第五話 沼

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   八月九日(金) 奥村真里菜  「そうそう、奥村さん、ここが例のお店だよ。この前話した店。地酒が美味いんだ」 如月先輩、さっきまで林田部長とお喋りしていたのに、急に私に話を振ってきた。焦るじゃない。 「へえ、そうなんですね! とりあえず、わたし、最初はカシスオレンジにします」 最初は可愛く。私も実は日本酒好きだけど、いきなり日本酒なんて、なんかオジサンみたい。だから、最初は可愛い飲み物でイメージを保つの。 「まあ、そうだよな。俺はビールにしよう。部長、どうします?」 「じゃあ、今日は私もビールからにしようかな。もちろん、その次は日本酒だけどね!」 そこで先輩は部長からメニューを取り上げた。あっ、注文、社歴の浅い年少者の私がしなきゃいけないのに……。 「すみませーん、注文お願いしまーす」 「お待たせしました」 「ビール二つとカシスオレンジ一つ、あと、枝豆と冷やしトマト下さい」 ああ、飲み物だけ頼むかと思いきや、サラッとすぐ出る系のつまみも一緒に頼んでおくなんて、何というスマートさ。行き慣れてそのお店の勝手が分かっているからこそできる大胆な技だわ。素敵!  それからというもの、正直な話、つまらなかった。如月先輩はずっと林田部長とバカ話で盛り上がっていて、私だけ蚊帳の外って感じ。部長も部長でたまに話を振ってきたかと思ったら「彼氏いるの?」とか「経験人数は?」とか「何カップ?」とか「最近ご無沙汰?」とか、遠慮なくセクハラ発言をぶつけてくる……。  でも私、こういうの、慣れているから適当にかわすけど。まあ、如月先輩の前だから「彼氏はいない、募集中」って事だけはちゃんと答えたけれどね。如月先輩の目を見て……。  それにしても、いつもはいい人の部長も、今日に限っては鬱陶しいな。早く如月先輩と二人きりになりたいな……。そうだ、あの手を使おう。
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