ロマンシングライフ

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17. はじめて 「……おにーさん。今日は……挿れて」  いつか勇気が出せる自分になれるって思ってた。だから今はまだその時を待っていようって。だけど今のオレは今までのオレと何ひとつ変わってなんかいなくって、相変わらずチキンで憶病なままだ。指も膝も笑っちゃうくらい震えてるし、心臓だってさっきからめちゃくちゃな速さで鳴りっぱなしだし。 「え……」  おにーさんはそっとオレから身体を少し離した。どう見たって覚悟が決まったとは思えない今のオレに、おにーさんも動揺した目を向けてる。 「おにーさんのおっきいし、いきなりうまくは入んないと思うけど……でも、もう大丈夫だから。オレ、おにーさんの、欲しい」 「絢斗……」  明日こそ、今度こそ、次会う時こそ。今まで何度そう思ってきたのかな。それじゃダメだって、いつ会えなくなるかなんて分かんないって、痛いほど知ってるはずなのに。きっとこのままただ待ってても、その時は一生来ないんだと思う。  勇気が出せなくてももうオレは子供じゃないんだから、おにーさんが手を差し伸べてくれるのをただ待ってたって何も変わらない。  思ってるだけじゃダメだ。考えてたって伝わらない。  ちゃんと示さなきゃ。行動で。態度で。 「オレ、そんな簡単に壊れたりしないから。大丈夫だよ」  おにーさんの首に回したままの両腕に少しだけ力を込めて、おにーさんの目を真っ直ぐに見る。オレの気持ちを確かめるみたいに、おにーさんもじっとオレの目を見つめてた。 「……本当に、いいのか? 怖いだろ?」 「怖くないよ。おにーさんなら」  またおにーさんにぎゅっとしがみつく。身体の震えが少しだけ落ち着いて、小さなため息がこぼれた。 「オレのこと、おにーさんに全部あげる。だから……オレのこと、おにーさんだけのものにして」  一年前のあの時も思ってた。おにーさんにオレを全部あげるつもりでおにーさんの部屋に行った、あの夜。  あの時のオレと今のオレ、何が違うんだろう。何が変わったんだろう。  きっとほとんど何も変わってなんかいないんだろうけど、おにーさんを好きって気持ちは確実に今の方が大きく強くなってる。それだけははっきりと分かる。  全然怖くないって言ったら嘘になるけど、きっとあの時よりは怖くない。おにーさんなら。おにーさんだから。  何回やってもまだ慣れそうもない大人のキス。今でもどうしたらいいのかよく分かんなくて、結局いつもおにーさんに任せっきりだ。 「は……っ、……ふ、う」 「……んん……」  薄暗い中に遠くから聞こえてくる波の音と雨音だけが静かに響いてて、その隙間を埋めるみたいにおにーさんの荒い息遣いがすぐそばで聴こえる。それがもっと聴きたくて、よく聴こえるようにオレは声を必死に抑えてた。  いつもはオレがビックリしないようにすごくゆっくり時間かけて舐めてくれるのに、今日のおにーさんはちょっと余裕ないのが分かる。時々、不意に噛みつくみたいな勢いでオレの奥まで入ってこようとする。前だったら怖かったかもしれないけど、今はなんか嬉しい。おにーさんがオレのこと欲しがってくれてる気持ちが、すごく伝わってくるから。  襟元からおにーさんの手がするりと入ってきて、まだ少し雨で濡れてる肌の上を滑るその指はすごく熱かった。 「……っ」  堪えきれずに漏れた声は声にならなくて、湿った空気の中に溶けていく。もう片方のおにーさんの手が肩に伸びてきて、すごくじれったそうな手つきで浴衣の袖を引っ張ってる。脱がせようとしてんのかな?  唇をそっと離すと、もぞもぞ腕を動かしておにーさんが浴衣を脱がせるのを手伝う。濡れてるせいかなかなかうまく脱げない。