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ひとりじめ
4時間目の授業が終わり、薫は物理の教師から昼休み中に準備室に行って資料を集めてくるよう頼まれた。学食はこの時間は混むし、昼食を取る前に済ませてしまおうと思い廊下に出た。
「手伝うよ」
後を追うように譲がやってきてそう言われた。薫は黙って準備室に入った。ついてきた譲がドアを閉じた。棚から資料の閉じられているファイルを取り出していると、譲に後ろから羽交締めにされた。
「薫……っ」
譲は絞り出すように薫の名前を呼ぶと、薫のカッターシャツの中に手を入れた。
「やめてよ……こんなとこで」
薫がいつものように譲の手を払いのけようとしたが、筋肉質な譲はがっちりと薫の身体を押さえ込んで離さなかった。
「じゃあどこならいいんだよ?」
薫を正面に向かせると、両手首をきつく掴んで床に押し倒し馬乗りになって譲は言った。
「好きなんだよ、薫……」
そう言って強引にキスをした。薫は抵抗しようとしたが、自分よりも力の強い譲にがっちりと手首を押さえつけられ身動きが取れなかった。譲が首筋に唇を押し当ててきた。薫は冷めた目をしてこう言った。
「乱暴なのは……嫌いだよ」
譲が薫の顔を見た。綺麗な薫が氷のように冷たい表情をしてこう続けた。
「しつこい男も……嫌いだ」
譲は手首を掴む手を緩めた。
「別に譲がしたきゃ気の済むようにしたらいいよ。人形みたいに無反応な俺を抱いて、それで譲が満足なら続けたら?」
薫はそう言って目を閉じた。譲は薫の手首を離した。
「どうしたの?しないの?昼休み終わっちゃうけど?」
「俺は……」
「しないならどいてくれる?……重いよ」
「俺は……」
譲は絞り出すように言った。
「薫が誰かのものになるなんて……そんなのは許せない。自由気ままな薫が特定の誰かだけのものになるなんて……我慢できない」
薫がふっと笑った。
「俺はそうなりたいと思ってるんだけど……相手がまだよくわからないって言うんだ」
「え……」
「俺のこと自分だけのものにしたいくらい好きかどうか、よくわからないって」
譲はカッとなった。
「何なんだよそいつ!薫が望んでるのに応えてやらないなんて……そんなの……」
そんなのは贅沢だ、譲はそう言って薫から離れた。
「気まぐれ猫と一緒にいる自信もないって」
薫が身体を起こすとそう言った。
「薫の好きな人って……一体誰なんだよ?いつからそんなふうに思ってたんだよ」
「内緒。譲に言ったら何するかわからないからね」
薫がふふっと笑って言った。
「ああ……うまくいかないね。俺も、譲も」
俺のことは早く忘れたほうがいいよと薫は言った。
「俺も譲も、手に入らないと思うから、一層相手を求めてる。そういうところは一緒かもね」
譲は薫の手を取り立ち上がらせた。
「じゃあ……薫も忘れたら?その人のこと」
「それができたらとっくにそうしてる」
ズボンを叩いて棚から取り出したファイルを手にすると、薫は準備室を出て行った。
「俺だって……忘れられるならとっくに忘れてる」
譲はそう言って後を追うように準備室を出た。
10月になってもまだ暑い日は続いた。共通テストの出願のタイミングで更なる受験対策の要望が薫の両親からあり、秋津家への訪問回数は月水金と土曜の4回に増えた。薫との関係はあれからも続いた。薫は2週間に一度のペースで魁斗の部屋にやって来た。来るのは決まって日曜日だった。秋津家の薫の部屋でもキスやハグはしたし、薫はそれ以上のことを求めてきたが、薫の母親が階下にいると思うと魁斗の中では越えられない一線だったし、自分は薫の勉強を見に行ってるいるのだと己を律した。一線を越えてしまうと欲望が際限なく止まらなくなりそうだった。薫は受験生なのだ。勉強以外のことにうつつを抜かしている場合ではない。けれども薫にもう部屋には来ないようにとは言えなかった。
「ねぇ魁斗先生?」
ベッドの中で何度か交わったあと、薫が身体を寄せて訊いてきた。
「初めて魁斗先生としてから4ヶ月経つけど……まだ、わからない?」
魁斗は仰向けになると天井を見つめて言った。
「俺が薫くんを自分だけのものにしたいくらい好きかどうかってこと?」
「うん……」
「薫くんのことは、好きだよ。けど、自分だけのものになんて……そんなのは欲張りだし、許されない」
「どうして?」
「前にも言ったけど……俺と薫くんとじゃ、釣り合いが取れない。歳もこんなに離れてるし、住む世界も違う」
「そんなの関係ない!許すとか許されないとか……そんなの誰が決めるの?」
薫は魁斗にしがみついた。
「魁斗先生は……臆病なんだよ。何がそんなに不安なの?」
魁斗は薫の顔を見つめて、寂しそうに笑った。
