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<桜井side>
翌週。
三森さんは、すでに漫画にしたい話は出来上がっているようだった。
「ネームって言うんだろ? 漫画の下書きみたいなの。描いてみたよ」
そう言って差し出されたコピー用紙には、ラフな線でざっくりと人物やコマ割りが描き入れられている。
「8ページなんだね。見てもいい?」
そう言ってコピー用紙を受け取ると、三森さんの顔はちょっと赤らんでいた。
そうだよね。ネームを人に見せるときの気恥しさは、僕にも理解出来る。
三森さんと、少し分かり合えたような気がした。
「なるほど、高校生のヒロインが、公園で猫を拾おうとして、親に電話して頼み込むけど却下されるわけだね」
「なんかありがちだけどな。で、一度はその場を離れるけど、雨が降ってきて、たまらずに公園へ戻るんだ。そうしたら、……同級生の男子がその猫を大切そうに拾って帰るのを見て、……ちょっとドキッとするって言うか、つまりまあ、好意を持つわけよ」
「うん。シンプルだけど、いい話だね。これで四ページたっぷり使うのは少し多いかなと思うけど、短編としては思い切っていて、むしろいいかもしれない」
「そこはな、省けないんだよ」
「ああ、こだわりのあるシーンなんだね」
そうかあ、と言ってコピー用紙から顔を上げると、三森さんの顔はさっきより赤みが強くなっていた。
よほど恥ずかしいのだろう。
漫画のストーリーを人に見せるというのは、自分の中のありのままをさらけ出すのに等しいから、無理もない。
これは、デリケートなところだ。
少し打ち解けたからと言って、調子に乗って、三森さんをからかうようなマネは決してしてはいけない。
そんなことをしたら、漫画を描くのが嫌いになってしまいかねない。
仲良くなれてきたからこそ礼儀正しく、一定の距離と節度を持って接しなくては。
「……それだけか?」
「え? それだけっていうと?」
「桜井的に、なにか、思うところはないか?」
ぴんときた。
三森さんは、感想が聞きたいんだ。
短編漫画の導入部分だけでは正直感想は言いにくいのだけど、その気持ちは分かる。
書いたものについてはなにか言って欲しい。
これは、初心者・ベテラン問わず、物書きの性だろう。僕は胸中でうなずく。
「あ、う、うん。そうだね、思うところか。……少し、厳しいことを言っても?」
三森さんがびくりとして身を固くした。
そうだよね、批判なんて聞きたくないよね。
でも、少しくらいはアドバイスしないといけない。創作者は、褒められるだけでは、頭打ちになるものだから。
「シーンとしては、三森さんの言った通り、ありがちというか……新鮮味がないかなとは思うよ。実は、ちょっと前に、僕もちょうど似たような体験をしたんだ。雨の日に、公園で猫を拾ってね。だからつい感情移入しちゃったっていうのはあるんだけどね」
「……へえ。そんなことあったのか」
「うん。今はすっかりうちの一員になってるよ」
「……あのさ、8ページ以降も続きもあるんだ、それ。その男子が気になった主人公の女は、男子が漫研部員なのをいいことに、絵を習う振りをして話しかける口実にするんだ」
「わあ、まるで僕と三森さんみたいだね。偶然とはいえさらに親近感が増しちゃ……」
そこまで言って、言葉が止まった。
三森さんが、獲物に噛みつこうとしている山猫のような顔で僕を見ていたからだ。
しまった。調子に乗った。気をつけようとしたばかりだったのに、余計なことを言ってしまった。
「ご、ごめん! 僕、変なことを……僕と三森さんに親近感を持ってるとか、そんなこと全然ないからね!」
「全然……?」
三森さんがうなる。
これはまずい。とにかく誤解を解かないと。
「そう、全然! 本当にまったく、ちっとも僕と三森さんの距離が近づいたなんて思ってないよ! 三森さんは凄くかわいいし人柄も素敵だけど、仲良くなれたなんてまるで思ってないから!」
「なんだ、そのお世辞は……」
「え!? お世辞じゃないよ、だって、」
そこで三森さんは、右手のひらを僕に向けて制止してきた。
「いや……いいんだ。あたし、今日は帰る。ありがとうな。また明日な」
三森さんが部室から出ていった。
なんてことをしてしまったんだ。
唇を強く噛む。
僕は手の中に残ったコピー用紙を握りしめて、もう二度と浮ついたことを三森さんに言わないと、固く心に誓った。
■
<三森side>
マジか。
桜井、あいつマジなのか。
そんなに分かりにくいか?
いや、あれでだめならもう直での告白しかなくないか?
最初は、あの日の公園で、雨まで降り出した中、あたしが連れて帰ってやれなかった猫を拾っていて、良い奴だなと思っただけだった。
でもそれからクラスで少しずつ目で追うようになって、誠実そうなとことか、なにをやるにしても丁寧なとことか、いい所がどんどん目につくようになって、気がつけば好きになってしまった。
今までに、人から告白されたことはあるけど、あたしからしたことはない。
それに、桜井はあたしの周りにはいないタイプなんで、どう距離を縮めるのが正解なのか分からなかった。
桜井の感じからして、ギャルにグイグイ来られたら引く性格の可能性もある。
それでもらちが開かないので、今回はかなり踏み込んだつもりだったんだけど。
肩を落として、あたしは昇降口へと歩き出した。
ちっとも距離は近づいてない、か。
あたしと桜井って、合わないのかな。
いや。
あと一回だ。あと一回だけ挑戦しよう。
で、その一回は、直での告白しかない。
今度桜井と顔を合わせたら、その瞬間、間髪入れずに告白する。
あたしが決めた。今決めた。
あの平和な眼鏡ヅラに向かって、直接、そのまんま、ありのままのあたしの気持ちを口にしてやろう。
でもまあ、今日はもう会わないだろうから、早くても明日だ。
明日の朝起きたら、覚悟を決めよう。
その結果がどうなろうと、後悔はしない。
決行の日を決めたおかげで、肩の力が抜けた。
今日はこのなんだかふわふわっとした感じで、へらへらっと家に帰るとしよう。
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