名もなき歌の、歌うたい。

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 ……日は、東から西へ。   日が沈んでいく様を見ていたら、時間なんてあっという間に過ぎていった。  今日もまた、あの家に帰らないといけない。  俺はどうして、生きたくもない人生を生きなきゃいけないのか……。 「でも……生きるのも悪くないか……」  百花の笑顔を思い出して、独り言ちた。  毎時間、毎分、毎秒……常に憂鬱な俺なのに、百花との出会いから心の暗さが薄まった気がする。  前向きな感情……。  今まで生きてきて、そんな感情が芽生えたこと……。 「あぁ、父さんに歌を教えてもらっていた時以来か……」  ちょうど、あの時もそうだった。  音楽家の父から、歌というものを教えてもらった……本当に小さい頃。  あれはまだ、幼稚園の頃か。  俺のために作ってくれた歌を聴かされて、それを俺は気に入って、一生懸命練習した。  父は、俺の歌をよく褒めてくれた。 『将来は歌手を目指しなさい』  父のその言葉が嬉しくて、毎日没頭するように練習した。  ピアノ教室にも通って、音感も養われた。  とにかく毎日が楽しかったんだ。  何の憂いもなく、純粋に音楽が楽しい。  毎日家に帰って、ピアノの練習がしたい。  歌を、父に聴いてもらいたい。  俺が歌えば、父も母も笑顔になる。  二人が笑ってくれるのなら、俺はいつまでも歌っていたい。  俺は子供ながらに、幸せだった。  父と母の子供に生まれて、幸せだって……そう思っていた。  ……だけど、俺が小学校に上がる前に、父は家を出て行った。  それが地獄の始まりだ。  父は仕事が上手くいかなくなって、離婚届だけ置いてどこかに消えたらしい。  母と二人暮らしになった俺の毎日は、そこから百八十度変わった。  いや、本当の意味で変わったのは、あいつが来てからだ。  小学六年生の時に、母が再婚した。  再婚相手の名前は、史幸(ふみゆき)と言った。
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