どこで引っ掛かってるのか確認しようにも暗くて手元がよく見えないから、手の感覚だけで何とかするしかない。二人とも無言でただもぞもぞ動いてるだけで、なんかめちゃくちゃ気まずい。 (ごめん、おにーさん……)  きっとオレよりおにーさんの方が気まずいよなあ、なんて思ってると、やっと帯から上の浴衣がするりと滑り落ちた。肌が外の空気に触れる感触に、背筋がぞくりと震えるのが分かる。今の、おにーさんにも分かっちゃったかな。薄暗いのにおにーさんの視線を痛いくらい感じる。どんな顔してたらいいのか分かんなくて下を向くと、おにーさんの手が帯の結び目に触った。 「あっ、帯……解いちゃダメ。結び方分かんないから、結び直せなくなっちゃう」 「あ、そ、そうだよな。ごめん」  ぱっと手が離れて、おにーさんはオレから少し距離をとった。ああもう、だから浴衣なんてやだって言ったのに。微妙に気まずい空気が流れて、おにーさんの顔まともに見られそうもない。 「ちょっと、やりにくいかもしんないけど……このままで我慢して」 「……う、うん」  何故かおにーさんの声は上擦ってる。ちらりと視線だけを上げると、おにーさんは困ったような表情でオレをガン見してた。 「なに、おにーさん」 「いや、その……こっちの方が、妙に色っぽいって言うか……なんか、すごくいけないことしてるみたいだなって」 「……もう、おにーさんのえっち」  まだ上半身だけしか脱いでないのに、なんかいつもよりすごく恥ずかしい。おにーさんの部屋に泊まる時はいつもTシャツとパンツだけで、あの格好だって普通に恥ずかしいんだけど、今のこれはちょっと違う種類の恥ずかしさだ。  おにーさんも言ってから恥ずかしくなったのか、急に目がそわそわ泳ぎ出してるし。 「ご、ごめん。でも、今日の絢斗……本当に、綺麗だよ」 「なっ、なにそれ? 男に綺麗とか、褒め言葉になんないし」 「褒めてるよ。絢斗、すごく綺麗」  なんでいきなり真顔でそういうこと言うかなあ。嬉しいけど、どう返すのが正解なのか全然分かんない。 「……ばか」  だからそう言うしかなかった。  綺麗、なんて、男のオレは言われたって嬉しくないはずなのに、おにーさんに言われると嬉しい。そう言えばおにーさんは一年前のあの時も、オレのこと綺麗だよって言ってくれたっけ。 『絢斗は綺麗だよ。俺は嘘なんか言ってない』  なんだか不思議な気分。おにーさんはどんな気持ちで、オレに綺麗って言ってくれるんだろう。  今まで会った人はみんなオレの見た目を不思議がってた。時には気味悪がって近寄るなって言われることもあった。綺麗なんて言ってくれたのはおにーさんだけで、今でも素直にその言葉を受け止めることはできないけど、すごく嬉しい。  おにーさんはオレの首筋に顔を寄せて、深く息を吸い込んだ。鼻が当たってくすぐったくて少しもじもじ動くと、おにーさんの手で腰を押さえられる。片手がオレの腰から太腿へ、膝へ、身体の線をなぞるみたいにゆっくり滑り下りていく。捻挫した足首のところまでたどり着くと、そこでふと止まった。 「まだ痛いよな? ここ」  おにーさんの指が、足首を優しく撫でた。まだちょっと違和感はあるけど痛みはもうない。多分、そんなに大した捻挫じゃなかったんだと思う。 「もう平気だよ」 「ごめんな。俺がしっかり手を掴んでたら」 「いいってば、もう。おにーさんだってそんなケガまでして、オレのこと助けに来てくれたじゃん」  おにーさんはもう片方の手で、オレの背中をぎゅっと抱き寄せた。そのままオレの肩に顔を埋めて、ほとんど聞き取れないくらい弱々しい声で小さく呟く。 「頭がどうにかなりそうだった。また絢斗が俺の前からいなくなるんじゃないかって思ったら……怖くて」  ああ、そうか。おにーさんもずっと、オレと同じだったんだね。  