第六話 東雲の景色

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「あっ、すみません、今日はちょっとこれから用事があって……」 もうその一言しか出なかった。脱ぎ捨てた服達はいったいどこに行ったのか、パンツすらも見当たらない。神楽先輩、いや、リンちゃんは俺の唇に人差し指を縦に当てて言った。 「ふたりの時は敬語禁止! あと、昨日ソウちゃんが言ってた『同棲』いつ始める?」 昨夜の俺はそんな事まで口走っていたのか! 「いやー。えーっと、それは、とりあえずまた今度ですね、じゃない、また今度だよ」 「今度っていつ? 仕事でも納期は重要よ」 「三ヶ月後あたり、とか?」 ああ、俺はいったい何を言っているんだ……。 「十一月ね。十一月のいつ?」 「……。いつか」 「まったく、ダメね。まるで具体性に欠けるじゃない」 ああ、やっとパンツを見つけた。 「じゃあ十一月末までに同棲開始! 引っ越しの手はず、整えといてよね!」 「そうですね、じゃない、そうだね……」 いかん。広い部屋だ、俺の衣類はパンツしか見つからなかったが、鞄の中にビニール袋に入った汗まみれのランニングウェアがあった。とりあえずそれを着た。そして、逃げるようにその場を後にしようとしたが、細くて長い手が俺の左手を掴んで止めた。 「行く前に、昨日みたいにもう一回辱めて!」 「いや、それはちょっと……」 「ソウちゃん、どうして? お願い今すぐに欲しいの。さあ、早く! ちょうだい!」 「いや……。例えば、どんな事を言ったらいいのかな……?」 「ええ? それをわたしに聞くの? 酷い! 何てデリカシーのない!」 ああ、マズいな、何だかよく分らないけれど、また怒らせてしまった。 「もういい、今日は帰って! でもその前に……」 何だろう、また難題か、と身構えた。 「『行ってくるよ、リンちゃん』って言って」 「……。行ってくるよ、リンちゃん」 「行ってらっしゃい、ソウちゃん!」 長くて少々退屈なエレベーターの中で、ふと鞄の中のスマホを取った。電池が切れていた。いつからだったのだろうか。充電をしてから電源を入れて驚くのは、その日の夜だった。そこで見たもの。それは、リンちゃんからのメッセージだけではなかった。
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