2人が本棚に入れています
本棚に追加
第4話 誓い
それから僕は、僕が抱える全ての事情を彼女に話しました。
産まれた時から僕の心臓には大きな欠陥があって、医者から二十歳までは生きられないと言われたこと。それでもずっと頑張ってきたけれど、最近調子がすごく悪くて、もう心臓はもちそうにないこと。
僕の話を、彼女は黙って聞いていました。そして僕が話し終わってからも、暫く何も話そうとはしませんでした。そんな彼女が口を開いたのは、日陰を求めてパーゴラまで移動した後のことです。
「……それじゃあ、私があなたにしてあげられることは、もう何もないのかな?」
その言葉を聞いた僕は、首を横に振りました。
「ううん、そんなこと無いよ。もし君さえ良ければ、僕の話し相手になってくれないかな?」
僕がそう提案すると、それを聞いた彼女が不思議そうに僕の顔を見ています。
「今日から一週間、僕は出来るだけこの公園で過ごすつもり。だってもう、あんなに怖い思いをするのはこりごりだからね。だからさ、たまにこの場所に来て僕の話し相手になってくれれば嬉しいんだけど……?」
その提案と僕のこれからの予定に、彼女は驚いたようでした。だって……
「あなたはそれでいいの?今なら、どんな女性でも思いのままにできるのよ?」
なんて彼女は言ったんです。確かにそうかもしれないけれど、でも僕の返事はもう決まっていました。
「僕には、ずっと好きな人がいるから……」
僕がそう言うと、彼女は妙に納得した顔をしました。きっと凄く頭の良い彼女のことだから、その言葉の意味に気が付いたんだと思います。
「……じゃあその一週間に、私が付き合っていい?」
笑顔でそう言ってくれた彼女には、感謝しかありません。
何故って、その瞬間に。
僕の最後の一週間が、人生最高の一週間になるって決まったんだから。
黒木紅葉さん。
彼女は、僕と同じ16歳の高校一年生でした。黒木さんはすごく大人っぽい雰囲気な女性なので、年上だと思っていた僕はちょっとびっくり。お互いに自己紹介し合った件が面白かったし、彼女の性格が分かると思うので、ちょっと皆さんにお話しますね。
「え!?黒木さんって、僕と同い年なの?年上かと思ってた……!」
「……竹田くんて、案外失礼な人なのね。私が16歳じゃいけない?」
眉を細めてそっぽを向いてしまった黒木さんに、僕は慌てて駆け寄りました。
「ご、ご、ご、ごめん!そうじゃなくってさ!ほら、黒木さんって大人っぽいっていうか落ち着いた雰囲気だから、勝手に僕が年上だと思ってただけ!」
「ふ~ん、竹田君の目には、私っておばさんに見えてるんだ?」
「ち、違うよ!黒木さんが、おばさんなわけないだろ!?だって、僕はずっと君を……」
その時、黒木さんに見つめられていることに気が付いた僕は、急に言葉の続きが出てこなくなってしまいました。だって、ずっと片思いしていた人の瞳に、自分が写っているんですよ?緊張しない訳がないじゃないですか……
「君……を? どうしたの?
