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初めてのひと
ラーメン屋を出てマンションの部屋に帰った。荷物の入った薫のボストンバッグを部屋の隅に置くと、薫に座るように勧めて魁斗はコーヒーを淹れた。
「あんまり濃いと眠れなくなるから……アメリカンね」
コーヒーをローテーブルの上に出して魁斗が言った。
「濃くてもよかったのに」
薫がぽつりと呟いた。
「魁斗の部屋に泊まれるなんて……そうないから。眠りたくない」
薫の隣に座ると、魁斗は微笑んで言った。
「まだ明日もあるし」
「明後日になったら……帰らなきゃならない……」
薫は魁斗に抱きついた。
「帰りたくない。ずっと魁斗のそばにいたい。ずっとずっとこうしてたい……!」
「俺も……帰したくないよ」
魁斗も薫を抱きしめ返してそう言った。
「コーヒー……冷めちゃうよ?」
薫の身体をそっと離すと、魁斗はそう言ってコーヒーを啜った。薫もコーヒーに口をつけた。
「風呂……どうする?ユニットバスだから、先にお湯はって温まる?」
「ううん。シャワーでいい……」
「冷えちゃうよ?」
薫はコーヒーカップをテーブルに置くと、魁斗にキスをした。
「冷えたら……魁斗があっためて……」
そう言って魁斗の背中に両腕を回した。魁斗もそっと薫を抱きしめた。しばらく抱きしめ合ってから先に薫にシャワーを勧め、入れ替わりに魁斗もシャワーを浴びた。魁斗が浴室から出ると、薫は既にベッドの中にいた。魁斗は照明を落とし腰に巻いたタオルを外すと、ベッドの中に入って薫を抱きしめた。薫の身体は冷え切っていた。
「寒かったでしょ……」
魁斗は薫にキスをしながらそう訊いた。
「うん……早く、あっためて……」
両腕を魁斗の首に絡めると、薫はそう言って魁斗の身体を抱き寄せた。
何度目かわからないくらい、二人は体位を変えては交わり、上り詰めた。ひとしきり愛し合い、魁斗は薫に腕枕をしてやりながら、優しく頬を撫でた。
「……魁斗」
「うん?」
「父さんに……頼まれたんでしょ?」
唐突にそう訊かれ、魁斗は戸惑って言った。
「どうしたの急に……?」
「俺のそばにいるように……頼まれた?」
薫は魁斗の目を見つめてそう訊いた。
「俺の昔の話……俺が話す前に、もう父さんから聞いてたんでしょ?」
「……どうしてそう思うの?」
魁斗がそう尋ねると、薫はうつむいて言った。
「魁斗の……俺の扱い方が……変わったなって、ちょっと前から思ってたから」
すごく……優しくなった。まるで壊れものを扱うみたいに、優しくなったから……どうしたのかなって。薫がそう言った。魁斗は薫の敏感さに舌を巻いた。
「父さんに俺とのこと訊かれて打ち明けたって聞いて……打ち明けるにはそれなりに理由があって……俺の昔の話、父さんが話したんだろうなって」
魁斗はため息をついた。
「薫は賢いなあ……」
うん、薫の話、お父さんから聞いてた。でも薫が話してくれたほど詳しい話じゃなかったけど……魁斗はそう言って薫を抱き寄せた。
「父さんに、何を頼まれたの?」
薫は魁斗を見つめて訊いた。
「そばにいろって言われた?俺が……可哀想だから?」
「そんなことじゃないよ」
「やっぱり何か頼まれたんだね?何を頼まれたの?」
魁斗はふうとため息をつくと、薫を見つめて言った。
「お目付役をするようにって、頼まれた。でも誤解しないでほしい。お父さんは薫のことが心配で、俺に薫を託そうとしてくれたんだ。知らない人間より、身元の確かな俺に任せたいって」
「だから……そばにいてくれてるの?頼まれたから?」
薫が泣きそうな顔をしてそう訊いてきた。
「違うよ。俺……すぐに断ったし」
魁斗はそう言って薫を抱きしめた。
「俺と薫はただ好きだから一緒にいるだけなんだって。誰かに言われてとか頼まれてとか、そういうのは違うと思うって。はっきり断った」
「魁斗……」
「頼まれたからじゃない。薫のことが大事で、一緒にいたいからそうしてるんだ。それだけだよ」
「魁斗……!」
薫は魁斗の身体にしがみついた。
「俺……不安だったんだ。俺のそばにいてくれるのは、魁斗の意思じゃないんじゃないかって。疑い始めたら、それしか考えられなくなって……」
ごめんねと薫は言った。
「いいんだ。俺の気持ち……わかってもらえたなら、もうそれで俺は充分」
魁斗は薫にキスをした。
「俺のほうこそ……不安にさせてすまなかった」
「魁斗が俺を優しく扱ってくれるのは、大切に想ってくれてるんだなって、嬉しいけど……」
薫は微笑んで言った。
