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優しい目をしていた
翌日は水曜日で秋津家の訪問日だった。授業を始める前にハグをしてキスをするのが習慣になっていた。いつものように薫が抱きついてきたが、今日は魁斗はキスをしなかった。
「魁斗先生?」
薫はキスをせがんだが、魁斗は薫の肩を掴み身体を離してこう言った。
「薫くんの入試が終わったら……話したいことがある」
「え……。なに?」
「無事に合格したら……その時に話すよ」
そう言って薫を椅子に座らせ、じゃあ今日は過去問演習をしようか?と言った。
「気になる……」
薫はそう言って椅子を回転させて魁斗のほうを向いた。
「話って何?気になって集中できない……」
魁斗は失敗したなと思った。こんなもったいぶるような言い方をしたら逆効果だとどうしてわからなかったのかと我ながら呆れた。
「今は……勉強に集中してほしかったんだ。だから入試が終わってからにしたかった。薫くんの気を散らすつもりはなかった」
「話があるなら今して?」
薫は魁斗の顔を覗き込むとそう言った。
「……よくない話?」
魁斗は首を横に振った。
「俺は……薫くんを、自分だけのものにしたいと……」
「え……」
「そう思うようになって……」
魁斗は顔を赤くしながら、途切れ途切れに想いを伝えた。
「でも……俺は、薫くんの言うとおり臆病だから……先のことばかり考えて……伝えるのが、怖くて」
薫は椅子に座ったまま、魁斗に抱きついた。
「うん……」
「前にも話したけど……受験が終わったら……もう会う機会もなくなるし……大学に行ったら、俺のことなんてすぐ忘れるって……」
歳も離れてるし、住む世界も違うし、いずれ薫くんは結婚するだろうし……だから……だから……。魁斗が言葉に詰まると、薫は背中をさすってこう言った。
「ゆっくりでいいから……魁斗先生の気持ち、聞かせて?」
魁斗は頷いて薫の髪に手を触れ、抱き寄せた。
「俺は……怖かったんだ。叶いそうもないことを叶えようとして……傷つくのが……怖かった」
薫くんの全てを受け止める覚悟も器もなくて……それでいて独り占めしたいだなんて……欲張りで我儘だって。そうやって自分に言い訳してた。魁斗は震える声でそう言った。
「うん……」
「それなのに薫くんを手離す勇気もなくて……情けなくて。でも……もう先回りしてあれこれ考えるのは……やめにする。今だけを見ることにする」
薫の頬を両手で包むと、魁斗は言った。
「俺だけのものにしたい……」
そう言ってキスをした。深く激しいキスをした。長いキスのあと、薫は幸せそうな顔をして言った。
「ずっと前からもう……俺は魁斗先生のものだよ……」
「……薫くん」
魁斗は意を決して言った。
「もう11月だ。勉強も追い込みの時期に来てる。受験が終わるまで……俺の部屋で会うのはやめよう」
「……やっと気持ち通じ合ったのに?」
薫はショックを隠し切れずにそう言った。
「通じ合ったから……お願いしてる」
魁斗はそう言って薫を抱きしめた。
「合格したら……たくさん……したい」
薫くんがもう嫌だって言うくらい、たくさんしたい。魁斗はそう言った。
「俺は……今すぐ、魁斗先生に抱かれて先生のものになったって感じたい」
薫は魁斗にしがみついて目を閉じた。
「魁斗先生はここでは俺を抱かないって決めてるの、わかってる……でもお願い、せめて……触って?」
椅子に腰掛けたまま、薫はズボンの上から魁斗をまさぐった。ファスナーを下ろして下着をずらし、魁斗のものを引っ張り出すと、口に含んだ。
「先生も……触って?」
魁斗も薫のズボンのファスナーを下ろし、下着の上から硬くなった薫に触れた。下着をずらして薫を握ると上下にしごいた。
