吉村彩奈side

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 どういうことかというと、私は吉村さんの経験や気持ちを、吉村さんの身体を通して感じるようになっていた。  気付けば当たり前のように吉村さんの家(当然どこにあるか知らなかった)に帰宅し、見ず知らずの両親の名前を呼んでいた。  その変化はいつから起こっていたのか分からない。もしかしたらもう、ずっと前から始まっていたのかもしれない。とにかく、あと一回を繰り返すうち、私と吉村さんの境界は日増しに曖昧になっていった。  そして知ってしまった。  本物の吉村さんも、藤之江くんに好意を寄せていたという事実を。  よく考えてみれば当然だ。私が本当の自分、つまり伊藤都子の身体に入っている間も、吉村さんは藤之江くんと交際を続けていたのだから。  そんなこと、吉村さんも藤之江くんとの交際を望んでいなければあり得ないことだ。つまり私は、自分の手で恋敵の恋を成就させてしまっていた。  だけどそれはしょうがない。だって、あんなにキラキラした吉村さんが元々藤之江くんを好きだったのなら、どうせ遅かれ早かれ二人は結ばれていたはずだ。どう見たって私より吉村さんの方が、藤之江くんと釣り合っている。  だからしょうがない。むしろ、吉村さんの身体を借りて藤之江くんと恋人ごっこさせてもらえただけありがたく思うべきだ。そう、しょうがないのだ。しょうがない、しょうがない……  ……嫌。やっぱりそんなの、嫌だ。  藤之江くんに告白されたのは私だ。藤之江くんは私が中にいる時に、吉村さんに告白した。それはつまり、私の内面を好きになったということだ。吉村さんじゃなく、を好きになったということだ。藤之江くんと付き合う権利があるのは私だ!  とは言ったところで、藤之江くんは自分が吉村さんを好きになったと思い込んでいる。藤之江くんが好きになったのは本当は私なのに、それを証明する手段がない。  どうしよう。いっそのこと、直接言葉にして伝えてみようか。「私は本当は伊藤都子なの」と。  いや、だめだ。そんなことをしては、信じてもらえたとしても私が藤之江くんを騙していたこともバレてしまう。嫌われてしまっては本末転倒だ。  それに気になるのは吉村さんの心の行方だ。  仮にもし本当に、私が吉村さんの中にいる間に彼女は私の身体の中にいるのだとしたら、今まで私がしてきたことを彼女は全て見て知っていることになる。  吉村さんが余計なことをする可能性は? 考えれば考えるほど、今の状況は私に不利だと気付く。  詰まるところ吉村さんが居ては、いつまで経っても藤之江くんは本当に私の物にはならないのだ。吉村彩奈が、邪魔だ。  私はすぐに決意をした。  今、私は吉村彩奈として帰宅の途についている。大きな橋の真ん中。藤之江くんとはさっきの分かれ道で別れたから、一人だ。  私はおもむろに橋の欄干から下を覗き込んだ。橋の下を流れる川は幅が広いわりに水深は浅そうに見え、橋はその川からおそらく十メートル近くの高さにある。  私は一息に橋の欄干を乗り越え、一切の躊躇なく下に飛び降りた。地面という支えを失くした私の身体は宙に投げ出される。  これで邪魔者は居なくなる。藤之江くんを私の物にできる。  さようなら、吉村彩奈。  身体はぐんぐんと加速し、水面と、その奥のゴツゴツした岩肌が眼前に迫ってくる。  刹那、景色がスローモーションになり、頭の中をたくさんの映像が駆け巡った。いわゆる走馬灯というやつだ。あ、走馬灯だ、と思える程度には余裕があった。その走馬灯の一つ一つを見るまでは。  それらは全て、吉村彩奈としての走馬灯だった。友達の顔も家族の顔も、全て。今こうして落下している私の身体に入っているのは、伊藤都子の心であるはずなのに。私の心は、私が吉村彩奈なのだと告げている。  そうか、そうだったんだ。  私が過ちに気付くと同時に、身体が押し潰されるような衝撃が走り抜け、視界がブラックアウトした。
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