特別な水曜日

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特別な水曜日

しかも名前の順で席に着き、辻家くんは左隣の列、僕の斜め前の席。 いつだって辻家くんが見える、視界の片隅にいつも辻家くんがいる。 授業中なんて前の黒板を、先生を見ながら意識は全部辻家くんに行っていた。 一年間席替えをしないで欲しいって、そう思った。 僕の隣、辻家くんの後ろの席は辻家くんと同じバレー部の戸張(とばり)くんで、ちょいちょい後ろを向いて話しをするから、僕は毎日心ここにあらずになる。 全然気にならないふりをするのが大変。 そしてバレー部の二人、テレビで見るバレー選手ほど大きくはないけれど、それでも周りに比べたら大きくて席に着いていても二人だけ頭が飛び出ている。 部活が終わったら早く帰るようにと学校側から言われているから、昇降口に来る時間はだいたい決まってきていて、一年の後半には隠れて待っていなくても一緒に下駄箱で合流することができていた。 そして二年生になってまもなくの水曜日、少し早く昇降口に着いてしまった僕。 ちょっと早かったかな、腕時計を見ながらどうしようかと考えていた時、辻家くんが一人で帰るところに遭遇する。 なんてラッキーなんだと思ったけれど、どうしてだろうかと不思議にも思う。 いつもバレー部の人たちと帰っていたから、辻家くんが一人でいることにひどく胸が落ち着かなかった。 落ち着かない胸は、今ここに二人きりの緊張と嬉しさと期待から。 「お、染谷じゃん」 「つ、辻家、くん…… 」 話しかけられてどきりとする。 それに僕の名前を知ってくれていた。 それだけでもこんなに鼓動が激しい、「辻家くん一人? 」って訊きたかったけれどそんな勇気はとても出ない。 「染谷も部活終わり? 」 「うん…… 」 「そっか」 「うん…… また、明日ね」 言ってしまって自分で驚いた。 また明日ね、ってそんなことを口にして、どうしようって思ってしまった。 なに言ってんの? って思われてないかな? すごく気になって辻家くんが見れなかった。 でも狼狽えちゃだめだ、努めて落ち着きを見せて自分の下駄箱の扉を開けたとき、 「ああ、また明日な」 その声に思わず視線を流すと、スニーカーを履いて手を上げ、爽やかな笑顔で颯爽と昇降口から出て行った辻家くん。 ── ああ、また明日な って、今、言ってくれたよね。 すごい笑顔だったよね。 交わす言葉といえば戸張くんの方に向いている時に「おはよう」って言われるくらいで、でもそれだけだって嬉しくてたまらないのに、話しかけてくれて会話が成立したんだ。 飛び跳ねたい衝動を必死に抑えて、この日の帰りの僕の足取りはきっと宙を浮いていたはず。 でもなんで一人なんだろう、やっぱり不思議に思ったけれど、その答えを翌日知る。 「巧眞、どうよ予備校」 「昨日初めてだから、まだよく分かんない」 戸張くんが辻家くんの背を突つき訊いている。 くるりと振り返った辻家くんに今日もドキドキ。 戸張くんは辻家くんを『巧眞』って呼ぶ、僕も『巧眞くん』って呼べたらどんなに幸せだろう、なんて一人で思って頬を赤らめた。 というか、予備校に行くから皆んなより早く帰ったみたい。 予備校か、すごいな。 そういえば新入生代表の挨拶は辻家くんだったもんね、入試の成績がトップだったからだって聞いたことがある。 この高校を選んだのだって、家から近いからって、そんな理由だった。 大学はきっと、レベルの高いところに行くんだろうなと思って、ますます遠くに感じてしまう。 こんなに近くになれたのに。 次の水曜日、辻家くんと戸張くんが話していた内容を忘れない。 誰よりもひと足早く写真部をあとにした。 やった…… 一人早く帰る辻家くんと下駄箱で一緒になれる。 「お、染谷」 「あ、辻家くん、今から帰るの? 」 「ああ、染谷も? 」 「うん、また明日ね」 「ああ」 こんなに短い会話だけれど毎週水曜日に交わされるようになって、ただでさえ学校へ行くのが楽しいのに水曜日は特別になった。 学校へ行くのが楽しみだと思う日が来るなんて、僕には想像もできなかった。 辻家くんのおかげで僕の毎日は輝いている。 そして、昇降口を出てからも一緒に校門まで歩いた水曜日。 ── そっか、じゃ、また明日な って、辻家くんに言ってもらえた。 部長の話しが長くて、辻家くん帰っちゃうよって思って、そわそわはらはらしていたんだ、腕時計に何度も目をやって。 中山くんは撮った写真をパソコンにまとめるのに集中しているから、僕くらいしか部長の話しを聞いてあげる人がいない、もう、帰りたいよ、辻家くんに会えないよっ!って心の中で叫んで部長を恨んでしまっていたけれど、そんなのも吹っ飛んだ。 たくさん会話をした。 校門まで一緒に歩いた。 僕が写真部だって知ってもらえた。 それは別に知ってもらわなくてもよかったけど。 でも、『撮ってくれてる』なんて嬉しい言葉をもらえた。 ある意味、長話しの部長のおかげかもしれないと思って、恨んだりしてごめんなさいって心の中で謝った。 明日の朝、「おはよう」って僕の方から辻家くんに言ってもいいかな。
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