第一話 ミステリアス

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   七月十日(水) 如月颯太  五分前行動は大切だ。何にでも余裕を持って取り組む。それが社会人としての常識だ。どんなに可能性に満たされた素晴らしい世界にも、常識は必要だ。それを守れるスマートな男、それが如月颯太だ。  その日も始業五分前出社を目指して通勤しているところだった。満員電車から下車して見慣れた地下通路を歩く。そしてB四出口から地上に出る。まただ。いつものように、いつの間にか背後から、パンプスがハイテンポでコツコツと歩道を叩く音が近づいてくる。 「如月先輩!」 やっぱりだ、奥村真里菜。今年入社した新入社員だ。試用期間が終わり、俺の在籍する第三営業部に配属となった子だ。その栗色でサラサラのボブヘアーが頭一つ分低い位置で隣に並んだ。 「おー奥村さん」 頭一つ分高い位置から見下ろすと、切り揃えられた栗色の前髪の先に、豊かに実った双丘が揺れ、それより下の体を遮る。オフィスカジュアルのジャケットの上からでも分かる。これは凄い。  今、この瞬間、その柔らかいクッションに顔面からダイブしたらどうなるのだろうか。この子は泣くだろうか。ひっぱたかれるだろうか。通行人に取り押さえられるだろうか。警察を呼ばれるだろうか。懲戒解雇だろうか。新聞に載るだろうか。ああ、ダメだ、その先の妄想が止まらない……。 「おはようございます」 現実に引き戻された。いかんいかん、毎日の事だが、ついうっかり妄想が捗ってしまった。悪い癖だ。それに女性は、この手の視線には敏感だ。向かい合っていたら絶対にバレていた。気をつけなければ。 「おはよう」 奥村さんは俺を見上げた。きっと「背が高くて素敵」とか思っているんだろうな。残念だが、俺の身長は百七十九センチ。つまり、長身とされる百八十センチにはあと一センチ、及ばないのだ。それでも、四捨五入すれば百八十だ。周囲にはそう公言している。なんたって、女は数字に弱い。  身長百八十センチ、年収一千万、偏差値七十……。まあ、実際のところ俺は何一つ満たしていないわけだが、まあ、それはいい。それらを満たすようなハイスペ男子は、そうそう世の中に転がっていない。もしそんないけ好かない新人が入ってきたら叩き潰すまでだ。
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