また会えるのかな、もう会えないかもしれないのにって、別れ際はいつもそう思ってる。  こんなこと思うのはオレだけなのかなって、今までずっと不安だったけど。 「オレはいなくならないよ。ずっと、おにーさんのそばにいる」  長くは生きられなくても、いつかおにーさんより先に死んでも、オレはおにーさんのそばを離れないよ。  明日どうなるかなんてオレもおにーさんも分かんないけど、それだけは確かに言える。 「……うん」  おにーさんの首にぎゅっと抱きつくと、身体がぴったりくっついてすごくほっとする。それでいつも思うんだよ。おにーさんとひとつになりたいって。 「……浴衣、汚しちゃうな」 「もうとっくに砂とか泥だらけだもん、大丈夫だよ」 「いや、そうじゃなくて……」 「えへへ、分かってるってば」 「バカ」  ガチガチに緊張してるオレのこと、気遣ってくれたのかな。背中に砂が当たって痛いだろって、おにーさんは自分の着てるTシャツ脱いでオレの下に敷いてくれた。おにーさんっていつもそうだ。自分のことでいっぱいいっぱいになってるオレのこと、先回りして気遣ってくれる。オレと違って童貞じゃないって言ってもおにーさんだって男と付き合うのは初めてだから、不安なこととかきっとあるはずなのに、そういうことオレに見せようとしない。  おにーさんのそういう優しいとこ大好きだけど、甘えてばっかりじゃダメだって思う。きっと今、おにーさんも不安だよね。 「……おにーさん」 「ん?」  さっきからおにーさん、いつもみたいにパンツ脱がせようとしない。オレの上に覆い被さってるのにキスばっかりしてる。やっぱりまだ迷ってるのかな。 「あの、パンツ……脱がせて」 「いいの?」  いつもそんなこと聞かないのに。 「……いいよ」  膝を曲げると、浴衣の裾が太腿の付け根まで静かに落ちてくる。 「……」  おにーさんは少しだけ身体を起こすと、オレのパンツをゆっくり脱がしてくれた。心臓の音がうるさくて、どんな顔してたらいいのか分かんない。こんなこと今まで何回もあったけど、これからされることは今までされたことがないことだ。おにーさんと目が合うのが少し怖くて、視線だけをほら穴の外に向けた。雨はほとんど小降りになってる、もうすぐやむかもしれない。あの雨がやむ頃には、オレとおにーさんはひとつになってるのかな。  足首からするりとパンツが抜けていく感触がして、おにーさんは小さくため息をついた。 「……えっと」 「大丈夫だよ、おにーさん。オレ、やり方ちゃんと知ってるから。後ろ……」  そっと身体を起こそうとすると、おにーさんはそれを手で制した。 「あの、絢斗。ちょっと待って」 「ん?」  おにーさんはまだ穿いたままだったズボンのポケットから財布を引っ張り出すと、中から何か小さな袋みたいなものを指でつまんで取り出した。 「これ、使うから。絢斗にも一個渡しとく。途中で足りなくなったらそれ開けて」  大きさとか薄さから見て最初はコンドームかなって思ったけど、受け取ってみると違うみたいだ。中には液体が入ってるみたいで、軽く押すとふにふにと柔らかい。 「ローション?」 「当たり」 「わ、こういうのあるんだね。すごい」  さっきまでの緊張も忘れてすっかり感心して、しげしげと眺めちゃう。オレも自分なりにネットでいろいろ調べて勉強してるつもりだったけど、ローションってボトルの容器に入ってるものしか見たことなかったから、こんなふうに一回分ずつ小分けになってるものがあるなんて知らなかった。これなら財布の中に入れてもかさばらないから、持ち運びに便利そう。 「俺も最近見つけたばっかで、使うのは初めてだけど……ないと絢斗に負担かかるだろ」 「おにーさん、これいつも持ち歩いてんの?」  頭に浮かんだ疑問をそのまま口にすると、おにーさんは言葉に詰まったみたいにオレから目を逸らした。 