……竹田くんの目に、ずっと私はどう写ってたのかな?」
押し黙ってしまった僕を彼女がすっと見つめていて、僕はもう泣き出しそうになっていました。そんな僕を見かねてなのか、彼女が眩しそうに空へと視線を向けました。
「からかってごめん。……紅葉でいいよ」
「え……?」
「私のことは紅葉でいい。だから私も竹田くんのこと、海斗って呼ぶね?」
驚きすぎて、そして嬉しすぎて…… コクコクと頷くことしか出来い僕を、今度は彼女…… 紅葉が、上目づかいに見つめてきました。
「それじゃあ海斗、……教えて? 今の海斗に、私はどう見えてるの?」
思わず吹き出した僕を見て、彼女が思いっきり悪戯っ子みたいな笑顔を浮かべています。
「ふふっ、冗談!これからよろしくね、海斗くんっ」
紅葉って、きっと…… ううん、絶対に!サドスティックな性格だと思わない?だって一言一言に右往左往する僕を見ている君は、すごく楽しそうだもん。恥ずかしさで顔を真っ赤にした僕は、彼女の楽しそうな笑顔を見つめながらそう思いまいた。
こうして僕達二人の、長くて短い一週間は始まったんです。とは言ったものの、最初は全然上手くいきませんでした。だって話したいことは沢山あるのに、何から話したらいいのか、どう話したらいいのか全然分からなくて……
彼女は会話がとても上手だったし、僕がどんなにヘタレでも暫くの間は会話は何とか繋がっていたんだけど…… ポツリポツリと会話が途切れ始めると、いつしか完全に二人の会話は止まってしまいました。それは、そうですよね?だって、今まで女の子とまともに話した事も無かった僕が、彼女の話し相手になんてなれる筈なかったんです。
僕達のいる小高い山の上の公園の麓にはさっき逃げ出してきた病院があって、その公園の横に流れる大きな川がゆっくりと水を湛えて流れていきます。気が付けば、その景色を見つめながら僕達は時が過ぎて行くのを、ただ眺めていました。
公園の中でうるさく鳴き続けている蝉の鳴き声を羨ましく感じながら、彼女を話し相手に誘ってしまった自分を後悔し始めた時です。彼女がポツリと呟いたんです。
「行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず……」
「……方丈記、読んだことあるの?」
「うん、あるよ。何度も読んだ。海斗くんも読んだことある?」
その言葉を聞いて、僕は嬉しくて仕方なくなりました。何故って、僕も方丈記は何度も読んでいたからです。
「ああ、何度も読んだ。僕、鴨長明が好きなんだ」
「そうなの?じゃあ一緒だね。私もあの人、大好き。生き方が何て言うか…… 究極のミニマリスト、だよね?」
「そうそう!あの人って……!」
それから僕達の話は尽きることはありませんでした。今までお互いが読んできた本の話や、今、読んでいる本。二人共、本を読むことが大好きなんだと分かった途端、あれだけ長く感じた時間が、あっという間に過ぎていってしまいます。
気が付いたら、蒼い空は茜色に染まっていました。
「ふふっ、いっぱいお話ししたね……?」
隣で、紅葉が笑ってる。彼女は何度もこの笑顔を見てくれたけれど、何度見ても、飽きない笑顔なんだ。
「うん、そろそろ帰る?」
「うん、続きはまた明日だね。ちょっと待っててね、海斗くん」
そう言うと紅葉が片方の耳栓を外して、小さく頷きました。僕はその様子を緊張しながら観察していました。
「……うん、大丈夫。鳴き止んでる。寄生蝉も、やっぱり夜は鳴き止むみたいね」
やっぱり、彼女の言った通りでした。夜に蝉は鳴かないみたいです。昼間はいいとして、夜の間もこの公園に居続けることに不安を感じていた僕に、彼女が夜になれば寄生蝉も鳴き止むかもしれないって教えてくれたんです。
これで心置きなく一週間を過ごせそうだと、僕は胸を撫で下ろしました。
「よかった~!これでベッドで寝れるし、シャワーも浴びれる!明日も暗い内にこの公園に来れば、誰にも会わずに済みそうだよ。一週間ずっとこの公園にいるつもりだったけど、さすがにキツイよね」
僕が安堵の表情で笑顔を浮かべると、隣りで彼女ももふふって笑っています。
「そうよね。それは確かにキツイね。でもこれでゆっくり海斗くんが休めるって分かったから、私も安心した。それにしても海斗くんの声って、初めて聞いたけれどすごく可愛い声なんだね」
その感想は、僕の顔を赤くするには十分過ぎました。思わず咳ばらいをした僕を、彼女があの笑顔で見つめています。
「……じゃあ、途中まで一緒に帰る?」
「……うん」
駆け上ってきた公園への道をゆっくりと歩みながら、僕達は自然に手を繋いでいました。
僕らの歩む道の先には、灯り始めた街の灯りと満天の星空が広がっていて……
二つの世界が、境界が分からないくらいに繋がって視えました。
その美しさを記憶の中に焼き付けながら、僕は残された時間を精一杯生きようと心に誓かったんです。
最初のコメントを投稿しよう!