名もなき歌の、歌うたい。

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『よろしくな、剣星』  史幸は最初、悪い人ではなさそうという印象だった。  近所で配管工事の仕事をしている史幸は、作業着がよく似合うガタイの大きい男らしい人だった。  色黒で短髪。目力の強さが中和されるくらい、良く笑う人だ。  常に白タオルを頭に巻いていて、実父とは見た目も性格も全然違うタイプだった。  すぐに打ち解けたわけではなかったけど、別に嫌な感じもしなかった。  積極的にコミュニケーションを取ってくれて、いつしか俺も心を開くようになる。  元々母と二人で暮らしていた時は、そこまで話すような親子ではなかったから、明るい人が来てくれて嬉しかったという気持ちもあったんだ。  でもそれは、一年の間だけ。  徐々に、史幸の本性が露わになってくる。  史幸はとにかく酒癖が悪く、機嫌を損ねたらすぐに手が出るようになった。  最初は母だけだったけど、その矛先は俺にも向くようになる。  中学から高校にかけて、俺の心は荒んでいった。  何をするにもやる気が起きなく、ただ史幸が暴走しないでと願う毎日。  自分の家にいるのに、心が休まらなくなった。  俺も母も、全身痣だらけだ。  一か所が治っても、またすぐに傷ができる。  高校三年生になるまで、無傷でいれたことなんかあっただろうか……。 「だからお前はダメなんだよ!!」  帰宅して早々に聞こえてくる、史幸の罵倒。  母は茶の間の畳に尻もちをついて、小さく「ごめんなさい」と消えるような声で謝っていた。  相変わらず、酔っているみたいだ。 「おい剣星! てめぇ、また学校サボったろ!? バレバレなんだよ!」 「……ちゃんと行ったよ」 「嘘つくんじゃねぇ! 子供の嘘なんてな、親には通じないんだよ!」  そう言って、太ももに蹴りを一発入れられた。  誰もお前のことなんか、親だと思ってないよ……。  口には出せないのが、悔しかった。  逃げるように、二階の自分の部屋に入る。  着替えもせずにベッドに寝転ぶと、ズキッという鈍い痛みが太ももに走った……。
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