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掃き溜めの天使は救われたい
手塚尊は不幸な少年だ。
まだ十六だと言うのに、人生の辛く苦しい側面を既に幾度となく体験しており、今回もその一環である。
せっかく受験勉強を頑張って合格した高校へ一年も通わないうちに、転居することとなってしまった。理由は夜逃げ同然の急な引っ越し。父親は決して悪い人間ではないのだが、身体と心根が弱く、コンスタントに働き続けることが難しい男だった。一家の主が定職に就けない手塚家は、常に金に困っていた。そんな中、四人きょうだいの長男である彼は、狭い家で三人の弟妹が騒がしい中、塾にも通わずこつこつと受験勉強を頑張り、家から自転車で通えるそこそこの進学校に入学できたのだった。
それなのに。
引っ越し先から一番近い高校に編入することになった手塚は、登校初日から絶望することとなる。
その学校は手塚の学力とはかけ離れた、いわゆる”底辺校”としてその地域では知られていた。編入を受け入れる学校自体が少なかったのと、電車通学は金がかかるため避けた結果、こんなところに入るしかなくなってしまった。
長身で三白眼にごつごつとした輪郭で非常に人相が悪く、そのくせいつも背を丸めおどおどと気弱で陰気なイメージを与えるため、手塚は初日の放課後から学校の悪い奴らに早速目をつけられてしまった。
「おいお前、こんな時期に編入ってよっぽど訳ありなんだろうな」
「おっかねー顔してるし、人でも殺したんじゃねーの?」
ゲラゲラと笑う不良たちには目もくれず、手塚は家路を急ごうとした。このあと弁当屋のバイトが待っている。これからは週に五日シフトを入れてもらっている。とにかく金がいる、弟妹の学費の足しにしなくては。こんな輩にかかずらわっているヒマなどないのだ。
「ごめん、急いでるんで」
不良たちの横をすり抜けようとしたが、残念ながらすんなりと通してくれる気はないようだ。
「陰キャのくせにえらそうにスルーしてんじゃねぇよ」
「せっかく歓迎会開いてやろうってのにさあ、ちょっとこっち来いよ」
二人が両側から手塚の腕を組み、人気のない方へとどんどん歩みを進めていく。このままではバイトの時間に遅れてしまう、と手塚は焦る。我が身よりバイトの心配だ。
引きずられるように連行されていったのは、校舎裏の本当に人気のない場所だった。校舎の陰になって薄暗く、その日の天気も相まってじめじめと蒸していた。
「新しい仲間を歓迎しまぁす!」
嘘くさい猫なで声で一人が言うと、他にもどこからともなく数名の仲間と思われる生徒が現れた。これから殴られるのだろうか、怪我はバイト出来る程度にとどめて欲しいな、などと手塚が考えていると
「何してんの?」
場の空気にそぐわぬ間抜けなふわふわした声色が、緊張感をぶち壊した。
「ねえ、何か面白いこと始まる?」
恐る恐る手塚が振り返ると、声の主は一瞬性別がわからなくなるほどの華奢な少年。ミルクティー色の髪はふわふわと緩くウエーブがかかり、前髪をヘアピンで留めている。きょとんと大きく見開いた瞳は吸い込まれそうに煌めいていて、長くて濃い睫毛がそれを守るように覆っている。そして口には棒付きキャンディを頬張っていた。
「そんなことより僕ともっと面白いことしようよ、ね」
「は、羽田がそう言うんなら仕方ねえなあ」
「お前、羽田に感謝しろよ」
羽田と呼ばれた少年の一声に、すっかり空気は変わってしまった。男どもはデレデレと下卑た笑みを浮かべ羽田を取り巻き、手塚にはもうなんの興味関心もなくなってしまったようだ。羽田を見遣ると目が合って、ウィンクされた。今のうちに逃げろというメッセージなのだと手塚は受け取り、急いでバイトに向かった。
あの後何が起こったのだろう。手塚は想像もつかなかった、と言えば嘘になる。あいつらのいやらしい笑いから、とても嫌なストーリーを予想してしまうが、自分のせいで羽田がそんな目に遭ったのかと思うと否定したくなるのだ。そのことばかり考えて、同じおかずを二個入れてしまったり、ご飯とご飯をお客さんに渡してしまったりとミスばかりしてしまったが、初日ということで大目に見てもらえた。明日からは気を引き締めて頑張らないと、と手塚は反省し、気持ちを切り替えようと思った。
翌日、登校して教室を見渡すが、羽田はいない。同じクラスではないのだろうか。そもそも同じ学年かどうかもわからない。
隣の席の親切な少年に、羽田という男を知っているかと尋ねた。
「羽田智之くんだろ? もちろん知ってるよ……この学校で知らない人はいないよ」
ばつが悪そうに俯いた生徒の顔がわずかに赤らんだように見えた。
「同じ一年? 何組かわかる?」
「ってっ、手塚くんもそうなんだ?! 早速?!」
何を言われているのかさっぱりわからない手塚が絶句しているとチャイムが鳴り、授業が始まってしまったため、会話はそこで途切れた。肝心なことは何もわからないままだった。
時が経てば経つほど、記憶の中の羽田が美化される。まるで手塚を救うために地上に降り立った天使のようだった、と思うまでになっていた。
羽はさすがに見えなかったが、西日が背後からさしてまるで後光のようだった。また会いたい。もう一度あのご尊顔を拝したい。お声がけが許されるなら、あの時のお礼を申し述べたい。と、手塚の中で羽田の神格化が止まらない。
だがその願いも虚しくその日は羽田を見つけることは出来ず、がっかりしながらバイトに向かったのだった。
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