「い、いや、あの……誤解すんなよ。別に、そういう機会をいつも狙ってるってわけじゃ」 「なに動揺してんの。やーらしいの、おにーさんって」 「……悪いか」  拗ねたみたいに言うおにーさんがなんだかかわいくて、つい笑っちゃう。 「ううん、逆だよ。紳士だなあって。ごめんね、オレ何も準備してなくて」 「絢斗はそんなことまで気にしなくていいんだよ。俺の方が大人なんだから、俺に任せてればいいの」 「うん……あのね」 「ん?」  ダメだなあ、オレ。おにーさんの優しさに甘えてばっかりだ。ダメだって分かってたはずなのに、またやっちゃったんだ。 「そう言ってくれる気持ちは嬉しいよ。でもやっぱり、オレもちゃんとそういうことしっかり準備しとくべきだったと思うの。オレ、もう子供じゃないし」 「あ……いや、その、俺はそんなつもりじゃ」 「ごめん。次からは気を付けるね」  身体を起こして、おにーさんにぎゅっとしがみつく。やっぱりまだ心臓のドキドキは治まりそうもない。でも、さっきまではあんなに怖かったのに、今はそうでもないや。 「でも今日は、おにーさんに全部任せてもいい? は、初めて……だから、ちゃんとできるか、分かんないし」  大きな手が、オレの頭を優しく撫でてくれた。 「おう、任せろ」 「えへへ、ありがとう」  ごめんね、おにーさん。  だけどおにーさんのおかげで、オレきっともう大丈夫だから。  前にもおにーさんに指を挿れられたことはある。でもあの時はホントにちょっとだけだったし、すぐに抜かれちゃったから、正直言うとどんな感覚だったかあんまり覚えてない。  ローションでぬるぬるしてるおにーさんの指は、想像してたよりもすんなりとオレの中に滑り込んできた。 「……痛い?」 「ん……んん、へいき」  おにーさんの指が自分でも挿れたことがないところまできてるのが分かる、圧迫感がすごい。 「無理しなくて大丈夫だからな。痛いなら痛いって、ちゃんと言ってくれよ」 「だいじょう、ぶ……っん、あっ」  堪えきれずに声を上げると、おにーさんの指はぴたりと止まってまた少し戻っていく。さっきからその繰り返しで、おにーさんの指はすごく優しい。戻ってからもすぐにはまた進もうとしないで、オレの呼吸が整うまでじっと待っててくれる。  緊張のせいか身体に余計な力が入っちゃってて、おにーさんの指が中で動く度に無意識に息止めちゃうから、なんか苦しくなってきた。 「……はあっ、はあ……」 「ごめん、痛かったか?」  首をぶんぶん横に振る。痛くはない、おにーさんすごく優しいから。だけど何だろう、時々、おにーさんの指先が変なところに当たる。その度に腰の奥がきゅってなって、勝手に変な声が出ちゃう。いつも同じところでオレが変に反応してるせいか、おにーさんにもバレちゃったみたいだ。 「んあっ、や……っ!」  その変なところをおにーさんの指先が優しく押した。ただの偶然じゃない、確実に分かって触ってる。 「ここ、痛い?」  浅い呼吸を繰り返しながら、おにーさんを睨みつける。『痛い?』って……絶対分かってやってるくせに。 「……なんか、へん……」 「絢斗、かわいい」  こんな時にそんな嬉しそうな顔して何言ってんだろ、おにーさんのバカ。そんな憎まれ口をたたくこともできないくらい、身体の奥が熱くてもどかしい。圧迫感はまだあるけど、さっきまでとは明らかに違う。よく知ってる感じとすごく似てるけど、今まで感じたことのない、この不思議な感覚。 「あっ、あ……っ、ダメ、そこっ」  全然悪びれるような素振りも見せないで、そこをおにーさんは何度も触ってくる。ダメって言ってもやめてくれなくて、オレはただされるがままだった。さっきから指一本触れてないはずの自分のが勃ってるのが分かる。