名もなき歌の、歌うたい。

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「また聴けちゃった、剣星君の歌……」 「……百花さん?」  まさかとは思ったけど、そのまさかだった。  掠れ気味の声で歌っていた歌を、百花は聴いていたのだ。  公園の電灯に照らされる百花の顔は、何か陰を感じるような神妙な面持ちだった。 「きっと、ここにいると思って」 「……え?」  百花の言っている意味がわからず、聞き返してしまう。  百花はその辺に落とした血のついた包丁を手に取った。そして、車道に止まってあるタクシーを指差す。  いつの間に……車が? 「……剣星君、何も言わなくていい。何も言わなくていいから……あのタクシーに乗って」 「え?」  タクシーの中には、百花の叔父さんが帽子を深く被って待機していた。  鈍くなっていた脳の思考回路が、徐々に動き出す。 「百花さん……俺は……なんてことを……」 「大丈夫。剣星君の気持ち、よーく理解しているから」 「俺……母さんと一緒に……自首しないと……」  百花はゆっくり首を横に振った。 「あとは、私と叔父さんに任せて」  長いトレンチコートのようなものを着ている百花は、透明の袋に包丁を入れて、深いポケットに流し込んだ。  百花の顔が……いつもと違う。  俺は堪らず、聞いてしまった。 「百花さんは一体……何者なの?」  百花は一瞬考え込むようにしてから、口元だけ綻ばせた。  そして一言、「あなたの味方」とだけ言った。 「死体処理はこっちでする。お母様も任せて。剣星君は叔父さんが、遠くの方に運んでくれる」 「……それって」 「この殺人は、なかったことにするの」  ……時が止まったように思えた。  百花の口から、そんな言葉が出るなんて。  映画のワンシーンのようなセリフに、静かに動揺した。 「私たち、その道のプロなの」  ようやく正常に考えられるようになったのに、百花の言葉でまた現実が掴めなくなってくる。  百花たちは、裏の世界で暗躍している……プロだった?  ドッキリではなさそうだ。俺は笑うこともできなかった。  百花に背中を押されて、タクシーの方に足を動かす。 「剣星君……」 「……は、はい?」 「また、剣星君の歌、聴かせてね」  最後に、いつもの麗しい笑顔でそう言われた俺は、一度頷いてからタクシーに乗り込んだ。  叔父さんは無言で会釈をし、俺が乗り込むのを確認すると静かにアクセルを踏む。  車内に充満している煙草の匂いが、俺に染み込んだ血の匂いを隠してくれるみたいだった。 〈完〉
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