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 更衣室のロッカーを開け放ち、扉裏に付いている鏡の前でスプレーを使いながら前髪を整える。束感、長さ、形、うん、バッチリ。メイクもしっかり直して、よし、完璧ーー真依は満面の笑顔を作ると、ロッカーの扉を閉めた。  退院してから初めてのシフト。そして今日は火曜日。きっと絵の具くんが来てくれるはず。もし会えたら、自分から声を掛けると心に決めていた。  久しぶりのバイトに対する緊張と、彼に会えるドキドキ感。少しだけ息苦しさを感じながら、真依は普段とは違う気持ちで店舗へのドアを開けた。 「おはようございまーす!」  入った瞬間、真依に気付いた店員たちが、皆驚いたような笑顔を浮かべてこちらを見た。その中でも水木は持っていたカップを置いて、真依の方へ駆け寄ってくる。 「鈴内(すずうち)さん! もう大丈夫なの?」 「はい、しっかり完治しました! ご迷惑をおかけしてすみません」 「それは気にしなくて大丈夫だよ。みんな心配してたから、元気になって安心した。でも無理しないで、具合が悪かったらすぐに言ってね」  ずっと憧れていた人が私を見て微笑んでいるーー前までの真依なら卒倒するほどの喜びを感じていたに違いない。でも今は上司に褒められたという喜びに留まった。嬉しいけど、ドキドキはしない。一つの恋が終わりを告げたことを実感した。  バイト仲間たちに挨拶をしながらレジカウンターに向かうと、ちょうど客のいないタイミングだった史絵が笑顔で迎えてくれた。 「おはよう。レジ、代わるね」 「はいはーい。久しぶりのバイトだけど、気分はどう?」 「ちょっとドキドキしてる。あの……絵の具くんってもう来た?」 「いや、まだかな」 「そっか……」  そんなお喋りをしていると、店のガラス戸が開いて一人の青年が入ってきた。その瞬間、真依の心臓が大きく跳ねた。  あっ、絵の具くんだーーすると彼も真依に気付いて、大きく目を見開いたのだ。  ニヤニヤしている史絵に脇腹を小突かれ、真依は慌ててレジの前に立つ。しかしいざ本人を前にすると頭の中が真っ白になって、何をすればいいのか、何を話せばいいのかわからなくしまう。 「い、いらっしゃいませ! ご注文をお伺いしますっ……」  なんとか接客マニュアルを思い出し、噛みそうになりながらも言葉を絞り出す。 「あのっ……アイスのカフェラテを一つ、テイクアウトでお願いします」  今日は右腕の肘のそばに肌色の具の跡を見つけ、それが懐かしくてつい頬が緩んだ。あぁ、やっぱり絵の具くんだーーそんないつもと変わらない時間の流れにホッとする。 「かしこまりました。サイズはいつもと同じ、Lでよろしいでしょうか?」  真依が尋ねると、彼はどこか嬉しそうに微笑む。 「はいっ! お願いします!」  それからお礼を伝えようとしたが、タイミング悪く客が押し寄せ、店が混雑し始めたため、二人の時間はあっという間に終わってしまった。
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