操る青年……彼が関わっていることはほぼ間違いなく、単なる体調不良とは言い難いからだ。
「……ねぇ、あかり。わたし、どうして気を失ってたのか……あまり覚えていなくて」
これは半分は嘘で、半分は本当。ルシフェリオが、闇の力で何かをした……程度の、曖昧なことならば覚えている。だが、前提知識が少なすぎて、あれが結局なんだったのかはわからない。
そして、何故晴崎幸雄だった自分が、雨宮しずくになってしまったのかも。
「あ、えっと……わたしもよくわかんないんだよねー……気を失ってるしずくちゃんを見つけて、運んできただけだからサー……」
「…………そっか」
あかりのこれは、嘘だとわかる。歯切れが悪いし、何より先ほどまでは目を合わせて喋ってくれていたのに、今はどこか宙を見ている。
あえてこちらも気づいていないフリをする。何故なら、あの真っ直ぐな性格のあかりが嘘を吐くということは、よっぽどの事情があるに違いないからだ。
あかりは変身して、あのルシフェリオの操る怪物と戦っていた。つまり、今回の件にも何かしら関わっていて、しずくが気を失った原因についても何か心当たりがあるはず。ここから考えられる答えは……。
ルシフェリオ、またはあのヨクボーイとかいう怪物のことは、伏せておきたいのだろう。
理由ならば想像はつく。きっと、戦いに無用に巻き込まないようにするためだ。あかりの判断は、きっと正しい。何故なら、自分でも同じようにしただろうから。
「そ、そんなことより! もし体調に問題なさそうだったらさ、家まで送るよ! 休むにしても、慣れ親しんだおうちのほうがゆっくりできると思うし、ねっ?」
「おうち……?」
「そうそう! しずくちゃん、どの辺に住んでるの?」
露骨に話題を逸らされたが、それが最悪な方に逸れてきてしまった。
何故なら、家はココだから。しかしそれは、あくまでも幸雄の家であって、しずくの家ではない。そして、あかりが聞いているのは、しずくの家であることに疑いようもない。
だが、しずくの方の家は、答えようがない。何故なら雨宮しずくとしての人生は、ついさっき始まったばかりなのだから。
「えっと……わたしの、おうち、は……」
なんと言って誤魔化すか、なんと言ってこの場を切り抜けるか。しずくの頭はそれだけでいっぱいになっていた。
単なるその場しのぎなら、適当な住所をでっち上げ、あかりの送迎も悪いからと理由をつけて断るだけでいい。だがその次は? 今の雨宮しずくには何もない。帰るべき家も、守ってくれる保護者も、生活する上で絶対に必要になるお金も、その全てが。
「うっ……⁉︎ ごめん、なさい……っ」
「しずくちゃん⁉︎」
考えれば考えるほど、詰みの状況。
さらに追い打ちをかけるように、しずくは突然激しい頭痛に襲われた。家のこと、これからの生活のこと……それらを考えようとすると、頭に濃い霧がかかったように思考が遮られ、鈍痛のような痛みが頭蓋骨の内側で響く。
「大丈夫⁉︎ 無理しないで、ベッドに横になって!」
あかりはそっとしずくの肩を抱き、優しくベッドに寝かせてくれた。そのおかげかはわからないが、不思議と痛みが和らいだような気がする。
「ごめん……心配かけて。おうちとか、家族のこと……考えようとすると、どうしてか、頭が……」
「ううん、こっちこそごめんね。言いたくないことは、無理に言わなくてもいいからね」
ただ優しくされることしかできない。雨宮しずくとしての自分は、こんなにも無力なのか……と、情けなさすら覚える。
悔しくて瞳の奥から涙が滲んでくるほどだ。成人してからはそうそう泣くまいと思っていたが、どうも思考や感情の方は肉体の年齢に引っ張られているらしい。
「とにかく、ゆっくりもう一眠りするといいよ。そしたら、少しはよくなるかもしれないし」
あかりは微笑みながら、そっとしずくに布団を掛ける。正直言って、ついさっき意識を取り戻したばかりであまり眠くはなかったが、何かをする気になれないのも事実。
ここはお言葉に甘えさせてもらうことにする。
「わたしがいたんじゃゆっくりできないと思うから、ちょっとコンビニまでひとっ走りしてくるよ! なにか甘いもの買ってくるから、お楽しみに〜!」
最後まで笑顔を絶やすことなく、ひらひらとこちらに手を振ってからあかりは部屋を後にした。
明るく元気な声が消えると、この部屋もずいぶんと物悲しく感じてしまうものだ。とはいえ寝るのなら、これくらいの静寂がちょうど良い。
頭痛は少しおさまってきたが、せっかくあかりが気を遣ってくれたのだ。ひとりで静かに心を落ち着かせるために目を瞑る。結果として、そのまま眠ってしまっても構わない。
可能な限り無心でいることに努め、そうしていたらいつの間にか、意識はゆっくりとまどろみに落ちていたのだった。
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