先っぽに濡れた浴衣がこすれる感覚が余計に変な感じを煽ってて、下に敷いたおにーさんのTシャツを縋るみたいにぎゅっと掴んだ。 「おにー、さん……も、もう……」 「ん?」  まずい、このままだとオレだけ先にイっちゃいそうだ。いつもそうだけど、今日だけはそうなるわけにはいかない。呼吸を必死に整えながら、おにーさんを見上げた。 「……ほしい。おにーさん」  おにーさんは戸惑ったような目をしてる。 「ま、まだ挿れるのは無理だよ。もう少し解してから」 「や……なの。待てない。いま、ほしい」 「絢斗……」  そっと手を伸ばして、おにーさんの腕に触れた。 「ねえ、おにーさん……お願い。オレは、大丈夫」 「本当に、いいのか?」 「うん。……いれて」  おにーさんは少しの間迷ってたけど、やっとオレから指をそっと抜いた。 「ごめん、ちょっと待っててな」  暗がりの中で、おにーさんはごそごそしてる。そう言えばまだズボン脱いでなかったっけ……おにーさん、ちゃんと勃ってるかな。少し身体を起こして確認しようとすると、おにーさんの手には袋から出したばっかりのコンドームがあった。 「あ……」 「こら、そんな見るなって」  この状況であたふたしてるおにーさんは、薄暗い中でも耳まで真っ赤になってるのが分かる。 「おにーさん、ちゃんと勃ってる? オレ、くちでしようか」 「いいから、大人しく待ってろ。そんなことしなくても大丈夫だから」 「でも、オレばっかり……」  言いながらおにーさんのパンツに手をかけると、脱がさなくても分かるくらい元気になっちゃってるし。 「……え」 「だ、だからいいって言ってんだろ!」 「おにーさん、そんな溜まってんの? 今日まだ触ってないよね?」 「うるさい、絢斗がやらしすぎるんだよ。あんなの見てたら誰だって勃つだろ普通」 「あんなのって……おにーさんが変なとこいじるからじゃん」  今になってまた恥ずかしくなってきて、それを隠すためにおにーさんのにゴムつけるのを手伝ってあげた。実物のゴムは見るのも触るのも初めてで、今からホントに最後までエッチするんだって改めて意識しちゃってる。なんかまた緊張してきたな、他のこと考えて気持ちを逸らさなきゃ。 「あ……そう言えばさ、覚えてる? オレとおにーさんが初めて会った時のこと」 「え?」  ふと思い出した、あの時のこと。今も鮮やかに思い出せる、おにーさんと初めて会った夜のことを。 「オレがまだエッチしたことないんだって話したらおにーさん、『俺も生ではしたことないけど』って言ってたよね」 「よく覚えてんなあ。そんなこと言ったっけ……」 「へへ、忘れないよ。おにーさんの言ったことは」  あれから一年以上も経ったなんて、今もまだ信じられない。あれからホントにいろんなことがあって、今こうしておにーさんといるのが、ただの偶然を積み重ねた結果だとはどうしても思えなかった。運命なんて言葉じゃロマンチック過ぎるけど、きっとオレとおにーさんがこうなることはずっと前から決まってたような、そんな気がするんだ。一年前のあの夜に出会った時から、ううん、きっともっと、ずっと前から。 「……あの時はまさか、おにーさんとこんなことする日が来るなんて、思ってなかったから。なんだか不思議だなあって思ったの」 「そうだな。俺も、そう思う」  きっとおにーさんも今、オレと同じこと考えてる。ちゃんと分かる。  おにーさんの顔がそっと近づいてきて、目を閉じる。優しくキスされながら、また仰向けに寝かせられた。 「……怖い?」  オレを見下ろしてそう聞くおにーさんの方が、なんだか不安そうな目をしてる。まだ濡れた髪が言葉にできないくらい色っぽく見えて、変な言い方だけどその時のおにーさんをすごく綺麗だと思った。 「ううん、怖くないよ。おにーさんなら」 「後悔するかもしれないよ、男と……こんなことして」 「しないよ。