二人の時間

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二人の時間

 翌週の月曜日、魁斗は気不味い思いをしたまま秋津家を訪問した。どんな顔をして薫に会ったらいいのかわからなかった。しかし薫は普段どおりの薫のままだった。あの夜のことがまるで夢か幻のようにすら思えた。自分だけが身構えドキドキしているのがバカバカしく感じた。  2時間の授業を終える頃には魁斗もすっかりあの夜のことを忘れ、授業に集中できた。 「日曜にまた模試受けてきたけど……」  薫が授業終わりにそう言ってきた。 「うん、月イチのペースで受けておくといいと思う」 「またご褒美お願いしても、いい?」  魁斗は鼓動が早まるのを感じながら、ご褒美は一度きりだって言ったろと返した。すると薫が声を立てて笑った。 「やだなあ。魁斗先生の頭の中、ひょっとしてエッチなことでいっぱい?」  笑いながら薫は言った。 「参考書と問題集、選びに行くの付き合ってほしいんだよ。魁斗先生が思うほどそんなに俺、盛ってないから」  魁斗は顔を赤くして、なんだそういうことかと思った。何を考えてるんだ自分はと恥ずかしくなった。 「ああ……そういうことなら模試の結果なんて関係なくいつでも付き合うよ」 「ホントに?じゃあ今週の土曜はどう?」 「わかった。空けておくよ」  11時に秋津家の最寄駅で待ち合わせることにして、スマホにスケジュールを入力した。 「プライベートで付き合ってもらうから、お給料は発生しないよね?代わりにお昼、ご馳走させて?」 「そんなの気にしなくても……」  魁斗が笑ってそう言うと、薫は俺が魁斗先生とごはん食べたいのと言った。 「だからご馳走させて?」 「わかった。楽しみにしてる」  土曜日になり薫と落ち合い、駅前の書店に入った。薫の学習レベルに向いていそうな参考書と問題集を魁斗は数冊手に取り、薫に選ばせた。薫は魁斗先生が選んでくれたんだから全部欲しいと言って全て購入した。 「重いだろ?持つよ」  魁斗はそう言って手提げ袋を代わりに持った。ありがとうと薫は礼を述べ、じゃあごはん食べに行こうと言って駅前のタクシープールに向かった。 「えっ?どこまで行くつもり?」  魁斗が慌てて後を追い、タクシーに乗り込んだ薫に続いて乗り込んだ。 「二子玉まで」  薫が運転手にそう告げるとタクシーは走り出した。二子玉川までなら電車でも訳なく移動できる距離だ。タクシーを使うあたり、やはり薫はお坊ちゃんなんだなと魁斗は思った。タクシーを降り薫の後をついてしばらく歩いた。ここと言って薫が入った店はいかにも高級そうなフレンチレストランだった。 「秋津様、お待ちしておりました」  黒服の店員は薫の顔を見ると笑顔で迎えてくれた。何やら予約をしていたようだったし、扱いからして薫はこの店の常連客のようだった。個室に通され程なくして料理が運ばれてきた。コース料理だった。 「薫くん……こういう店に入るつもりなら、前もって言ってくれないと……」 「どうして?」 「どうしてって……こんな格好で入ったらまずいんじゃない?」  細身のパンツにポロシャツ、スニーカー姿の自分はよく止められなかったなと思った。 「そんなこと気にする必要ないよ。よく来るお店だもの」  薫は当たり前のようにそう言うと料理を口に運んだ。 「薫くんと一緒だから入れたんだと思うよ?」 「うん、今日のおすすめコースもハズレなしだね」  薫は魁斗の訴えをスルーして料理を口にし頷いた。魁斗はため息をついて食事をした。やはり薫と自分とでは住む世界が違うのだなと感じた。  食後にデザートとコーヒーが運ばれてきても、魁斗はなんとなく落ち着かなかった。