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だが異変はすぐにやってきた。
その日の朝、耳元で鳴りつづけるスマホのアラームをなかなか止めることができなかった。
朝の気配は感じるのに辺りは真っ暗でスマホが見当たらない。
──見えない。
上半身を起こし、部屋の四隅をぐるりと見渡すが瞳にはなにも映らない。おそるおそる体を動かすとベッドのフレームに足の指をぶつけ、美玲は痛みでうずくまった。額からぶわりと汗が噴き出す。おかしい。「痛い」の言葉が口から出てこない……
痛覚と聴覚は生きている。思考も声帯も正常のはずなのに。
「ん!! ふー!! んー!!」
──誰か助けて……!!
汗ばんだ手のひらを握りしめながら必死に喉を使って声にならない声を上げると、階下からスリッパの音が聞こえた。
「美玲ー? どうしたのー?」
扉が開くなり、母の悲鳴が家中に響き渡った。
「ぎゃあああああああああああああああ!」
空気がちぎれるような叫び声に美玲の肩がびくりとはね上がる。尻餅をついたのか、床が衝撃を受け入れた音がする。
閉じた視界のせいで母が今どんな状況に陥っているのかが分からない。
「バッ、バケモノ! バケモノ! な、なんで美玲の服を着て……」
狂ったように泣き喚く母の声を聞きながら、美玲は狼狽えるしかなかった。
「ふっ!? ん! ふ! んー!」
「来ないで! いやああああああああ!」
短く吐き出す息と足音が遠ざかっていく。それから派手に階段から転がり落ちる音と低い呻き声が響き、消えた。
美玲はおそるおそる指で顔を触る。
目、鼻、唇。あるはずの凹凸がそこには一切無かった。自分が今どんな姿をしているのか確かめる手立てもない。不安だけが脳内を支配する。
「ん……」
美玲はハッと顔を上げ、それからがくがくと体を震わせた。
頭の中に思い浮かんだのはあの赤いカプセルトイ。全ての始まりであり、元凶だった。
──誰かが……誰かが私の顔を当てたんだ!
それに気付いた時、全身の力が抜けた。どうやら自分は取り返しのつかないことをしてしまったらしい。
奪ったから、奪われた。
それは当然の意趣返しだった。
──お願いします。返してください。私の顔を、返して。
しかし美玲の心の声はどこにも届かない。目の前に広がる真っ暗な世界は、恐怖と絶望の色で塗り潰されていた。
開け放した窓からひらりと入り込んできた一枚の用紙が美玲のベッドの上に落ちる。だが、それがなんの用紙なのか美玲に確かめる術はない。
『1日1回! 100円!』
見慣れたはずの文字の下には使用上の注意書きが小さな字で記されていた。
『※但し、パーツを奪い過ぎると奪われることもあります。危険を回避するため安全にお楽しみください』
───ゴトン
今日もどこかで誰かの「欲」の音がする。
了
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