「薫くんが大学に合格したら……そこで俺の役目は終わる。もう薫くんの家に行くこともない。顔を合わせる機会もなくなる」
「ここに来ればいくらだって会えるじゃない!」
薫の頬を撫でながら、魁斗は言った。
「大学に通うようになったら……楽しいこといっぱいあるよ?勉強もそれなりに大変になるし。俺に割く時間なんて……きっとなくなる」
「そんなことない!」
「それに……薫くんは秋津家の大事な一人息子だ。いずれはお父さんの跡を継ぐことになる。俺の入り込む余地はない」
「よくわからない……」
薫は言った。
「俺が父さんの跡を継ぐと、どうして魁斗先生の入り込む余地がなくなるなんて考えるの?」
魁斗は寂しげに笑うと、真顔になって諭すようにこう言った。
「薫くん。君はいずれ結婚することになる。薫くんの意思とは関係なく、そうなる。君はそういう立場にいることをそろそろ自覚しないといけない」
薫は愕然とした顔をした。
「そんなの……俺はしない。結婚なんてしない!魁斗先生といつまでだってこうしてたい!」
薫は魁斗にしがみついて訴えた。
「薫くん……」
「魁斗先生が……好き。他のことなんて今は考えたくないし……どうでもいい……」
薫は両手で魁斗の頬を包んでキスをした。
「……抱いて。俺も魁斗先生も……何も考えられなくなるくらい……激しくして?」
魁斗は薫の細い身体を抱きしめると、キスを返した。溺れるように薫を抱いた。何も考えられないほど互いを求め合い、何度も上り詰めた。
薫にシャワーを勧め、魁斗はベッドに腰をかけため息をついた。29にもなる自分が17の少年と一緒になってセックスに溺れ現実逃避をしていることが情けなく、同時に滑稽ですらあった。
「何やってんだか……」
魁斗はそう呟くと苦笑した。それでももう薫に部屋に来るなとは言えない自分は心が弱いなと思った。たった4ヶ月で薫への気持ちがこれほどまでに変化するとは思ってもみなかった。自分だけのものになりたいという薫の気持ちが、気まぐれではなく本心なのだということは痛いほど伝わってきた。魁斗も薫を独り占めしたいという気持ちになっていたが、薫の全てを受け止めるだけの器は自分にはないと思った。かといって今すぐ薫を手離す勇気もなく、薫の言うとおり、自分はなんて臆病なんだろうと思った。
薫がバスタオルで髪を拭きながら出てきた。入れ替わりに魁斗はシャワーを浴びに行った。薫が服を着ていると玄関のチャイムが鳴った。薫はそっとドアに近づきドアスコープから外を覗いた。若い女性が立っていた。誰なのかわからなかったが、チェーンと鍵を外しドアを開けた。
「……あら?ごめんなさい!部屋を間違えたみたいで……」
薫の姿を見ると女性が慌ててそう言った。薫は小早川魁斗さんの部屋で間違いないですと答えた。
「あなたは……?」
「秋津と言います。魁斗先生の生徒で」
女性は恐ろしく綺麗な顔をした薫にしばらく見とれてから、薫の濡れた髪に目をやった。
「ああ、今さっきシャワー浴びたばかりで。魁斗先生も今、シャワー浴びてるところです」
どういう意味かわからせるつもりで薫は敢えて女性にそう言った。
「もうすぐ出てくると思うけど……呼びましょうか?」
女性はカアッと頬を赤らめた。いえいいのまた来ますと言ったところで、浴室のドアが開いて腰にタオルを巻いた魁斗が出てきた。
「菜月……」
魁斗は菜月の姿に愕然とした。菜月が魁斗と薫の顔を交互に見て、そういうことだったのと呟くように言った。
「ハグだけじゃ……終わらなかったのね?」
そう言われて魁斗は薫の顔を見た。薫が微笑んだ。魁斗は仕方がないなと言う顔をして、菜月のほうに顔を向けた。
「菜月……」
「彼と……ハグだけじゃなくて、こういう仲になってたのね……?」
そう言うと菜月は走り去って行った。
「薫くん……どうして勝手に開けたりしたんだ?」
ドアを閉め鍵をかけてチェーンを下ろすと、魁斗はそう尋ねた。責めるような口調ではなく、優しくそう問いかけた。
「今のひと……魁斗先生の何?」
薫は魁斗の質問に答えずに質問で返した。
「ただの……幼馴染だよ」
ため息をついて魁斗は言った。
「あのひとは魁斗先生のこと、そうは思ってない感じだったけど?ちょっと刺激が強すぎたかな?」
薫は笑ってそう言った。魁斗はまたため息をつくと、薫くんと言って額を指で弾いた。
「こういうことはもうしないで?」
「どうして?……ヤキモチくらい俺だって焼くよ?あのひと、なかなか可愛らしかったし。ライバルだと思ったから、俺の存在アピールしといただけ」
「アピールにも程があるでしょ……」
魁斗は息をついて天井を見上げた。バレ方は最悪だったが、これで菜月は自分のことを諦めるか離れていくだろうと思った。
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