今日も辻家くんは凛々しくて麗しい

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今日も辻家くんは凛々しくて麗しい

早く、早くしないとっ。 辻家(つじいえ)くん、水曜日は予備校だからバレー部の皆んなとは一緒に帰らないんだ。 一人で帰るんだ。 だから、昇降口へ急がないと。 ── また明日ね って、今週も言いたいっ。 「僕、先に失礼します」 ドタバタと荷物をまとめて、写真部を飛び出した。 もう帰っちゃったかな? まったくもう、部長の話は長くてやだよ。僕が時計を見てそわそわしているのに、全然空気読まないんだもん、辻家くんと会話ができるかもしれない唯一チャンスの日なのに。 一目散に昇降口へ向かい、もう目の前ってところで、 「染谷(そめや)、なに急いでんの? 」 えっ!? ええっ!? 辻家くんっ! 背中で聞こえたのは、間違いなく辻家くんの声。 リュックの肩紐を両手で握りしめたまま、そーっと後ろを振り返った。 「あ、ああ、つ、つ、辻家くんじゃない」 緊張して声がうわずってしまったし、ものすごく棒読みにもなっていた。 恥ずかしい。 「染谷も今帰り? 」 「う、う、うん、そ、そう」 やだな、とんでもなく良い方に予定が狂ってしまったから、喜びが狼狽えになっちゃってる。 「何部だっけ? 」 「しゃ、写真、部…… 」 部活でたくさんの汗を掻いただろうに、むさ苦しさなんて微塵もない辻家くん、笑顔だってそれはそれは輝いていて眩しい、思わず目を閉じてしまうほどだ。 でも閉じていては辻家くんが見えない、頑張って薄目を開ける。 僕が写真部と答えるのに、気後れがしてしまうほどに、今日も辻家くんは凛々しくて麗しい。 「写真部か、体育祭とか文化祭とか撮ってくれてるよな 」 下駄箱からスニーカーを出し、扉を閉めながらなおも笑顔で話しかけてくれる辻家くん。 大抵、写真部というと「ふぅーん」みたいな、なんの活動してるんだよって、ばかにしたように言われることが多いのに辻家くんは違った。 ちゃんと、写真部の活動を分かってくれていた。 ── 撮ってくれてるよな って、『くれてるよな』って。 ああ、それだけで僕はもう充分。 一年分の幸運を使い果たしてしまったと思えた。 「う、うん…… でもほとんど、先輩が撮ったやつが採用されるんだけどね」 「先輩たちだって、秋の文化祭で引退するだろう? そしたら染谷なんかが中心になるじゃん」 辻家くんとこんなに会話してる。 十年分の幸運の在庫がゼロだ、いや一生分かもしれない。そもそも幸運なんて、僕にはそれほどないと思うし。 でも、絶対にこのチャンスを逃しちゃいけない。 なにか話題を見つけなくちゃ、気持ちが焦るだけでなにも見つからない。 「めちゃくちゃ暑いな」 なんと、昇降口から出てもなお、辻家くんと一緒に歩いている。 まだ梅雨は明けていないのに、晴れた日の暑さが厳しすぎた。 憎らしげに真っ青な空を見上げて辻家くんが言う。 「そ、そうだね。暑いね」 そう応えるのがやっとの僕。 リュックでよかった。肩紐を握っていられるから。 じゃなかったら、両腕が遊んでいたら、きっと両足両腕、右腕と右足、左腕と左足が一緒にでちゃって、変な歩き方になっていたと思うもの。 「染谷もこっち? 」 校門を出て、左方向を指さし辻家くんが訊く。 左方向には駅がある、でも辻家くんは徒歩で通学、家から近いからこの高校を選んだって聞いた、誰かから。 「あ、僕、ちょっと寄るところがあるから」 僕は電車通学だから駅へ向かう、辻家くんと帰る方向は同じだけれど緊張してしまってこれ以上一緒にいられない。 心臓が破裂しそうだ。 寄るところがあると、右方向へ足を踏み出したとき、 「そっか、じゃ、また明日な」 ── また明日ね って、僕が言えるんじゃないかと思っていたんだ。 いつもなら、一人で帰る辻家くんを昇降口から見えないところで待って、下駄箱の扉を開けた音が聞こえた時、素知らぬ顔をして僕は向かう。 ── お、染谷 ── あ、辻家くん、今から帰るの? ── ああ、染谷も? ── うん、また明日ね って、同じ会話が毎週繰り返されてきた。 なのに、今日は辻家くんから言ってもらえた。 ── また明日な って。 それに驚くほどの会話のやり取り、僕は天にも昇る気持ち。 帰って行く辻家くんの後ろ姿を、頬を赤らめ、ずっとずーっと見送っていた。 辻家くんを初めて見たのは高校の入学式。 新入生代表の挨拶で壇上にあがった姿を見て、一瞬で心を奪われてしまった。 すっきりと背が高くすらりとした手足、広い肩幅に大きな背中、なんといっても端正な顔立ちが女子、そして男子の視線をも釘付けにした。 「──── 新入生代表、辻家(つじいえ)巧眞(たくま)」 つじいえ、たくま…… くん。 鼓動がとくとくと弾んでいた。 僕はこの時から、辻家くんに恋をした。 辻家くんが戻る席を見て、同じクラスでないことが分かる、残念で仕方なかった。 でも隣りのクラスだと分かり、それだけでも嬉しく思った。 そうだ同じ部活に入ろう、と思ったけれど、辻家くんは中学からバレーボールで活躍をしていた人みたいで、入学早々バレー部から声がかかっていたようだった。 僕は運動が苦手だし、そこそこ強いうちの高校のバレー部に入るなんてとんでもない話。 最初の頃は、授業が終わるとそのまま家に帰っていたけれど、ちょっとだけでいいから見てみるだけ来てよ、と言われて美術部の先輩に無理矢理連れて行かれて、淡々と絵画を描いている人たちを眺めていた。 「どう? 」 どう? どうしよう。 ちっとも興味が湧かない、どう応えていいのか分からなくて、 「えっと…… とりあえず、家に帰って考えます」 そう応えた。 なんだかな、無駄な時間を過ごしちゃったな、と思いながら昇降口へ向かうと、がやがやとした声、数人が違う方向から近づいて来たのが分かる。 えっ! 辻家くん? あれは辻家くんだよね。 咄嗟に隠れた。 文化部でも、部活終わりは体育会系と一緒なんだ。 これは、文化部でも入れば、帰りに辻家くんとバッタリ会えるチャンスがあるかもしれない。 だって今がそうだもの。 なにか部活に入ろうっ! なんだっていい、辻家くんと帰る時間が合わせられるなら。 でも美術部はないかな、僕には絵心なんて全くないもの。 さぁ、何部に入るか考えないとっ。
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