「俺だけのものにしたいって言って抱いてくれた魁斗のほうが……俺、うんと気持ちよかった……」
魁斗は赤くなった。
「大胆な魁斗……俺、好き。俺の昔のこと気にして遠慮してるなら……そんな必要ないから。もう……うんと昔の話だから」
だから……前みたいに、抱いて?俺がもう嫌だって言うくらい……薫はそう言って魁斗にキスをした。
「薫は……俺のもの……俺だけのもの……」
魁斗は耳元でそう囁いた。激しく薫を抱きながら、確認するようにそう言った。
「俺は……魁斗だけのものだから……ッ」
薫が荒い呼吸の中、そう返した。
「好き……魁斗、大好き……」
魁斗にしがみつくように背中に腕を回して、薫は言った。
「魁斗になら……何されてもいい……」
「薫……愛してる……」
魁斗はそう言って薫にキスをした。
「愛してるよ、薫……」
抱かれながら初めて愛してると言われて、薫は今まで感じたことがないほどの多幸感に包まれた。
「俺も……愛してる……愛してる、魁斗……」
「こんな時間まで一緒にいるの、初めてだね」
薫がそう言った。夜中の2時を回っていた。
「なんか……夢見てるみたい……」
腕の中の薫の頬を撫でながら、魁斗は微笑んだ。
「眠って……?」
「嫌。ねぇ、何か話して?」
「何を?」
「何でもいいから……魁斗のこと、聞きたい……」
「そんな……これといって語るようなドラマチックな人生、送ってないから」
魁斗が笑ってそう言った。
「じゃあね……きょうだいはいる?」
「歳の離れた妹がいる」
「何歳?」
「21」
「そうなんだ……きっと可愛い子なんだろうね」
「おとなしいヤツだよ。引っ込み思案で。だいぶ会ってないけど……」
「お家には、あんまり帰らないの?」
「そうだね……ウチ、両親が離婚して、今の母親は親父の再婚相手なんだ。妹と歳が離れてるのはそのせい」
そうだったのと薫は言った。
「母さんとは……うまくいってるけど。やっぱり血が繋がってないからか、お互いどこか遠慮みたいなのがあって。それもあって……就職してしばらくして、家を出た」
これくらいの距離感がちょうどいいと思ってるけどねと魁斗は言った。
「魁斗は……俺くらいのとき、どんな子だったの?魁斗、優しいから……モテたでしょ」
「うーん……俺、中高と男子校でさ。女の子とは縁がなかった。部活に精を出してたかな」
「へぇ……何部?」
「バスケ部。6年やってたけど……レギュラーは取れなかったな。そこそこ強豪校だったから」
こんな話、つまんないでしょと魁斗は言った。ホントに平凡な人生送ってきたなと思うよと笑った。
「ううん。魁斗の昔の話、興味ある。大学は……楽しかった?」
薫がそう訊いてきた。
「うん。勉強が大変で、サークルには入らなかったけど……割と楽しかったよ。いろんなヤツがいて」
薫も大学に行ったらきっと楽しいことたくさんあるよと魁斗は言った。
「魁斗は……親友はいる?」
「うん。親友っていうか悪友っていうか……俺とは真逆な感じのヤツで。女にすごくモテるんだよ。女関係派手で、大学ではちょっとした有名人だった」
「羨ましいと思った?」
「モテること?」
うんと薫は笑って頷いた。
「それは思わなかったな。器用だなとは思ったけど。ああ、でもそういう社交的なところは……羨ましかったかも」
俺は人間関係構築するの、得意なほうじゃないからと魁斗は言った。
「なんでそいつと仲良くなったのかは……よくわからないけど。ウマが合ったのかな」
薫は魁斗の頬を撫でながら尋ねた。
「魁斗の初体験って……何歳だったか訊いてもいい?」
魁斗はハハッと笑って直球だなあと言った。
「遅かったよ。二十歳のときだった」
「相手のひとのこと……好きだった?」
「まあ、それなりにはね。俺、あんまり人に執着しないみたいで。そういうのは透けて見えるみたいで、それが原因でフラれることが多かったな」
「なんかわかる気がする」
薫はそう言って笑った。
「魁斗、ハッキリしないところあるし、優柔不断で臆病だし」
「ずいぶんだなあ。まあ、全部当たってるけど」
魁斗も笑った。
「だから……薫を独り占めしたいって思うようになって、自分でも戸惑ったよ。誰かに執着するなんて、初めてだったからね」
薫は魁斗にキスをして言った。
「魁斗にとっても……俺、初めてのひとだったんだね。身体だけじゃなくて。心の初めて……」
「うん」
薫は幸せそうな顔をして、魁斗の胸に顔を埋めると、寝息を立て始めた。魁斗はそっと薫の髪を撫で、目を閉じた。
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