「んっ……ふぅ……ん……」
薫が魁斗を口に含んだままくぐもった声を立てた。魁斗のそれを舌で舐めまわしながら、魁斗の愛撫に感じて興奮した。
「あッ……俺……すぐイッちゃいそう……」
魁斗の根元を手でしごきながら薫は小さく声を上げた。
「俺も……気持ちいいよ……」
そんな薫に興奮して、魁斗もそう言いながら薫を握る手に力を込めて上下にしごいた。
「あッ……あッ……イク……」
先に魁斗の手の中で薫が果てた。薫はすぐに魁斗を咥えると、懸命に頭を動かし唇と舌と手で愛撫した。
「っあ……」
魁斗も薫の口の中で果てた。迸ったそれを喉の奥に流し込み、薫は舐めて魁斗を綺麗にしてあげると、これはこれですぐ済むし興奮して気持ちいいねと言った。魁斗は顔を赤くした。
12月に入り、街はクリスマスムード一色になった。その週の金曜日、薫の父親が主催するクリスマスパーティーが行われた。薫も同行することになり、その日は授業を休みにすることにしたが、薫の両親にせっかくなので小早川先生もぜひにと招待を受けた。気が進まなかったが薫からも一緒に行こうと熱心に誘われ、断り切れずに行くことにした。
別の生徒の授業を終えると、魁斗はその足で新宿に向かった。ホテルのバンケットルームでパーティーは行われた。立食形式で五百人近い客がいた。当然ながら薫の父親の仕事関連の集まりで、一応スーツは着て来たものの、魁斗はまた自分は場違いだったなと思った。柱の前に立ちシャンパングラスを持って立ち尽くしていると、横から声が掛かった。
「魁斗先生……食べてる?」
仕立ての良いスーツ姿の薫が寄ってきて、料理取ってこようかと言われた。
「いや……大丈夫。この雰囲気に飲まれてもうお腹いっぱいだよ」
魁斗は笑ってそう言った。
「やっぱり……薫くんのお父さんは、立派な人なんだね。こんなパーティー、生まれて初めてだよ」
「大袈裟だなあ」
薫は笑った。
「内輪のクリスマスパーティーだから、この人数だけど……会社の式典とかだと、倍以上の集まりになることなんてしょっちゅうだよ」
薫は手にしたグラスのジュースを口にしてそう言った。
「俺はもう……こういうのは飽きちゃったな」
「将来、薫くんが主催する側になるのに?」
魁斗はそう尋ねた。
「お父さんが薫くんをこういう場に連れ出すのも……将来のことを考えてるからだよ?薫くんを後継者として紹介したいのと、場に慣れさせるためだよ」
「そんなの……俺は望んでない」
ぽつりと薫は言った。魁斗の手にしたグラスを取ると、自分のグラスとともにサービススタッフに預け、出ようと言って先に立って歩いた。
「薫くん……」
魁斗も後を追うように歩いた。
バンケットルームの重い扉を開いて廊下に出ると、薫は窓際に立った。中の賑やかな雰囲気とは打って変わり静かだった。
「魁斗先生、疲れたでしょ」
「まあね。こういう場所は慣れないからね。どうにも落ち着かない……」
薫は窓の外を見た。
「やっぱり……俺と薫くんは、住む世界が違うんだなって」
魁斗がそう言うと、薫は魁斗のほうを向いた。
「俺……こういうの、望んで生まれたわけじゃないよ?」
薫は泣き笑いのような表情を浮かべて言った。
「住む世界が違うって言うなら……魁斗先生と同じ世界に生まれたかった」
バンケットルームの出入口に人の気配を感じなくなり、魁斗はそっと薫を抱きしめた。
「悪かった。もう……こういうことは言わない」
薫も魁斗の背中に両腕を回した。
会場に戻り薫の母親の綾乃に途中ですが僕はそろそろと声を掛けると、もうお帰りに?と訊かれた。ご招待ありがとうございました、秋津さんにもよろしくお伝えくださいと告げ、じゃあ薫くん、明日またお家でねと言ってひと足先にホテルを後にした。
新宿駅に向かう途中で後ろから名前を呼ばれた。