どうにも自分は場違いに思えて、早く店を出たかった。 「口に合わなかった?」  そわそわと落ち着きのない魁斗の様子を見て、薫はそう訊いてきた。 「いや……美味しかったよ?でもこんな店、滅多に来ないし……正直、落ち着かない」 「じゃあここ出たら、魁斗先生が落ち着くお店でお茶飲もうよ?」  薫が笑ってそう言うと席を立った。 「行こう?」 「えっ?だって会計は?」 「いいの。いつもそうだから。あとでまとめて父さんが払ってくれる」  そう言って薫は個室を出た。後を追うように魁斗も個室を出ると、黒服の店員がありがとうございました、またのお越しをお待ちしておりますと丁寧に頭を下げてきた。  店を出ると魁斗先生の落ち着くところに行きたいと薫は言った。ホントにどこでもいいのと訊くと薫は微笑んでうんと頷いた。魁斗は駅前のセルフのカフェに入った。注文の仕方がわからないであろう薫に何が飲みたいか尋ねて、アイスコーヒーとカフェラテを頼んだ。カウンターで飲み物の乗ったトレーを受け取り、二人掛けの席に腰を落ち着けて、魁斗は言った。 「こんなザワザワしてるとこ、今度は薫くんが落ち着かないかもしれないな」  薫はそんなことないと言って嬉しそうな顔をした。 「こういうお店、初めて。なんかワクワクする。魁斗先生の日常に触れられた気分」 「薫くんは……学校帰りに友達とお茶飲んだりしないの?」 「しないなあ。大体みんな、送り迎えがあるし、塾の時間もあるし。お茶飲むにしても、友達の家とかかな?」  薫がカフェラテに口をつけてそう言った。 「薫くんも送り迎えしてもらってるの?」 「中等部まではしてもらってたけど……今は電車使ってる。そうでもしないとなんか自由がない気がして」  お坊ちゃんにもそれなりに悩みがあるんだなと魁斗は思った。 「魁斗先生は……どうして家庭教師に?」 「ホントは教師になるつもりだったんだけど……理想が高すぎた。教育実習に行った先の高校で、心が折れた」  魁斗はそう言って笑った。 「教員免許は持ってるんだけどね。大学卒業して……塾の講師を三年やって。塾講師もそんなに長くは勤められないと思って、家庭教師に転向したってわけ」 「俺は先生の何人目の生徒?」 「三人目。薫くんの他にも今も生徒さんいるけど……」 「俺は、どう?」  薫はそう尋ねた。 「うん、今まで見てきた中で、いちばん優秀だよ。ただ……」 「なに?」 「ムラっ気があるのが玉に瑕だな」  魁斗は笑ってそう言った。 「気分が乗らないと、全然勉強しないだろ?」  薫も笑った。 「でも魁斗先生は、無理に勉強しろって言わないね?今までの先生だったら、そういうときに雑談とかあり得ないし」  魁斗はそれは薫くんを信用してるからだよと言った。 「無理強いしなくても、遅れを取らずに勉強やってけるって思ってるから」  魁斗先生、薫は真顔で尋ねた。 「俺って……猫みたいなんだって。先生もそう思う?」 「猫か!そうだな、猫っぽいところあるかもしれないな」  魁斗はそう言って笑った。 「気まぐれで……じゃれついてくるなと思ったら急にそっぽ向いたりするところとか。うん、猫みたいだ」 「誰にも懐かない猫みたいって言われたんだ」  薫は不本意だと言わんばかりの口調でそう言った。 「猫は好きだけど……誰にも懐かないってこと、ないと思うんだけどな」  薫は魁斗の目を見つめてそう言った。 「魁斗先生には……懐いてるつもりなんだけど」  魁斗はどう返したらいいのかわからなかった。 「俺から誘うことなんて、そうないし」  誘うって、セックスのことだよ?小声でそう言った。魁斗は周囲を気にして、あんまり外でする話題じゃないねと言った。 「俺……先生の住んでる部屋、行ってみたいな」  唐突に薫がそう言った。