ずっとオレの夢だったから、おにーさんだけのものになることが」  その綺麗な目に誘われるみたいにそっと手を伸ばして、おにーさんの頬に触れる。そこは火傷しそうなほど熱くて、熱いのはおにーさんなのかそれともオレなのか、そんなことさえ分かんなくなってた。触れる度、触られる度、オレとおにーさんの間にある境界が、少しずつゆっくりと曖昧になっていく。 「……ありがとう、絢斗」  おにーさんの手がオレの両足の太腿を優しく押さえて、そのまま脚を開かせられる。浴衣の裾をぎゅっと握りしめた時、おにーさんのがオレの中に入ろうとしてちょっとだけ触れたのが分かった。 「……挿れるよ」 「うん……」  目を閉じて、深く息を吐き出す。息を止めたその瞬間、おにーさんが入ってきた。 「――……っ」  今まで感じたことのないくらい大きな圧迫感と、それに引っ張られていくような強い痛みで、声が出たと思ったけど声にならなかった。 「……っつ……」  上からおにーさんの苦しそうな声が落ちてくる。おにーさんも痛いのかな。どんな顔してるのか見たかったけど、あまりの痛さで目をぎゅっと瞑ってないと堪えられそうにない。自分が歯を食いしばってることに気が付いた時、おにーさんの手がそっと頬に触れた。 「あ、やと……大丈夫か?」  薄く目を開けて見上げると、おにーさんがすごく心配そうにオレを見てる。今のオレ、相当ひどい顔してんだろうな。 「ううっ……ん。へい、き……」  おにーさんも苦しそうだ。息がすごく乱れてる。 「……一旦、抜く?」 「やっ、やだ。ぬかな……で」  声が途切れ途切れにしか出てこない。目に涙がにじんで、視界がぼやけた。海の底から見上げる水面みたいなその景色の中で、ただひとつはっきりと見えるのはオレを見つめるおにーさんの目だけ。  おにーさんはしばらくそのままじっとしてた。そのうちに少しずつだけど痛みが和らいできて、歯を食いしばるほどじゃなくなってきて、ほっと息を吐き出した。おにーさんの手がオレのおでこの上の髪を優しくかき上げてくれる。 「絢斗の中……すごい、キツい」 「おにーさん、のが……おっきい、から」 「普通だって」 「うう……」  目が合うと、おにーさんは優しく笑ってくれた。  オレのなかに、おにーさんがいる。  嘘みたいな、夢みたいな、不思議な感覚だった。おにーさんと初めてエッチした夜のことを思い出した。こんなことが現実になるなんて、この世界はホントに何が起こるのか誰にも分からないんだ、そんなことを考えてた。自分の将来なんてどうせつまんないことしか待ってないと思ってたのに、こんなに信じられないくらいの幸せが待ってたなんて、きっとおにーさんと出会わなかったら知らないまま死んでた。  生きることを選んでよかったって今までにも何度も思ったけど、今ほど強くそう思ったことはなかった。 「……おにー、さん」 「ん?」 「いいよ……うごいて」 「大丈夫か、本当に」 「うん。オレは、だいじょうぶ」 「つらかったら、すぐに言ってな」 「……ん」  オレの中で、ゆっくりとおにーさんが動き出した。その度にやっぱり痛くて、どうしても声が抑えらんない。 「いっ……」 「ごめん、ごめんな」  オレが声を上げる度に、おにーさんは何度もごめんって言う。気にしないで、って言おうとした時、おにーさんの指がオレのをそっと握った。 「ひゃっ、やっ……あっ」  いつものおにーさんの指。すごく優しいけど、いちばん弱いとこをなかなか触ってくれない、すごく意地悪な指だ。おにーさんが中で動くのに合わせて、その指も少しずつオレを追いつめていく。 「やっ、や……あっあっ、おにー、さん……っ」  そうしてるうちに少しずつだけど、後ろの痛みは我慢できないってほどでもなくなってきた。