「魁斗?」
「菜月……」
スーツ姿の魁斗を見て、菜月はこんなところで何してるのと訊いた。
「ああちょっと、パーティーがあって……」
「パーティー?それでスーツ?」
「慣れないから肩が凝るよ」
魁斗が苦笑した。菜月とはマンションで薫と一緒のところを見られて以来、会っていなかった。
「菜月は今、仕事上がり?」
百貨店勤務の菜月の職場はそういえばこの近くだったなと魁斗は思った。菜月は頷くとこう言った。
「少し……話せない?」
二人は近くのバーに入った。居酒屋という気分ではなかった。
「あの子と……上手く行ってる?」
二人掛けの席に腰を落ち着けると、菜月がそう訊いてきた。魁斗は頷くとこう言った。
「あのときは……驚かせてすまなかった」
「ううん。私も突然訪ねて行ったし。まさかあんなところに遭遇するとは思ってなかったけど」
菜月は笑ってそう言った。
「綺麗な子だったなあ。まあ、男の子なんだけど、あんまり綺麗なんで私、見とれちゃった」
芸能人みたいだったなと菜月は言った。だから魁斗が夢中になるのもわかるなと。
「私……魁斗が好きだった。子供の頃から、ずっと」
菜月が遠くを見つめるように視線を泳がせてそう言った。
「魁斗に彼女がいたときも……諦められなかった。なんとなく……魁斗が彼女に夢中って感じしなくて」
でも……今回は本気みたいねと菜月はため息をつくように言った。
「なんでそう思うんだ?」
「さあ……なんでだろ」
水割りの入ったグラスを弄びながら、菜月は呟くように言った。
「彼を見る目……かな」
「え……?」
「あのとき彼が魁斗に断りもなく勝手にドアを開けたんでしょ?でも……魁斗の彼を見る目は優しかったから」
菜月はそう言って笑った。
「私がいて魁斗、慌ててはいたけど……彼を睨んだり怒るような目はしてなかった。彼の全部を許すような……すごく優しい目だった」
羨ましいなと菜月は言った。
「私、子供の頃から魁斗を見てきてるけど……あんなに優しい目で誰かを見つめてるとこ、見たことない。私に対しても、あそこまで優しい目で見てくれたこと一度もなかった」
ああ、魁斗は彼の全部を受け入れてるんだなって、そう思った。菜月はそう言って微笑んだ。
「そんな目を……してたかな?」
魁斗はそう尋ねた。菜月はふふっと笑った。
「無自覚なんだね。まあ魁斗らしいって言えばそうなんだけど」
だから私、もう魁斗のことは諦める。水割りに口をつけると菜月はそう言った。
「とても敵わないもの。私の入り込む余地ゼロ。魁斗の彼を見る目を見て、それがよくわかった」
グラスの中のチョコレート菓子をつまんで、菜月は笑った。
「彼……お金持ちの子なんでしょ?育ちのいい匂いがプンプンした」
魁斗は頷くとこう言った。
「住む世界が違うなって感じることも多くて……今日のパーティーも、彼のお父さんが主催でね。一流ホテルのバンケットルームで、五百人くらい集まってたな」
「凄いね!」
「それで彼に住む世界が違うって言ったら……泣きそうな顔して言うんだよ。住む世界が違うって言うなら、俺と同じ世界に生まれたかったって」
「魁斗のこと……本当に好きなんだね」
菜月がそう言った。魁斗は頷いて水割りに口をつけた。
「だから……そういうのはもう、気にしないことにした。彼を傷つけるだけだってわかったから」
「魁斗も彼が大事なんだね」
「うん……この先どうなるかなんてわからないけど……一緒に過ごせるうちは、そうしたいと思ってる」
店を出て二人は駅まで歩いた。改札の前で別れた。菜月は魁斗の後ろ姿が見えなくなるまで見送った。目に涙が滲んで霞んで見えた。
「魁斗……バイバイ……」
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