1 朝の風景

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 子供の頃、もう二度と元には戻らないような怪我をした。  それはもちろん、貴志狼のせいではない。ずっと、貴志狼はそれを自分のせいにしていた。でも、葉の面倒を見たり、葉を守ったりしたのは、単に気に病んでいたからではない。それは、負い目と言うよりも、その葉の身体のことを葉と一緒にいるための口実にしていたのだと、告白の後に聞いて、こんな身体になったこともまんざら無駄ではなかったと思った。    だから、葉はまともに動いてくれない足を苦痛に思ったことはない。人は不自由な葉の身体のことを可哀想と言う。けれど、葉は、この不自由な足が愛おしかった。この足は葉と貴志狼を繋いでくれているし、ある意味で、葉を自由にしてくれた。  だから、と。というわけではないけれど、葉は貴志狼が負い目を感じる必要なんてないと思うし、それを理由に葉を甘やかさなくてもいいと思う。  けれど、貴志狼は多分、そんなことがなくても、葉を甘やかす。葉がどう思っていようとも、貴志狼は葉を甘やかすことが趣味なのだ。葉を甘やかすことに至上の喜びを感じている生き物なのだ。  というわけで、眠っている葉を起こさないように、そっと出て行く貴志狼を咎めることが葉にはできないでいた。  それほど重くはないため息を一つ吐いて、葉は朝食を作るために立ち上がった。  今日は足の調子がよさそうだ。ずっと続いていた秋の長雨の中休みだからだろうか。窓から差し込む光は眩しい。  無理せずゆっくりと、壁を伝って、キッチンに向かう。そこで、薬缶に水を汲んでコンロの火にかける。それから、葉は玄関に向かった。  古い回転式の鍵を外して、からから。と、かわいい音がする玄関の引き戸を開ける。それから、玄関の脇にある外付けのポストを開ける。中には地方版のタブロイド紙と、やはり地方版の新聞。それから、何通かの封書が入っていた。  新聞を脇に挟んで、封書を確認する。  昨日、緑風堂を閉店した後に、ポストは確認した。それなのに、また、新しい封書が届いているのは、本当ならおかしいはずだ。緑風堂の閉店時間は7時過ぎ。その後に郵便の配達などあるはずがない。 「……また。か」  封書の差出人は『佐藤太郎』。冗談なのか、偽名なのか、何かの隠喩なのか、判断がつかない。  宛て先はもちろん、『風祭葉』。ただし、住所は書いていないし、消印も押されてはいない。  と、いうことは、この封書が恐らくは書いた本人の手で、葉の家のポストに投函されたのだと分かる。  今度は重いため息をついて、葉は家の中に引っ込んだ。もちろん、引き戸に鍵を掛けることは忘れない。くるくる。と、ネジのような鍵を掛けながら、封書を見つめる。  それは、数か月から始まった。
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