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第5話 夏の真ん中。
視線を落としていた本に栞を挿んで、僕は視線を上げました。目の前に広がる街並みと蒼い空をゆっくりと流れる白い雲がとても美しくて、暫くその景色に見とれてた。
ふと、本を読んでいる時は遠かったヒグラシの鳴き声が近づいた気がして、夏の真ん中にいる自分に気がつきました。
ゆっくりと視線を隣に移すと、すぐ側で彼女が静かに本を読み耽っています。
活字を追いかける鳶色の瞳を見つめていると、すごく幸せな気持ちになれている自分に気が付いて、少し驚いてしまう。明日にはもう、この世界に僕はいないっていうのに……
でもこの瞬間は、確かに僕達は夏の真ん中にいました。
パタリ……と本を閉じると、彼女が顔を上げました。目と目が合うと、僕の夏が優しく微笑んでくれます。
「……なに見てるの? ふふっ、恥ずかしいよ」
返事の替わりに、僕はゆっくりと首を横に振りました。君が恥ずかしがる必要なんて、何一つ無いんだよ?
僕達の一週間は、あっという間に過ぎて行きました。その間僕達は、沢山の話しをしたんだ。それは大好きな本の話だったり、家族の話だったり、そして自分自身の話だったり……
そして話し疲れるとこうして二人で本を読み耽って、読書に疲れるとまた話しに華を咲かせる。……そんな日々。
それから僕達は、二人で沢山の景色を観てきました。黄金色に染まる峰から太陽がゆっくりと顔を出し始めるとカラフルに色付き出す、まだ眠そうな街と空。蝉時雨にゆらめく、夏色の空と森。夕立ちに霞む街並みと、雨が連れてきた空にかかる虹。
二人で観てきたどの景色も、僕は絶対に忘れることは無いと思う。
「そろそろ、お昼にしよっか?」
彼女はそう言ってお昼の準備を始めました。テーブルの上に広げられていくお弁当を見て、僕のお腹の虫がクーっと鳴きます。今日も彼女が作って来てくれたお弁当は、とっても色鮮やかで美味しそうです。
もしも明日世界が終わるなら最後に何を食べたいかと聞かれたら、僕は迷わずに紅葉の手作りお弁当がいい!って答えると思う。それ位、彼女が毎日が作ってきてくれたお弁当は美味しかったんだ。
「今日は僕もケーキを作ってきたんだ。お弁当を食べ終わったら、一緒に食べようよ?」
「ええ~?海斗くんが作ったケーキぃ~?」
「何だよ、その言い方。僕だってケーキくらい焼けるんだぞ」
「ふふっ、うん!楽しみにしてるね」
二人で笑い合った後、僕達は食事を楽しみました。多分、僕にとっては最後になる食事です。食事の間も耐えることのない会話と笑い声は、元々美味しい紅葉のお弁当を更に美味しくします。間違いなく、僕の人生で一番美味しい食事だと思う。
食事の後、僕達は思い思いに本を開きました。すぐ隣には勿論、紅葉がいてくれます。僕が幸せの余韻に浸りながら、読みかけの本に視線を走らせていると、暫くして彼女がコクリコクリと船を漕ぎ始めました。
……どうやら、ケーキに仕込んでおいた睡眠薬が効き始めたようです。
竹田海斗は、ゆっくりと本を閉じると今まさに眠りに落ちようとしている黒木紅葉の前に立った。そして起こさない様に注意を払いながら、そっと彼女が両耳にはめている耳栓を抜き取った。
「海斗くん…… なんで?」
目を覚ました彼女は、あのアーモンド形の目を大きく見開いて驚きの表情を浮かべている。しかしそれも、ほんの僅かな間のことだった。直ぐに彼女が海斗を見つめる眼差しは驚きから憂いへと変わり、そして最後には熱を帯びた潤んだ眼差しへと変わっていった。……そう。雌が雄を求める時にみせる、あのねっとりとした眼差しだ。
「……おいで、紅葉」
ふらふらとおぼつかない腰つきで立ち上がった紅葉を海斗が抱き寄せると、彼女は直ぐに海斗の唇を求めてきた。そして海斗も、直ぐにそれに応える。
お互いを確かめ合うように続いたその長いキスから唇を離すと、彼女はぐったりと海斗の胸にその体を預けてきた。震えながらしがみついてくる様子や慣れていない口づけが、彼女の経験の無さを海斗に教えていた。……彼女は、きっと初めてなのだ。
自分の腕の中で甘い吐息をつく紅葉の耳元に、海斗は囁く様に声を掛けた。
「紅葉、ゴメンね。ずっと黙っていたけど、僕は自分で自分に寄生蝉を寄生させたんだ。君とこうなりたくて、ね。
だけど、あんなに大事になるなんて思いもしなかった。だって僕は、君にだけこの蝉の声が届けばよかったんだよ?」
しかし海斗の声は、彼女には届いていない様子だ。また唇を求めてきた彼女と激しいキスを交わすと、堪えられなくなった欲情に身を任せ、海斗はベンチの上に紅葉を押し倒した。
制服のリボンをシュルリ――と、ほどいてブラウスのボタンを一つ一つ外していくと、目に眩し過ぎる白い肌が少しずつ露わになってゆく。そしてブラウスの中に窮屈そうに仕まわれていた二つの膨らみが解放された喜びに揺れた時、海斗に僅かばかり残こされていた理性は完全に消失した。
自身の欲望を彼女の中に埋めきる前に、海斗はもう一度だけ彼女の顔を覗きこんだ。
とろりとした表情でそれを待つ彼女の鳶色の瞳に写っている自分が、ぼやけて消える。それを見た時、海斗は紅葉が泣いているのだと気が付いた。
「……僕は、本当に汚れてる。初めての相手が僕なんかで、本当にゴメンね」
それでも海斗は、止めようとはしなかった。どこまでも深い深い快楽の海の中に、二人で沈み込みたい。彼女もきっと、それを望んでいることだろう。
その時だった。世界がグニャリ……と、歪んで反転した。
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