第四話 飲みニケーション

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第四話 飲みニケーション

   七月二十九日(月) 林田政信  私の名前は林田政信。五十二歳。こう見えても斉甲商事株式会社、第三営業部の部長だ。妻子持ち。子どもは娘が二人。十歳と六歳だ。  妻は今どき珍しい専業主婦だ。それも上場企業で管理職を務める私の稼ぎのお陰であるハズなんだが、イマイチ感謝されていない。と言うより、尻に敷かれている感がある。最近は十歳の娘にも煙たがられている。六歳の次女も、じきにそんな風になってしまうのだろうか……。やるせない。  住宅ローンは十五年残っている。車はハイブリットのちょっといいヤツだ。まあ、妻も娘たちも、何の興味も示さないが……。  かつての新婚時代は「今日会社の人と飲むから夕飯要らない」なんて言うと「もう準備しちゃったじゃない、そういうことは早く言って」なんて返されたもんだ。こっちにも雰囲気ってものがある。その日の流れで「よし、行くか!」みたいな、そんなノリって大事だと思うんだけどな。  それが最近は逆だ。「えっ? 今日帰って来るの? あなたの夕飯ないよ? えー、あなたの分まで作るの、面倒くさーい」なんて事を言われる始末だ。ああ、世知辛い。  そう、世知辛いのだ。世の中は本当に世知辛い。最近は気軽に部下と酒を飲むことすら難しくなった。少し前までは「よし、今日は飲みに行くぞ」なんて言うと、目をキラキラさせた部下が何人も寄ってきたものだ。  それが今は、仕事が終わると皆そそくさと帰ってしまう。うっかり昔のノリで部下を誘おうものなら「今日、予定があるんで」とか言って、「この日なら空いてます!」とか代替案も提示しないで帰ってしまう。ホント、脈なし、振られた気分になる。  だから、最近は特に慎重だ。特に最近入って来た、ピチピチの奥村さんと、クールビューティーの神楽さんには嫌われたくない。ついうっかり誘ってしまって、嫌われないようにしなければ……。  昔みたいに、下の名前を呼んだりして「真里菜ちゃーん、凜ちゃーん、今夜飲みに行こうよー」なんて誘った日にはもう、最悪だろうな。タダでさえ家庭に居場所がないのだ。その上、会社での居場所もなくなったのではあまりに辛い。かつてのように、終業時刻を過ぎてもダラダラと今夜の飲み仲間を探しながら働くフリをする事も気まずくなったしなあ。しかし、皆そんなに急いで帰って何をしているのだろうか。そんな事を考える、令和の初夏の夕暮れ時だった。
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