第六話 東雲の景色

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「べっ、別に、何となくよ」 何となくって事はないだろう。意外と普通の理由なのか? 「あー、そっか、外は信号が多いと走りにくいかー」 また先輩は押し黙ってしまった。どうやら神楽先輩、図星の時は押し黙るクセがあるようだ。しかし、だとしたらお金がもったいない。やっぱりお金持っているとその辺、気にならないのだろうか。 「でも、せっかく会員費とか払ってジムに通うなら、他の運動もすれば良いのに。例えば、ベンチプレスとか」 「別に、いいでしょ! 私の勝手じゃない!」 やってしまったと思った。いったい何が気に入らなかったのだろうか……。神楽先輩を怒らせてしまった。でも、どうして? 分からない。ああ、でも、この感じ、悪くないかも。  この場で神楽先輩に中指を立ててみたらどうなるのだろうか。手元の食べかけのフランスパンを投げつけてくるかなあ。それとも、コップの水を掛けられる? それとも、いつものお説教みたいに言葉責めにされて、そのハイヒールで股間を踏みつけられたりして……。 「もう分かった! 今日、一緒に走ろう!」 あれ、何で誘われているんだ俺? どうしてこうなった? 「あっ、はい、喜んで……」 脊髄反射のように、それに応じる俺がそこにはいた……。  気が付けば、スポーツ用品店でランニングウエアを購入して、先輩の住む東雲のマンションの一階にあるジムで一緒に走っていた。「どうして?」と考えるのはもうやめた。まあ、運動不足のこのカラダには丁度良い機会だと思った。それに、こうしてランニングマシン二台、肩を並べて走っていると、余計な会話をしてまた先輩を怒らせなくて済むと思った。  無言で三十分ほど走っていた。気持ちが良かった。神楽先輩の走る姿は何というか、しなやかで、スッとしていて、凜々しくて、まるで女豹のような感じだった。タイトなランニングウェアは丸みを帯びたメリハリのある体つきを強調していた。と、その姿に見とれた次の瞬間、天地が逆転した。マシン上で躓き、転んで落ちた。
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