第五話 沼

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   八月九日(金) 奥村真里菜  最近、剛田先輩のため息がうるさいなあ。たった一分の遅刻で泣き崩れていたその日からだ。隣の席じゃなくてよかった。でも、斜め前の席からも聞こえるため息ってどんだけ?   ああ、憂鬱。ため息がうつっちゃう。あーあ。明日からお盆休みなのに、憂鬱。その理由は自分でも分かってる。如月先輩としばらく会えなくなっちゃうから……。そうだ! この前先輩、日本酒の話してたな。「先輩、一緒に日本酒飲みに行きませんか」って誘って、ダメだ、できっこない。整って色白で、素敵な黒縁眼鏡のあのミステリアスなお顔と対面してお話するなんて、ひとりじゃあ絶対にムリ……。  でも、秘策がある。林田部長だ。部長に可愛く日本酒をおねだりして、でも妻子持ちだから二人っきりはマズいって考えて、そうすると、飲み友の如月先輩を誘って三人で、って事になるじゃない! それに万が一部署の全員に声を掛ける事になっても、ライバルの神楽先輩は急な誘いを嫌う。それも知っている。お盆休み前、金曜日のラストチャンス! 頑張れ私! 「あの、林田部長……」 「おー真里菜ちゃ、じゃない、奥村さん、どうしたんだい?」 「あのー。部長って日本酒詳しいですか?」 「いきなりどうした? 日本酒は詳しいってよりは、好きだな! この前も如月君と剛田君の三人で飲んで、楽しかったぞー!」 「あのっ、部長、今夜って、空いてますか?」 部長の顔が真っ赤になった。耳まで赤くしちゃって……。ちょっと上目遣いが過剰だったかな、ブレーキブレーキっと。
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