まだ2時半にもなってないし……これから行ったらダメ?そう訊いてきた。 「魁斗先生と俺の家以外で会うことなんて滅多にないし……行きたいなあ」  綺麗な顔をした薫に見つめられて頼まれると、むげに断ることが魁斗にはできなかった。 「散らかってるけど……それで良ければ」 「ホント?嬉しい!じゃあ行こう?」  カフェを後にして電車に乗り、途中で乗り換えて魁斗のマンションの最寄駅まで出た。 「きっと狭くてびっくりするだろうな」  マンションまでの道すがら、魁斗は笑って言った。 「薫くんの家に比べたら、猫の額みたいな狭〜い部屋だから」 「そうなんだ。なんかワクワクする」  薫も笑ってそう言った。  エレベーターに乗り、4階で降りると部屋の鍵を開けてドアを開け、狭いけどどうぞと言って薫を招き入れた。 「ちょっと蒸すね。エアコン入れるから」  適当に座って?今お茶入れるから。そう言ってクッションを勧めた。薫は初めて訪れた魁斗の部屋を見渡した。散らかっていると言っていたが、几帳面なのかどこもかしこも整っていた。薫は勧められたクッションではなく、ベッドに腰掛けた。ギシッと軋んだ音がした。  魁斗が麦茶を入れて運んできた。狭いんでびっくりしたでしょと言うと、まあうん、広くはないねと薫は笑って言った。  「一人暮らしの男の人の部屋に来たの……初めて」  魁斗がカーペットの上に腰を下ろすと、薫は少し照れたようにそう言った。 「さっきの続き、話してもいい?」 「うん」 「俺……いつもあんなふうに誘ってるって思われたかもしれないけど……」  薫は真顔で魁斗を見つめた。 「魁斗先生だから、誘ったんだよ?」  魁斗は鼓動が早まるのを感じて目を逸らした。 「薫くんは、いつから俺と……あんなふうになりたいって思ってたの?」  薫は考え込むような顔をして言った。 「いつからだろ……正確なところはよく憶えてないけど、一年くらい前からかな?」  この間まで、どうやったら誘えるかなってずっと考えてた、薫はそう言って笑った。 「虎視眈々と?」 「そう、虎視眈々とね」  そういうところも猫っぽいかもねと魁斗は言った。 「虎も猫科だし……狙った獲物は逃さないところ、あるでしょ猫って」 「やだなあ、猫って獲物を殺さないで弄ぶんだよ?」  薫は眉を寄せてそう言った。 「俺は……薫くんに、弄ばれてるような気すらする」  うつむいて魁斗はそう言った。 「俺がその気になると……薫くんはふいっと素っ気ない態度になるし。何を考えてるのか……俺にはさっぱり……」  薫は目を見開いた。 「今……その気になるって、言った?」  魁斗はハッとした顔をして、いやそれは違くて……と訂正しようとしたが、もう遅かった。 「魁斗先生……今、その気になってる?」  薫がそう尋ねた。 「俺は……そういうつもりでここに薫くんを連れてきた訳じゃ……」 「そういうつもりもこういうつもりもない。今、魁斗先生と俺、二人きりで部屋にいる……」  薫がベッドから立ち上がると、魁斗の背後に回って膝をついて抱きしめた。 「……抱いて?」  耳元で囁かれ、魁斗はカアッと赤くなった。 「魁斗先生に、抱かれたいんだ……」  魁斗の手を取ると、自分の股間に触れさせた。 「俺、もう……こんなになっちゃった……」  魁斗は目を閉じた。薫の誘惑に乗ってはいけないと思いつつも、結局は抗えなかった。立ち上がり軽々と薫を抱え上げると、ベッドの上に横たわらせて覆い被さるように自分も横になった。 「魁斗先生……」  魁斗は黙ったままキスをして薫の服の中に手を入れた。薫はされるままになった。
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