おにーさんがすごくゆっくり、すごく浅く動いてくれてることに、その時になってやっと気が付いた。オレが痛みから少しでも気を逸らせるように、前も触ってくれてるってことも。 「……あや……と……っ」  少しずつ少しずつ、おにーさんが奥の方まで入ってこようとしてるのが分かる。さっき指挿れられた時に感じたあの変なところにもこすれて、その度に身体の奥からあの変な感じが何度も押し寄せてくる。 「んやっ、あっ、ああっ……」  何かにしがみついてないと意識が波にさらわれてどっかいっちゃいそうで、おにーさんの肩に必死でしがみついた。勝手に出てくる声が恥ずかしくて、でもどうしても抑えらんない。 「っ、く……っ、絢斗、あやっ……」 「うう、っ……んあ、あっ、おにー……さんっ、あっ」  ああ、なんかもうわけ分かんない。おにーさんに突かれる度に痛いのと気持ちいいのが一気にくるから、どっちなのか自分でも全然分かんない。頭ん中めちゃくちゃだ。  目の前、キラキラする。頭ん中ぐるぐるしてる。胸の奥がぎゅーってして……。  ……あ、これ。  この感じ、前にもあった。知ってる。  おにーさんの絵を初めて見た時と、一緒なんだ。 『目の前がキラキラして、頭の奥がバーンってなって、心臓がぐるぐるして、笑いたくて、泣きたくて、どっかに飛んでっちゃいそうな感じになるの。世界中の人にこの気持ちを伝えたくて仕方なくて、でも誰にも教えたくないような、そんな感じ。……えへへ、分かんないか、これじゃ』  それまでのつまんない世界が、あの一瞬で全然違うものに変わった。  大嫌いだった金魚を大好きになった。  窓の外にずっと見えてたはずの海の色を初めて見た。  世界にはまだこんなに綺麗な色が溢れてて、オレはまだその半分、いや、一部分だって見えてないことを、生まれて初めて知ったんだ。見たこともない色がスマホの画面から光と一緒に溢れ出して止まらなくて、オレはあの時おにーさんの絵を見つめたまま一晩中泣いてた。  この人の描いた絵を、この人が作り出す世界を、その色を、もっと見たい。全部は見られなくても、ひとつでも多く。あの瞬間からそれだけがオレの生きる理由になったんだよ。 「おにーさん、おにー、さん……っあっ、うっ……んあっ」  あの時の気持ちを思い出して、気が付いたらぼろぼろ涙が溢れてる。おにーさんは少しだけ動きを緩めた。オレが痛みのあまり泣いてるんだと思ったみたい。 「あ、絢斗、もうやめよう。無理は……」 「やっ……やだ、もっと、あ、ああっ」 「……っ、あ、あや」  今までずっと心の底に沈んでた何かが、潮が満ちるみたいにざわざわ押し寄せてきてるのが分かる。しっかり掴まってないと溺れちゃいそうだ。  もう自分じゃどうしようもなくて、縋るみたいにおにーさんの首にしがみついた。 「おにーさ、おにーさん、もっ……もう、オレ」 「……大丈夫、大丈夫だよ。絢斗」  大きな手が、魔法の指が、オレの頭を優しく包んでくれる。ぎゅっと目を瞑った時、それはオレの意識の中に一気に押し寄せてきた。 「あっ……あ、ああっ! おにーさん……っ」 「くっ……! あ、やと……」  初めて見る世界だった。  キラキラして、眩しくて、優しくて、夢みたいで。  おにーさんの絵を見た時に感じたものが、今ははっきりと目に見える。オレの想像じゃなくて、確かにここにある。  色が、光が、溢れてくる。  夢みたいな景色だ。 「おにー、さん……」 「……ん?」  こぼれた涙を、おにーさんの指がそっとすくいとってくれた。さっきまで見てた夢みたいな景色の残像の中に、オレを見つめるおにーさんがいる。  オレが視線をそっと横に向けると、おにーさんもそっちを向いた。 「……雨、上がったね」
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