山は見るもの?

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山は見るもの?

 人生、山あり谷あり。  「人生には起伏がある」という例えで、住む場所の話ではない。  山や谷は住むのに不便だし。  それは住んでみなくても分かることだった。  しかし、定年を迎えた父は「山に住む」と言い始めた。 「山は見るものだろ? 住んだら大変だよ」  僕は忠告したが、「俺の人生だ」と父は譲らなかった。  山奥の廃屋を買い取り、最低限のリフォームを施した。  「退職金の無駄遣い」と母は最後まで移住に反対。  結局母は自宅に残り、父が一人で山に住むことになった。  心臓に持病がある父。  ただでさえすぐに行けない場所なのに、そのうえスマホの電波も届かない。 「急変したらどうするの?」  母が心配するのも当然だった。  しかし、「心穏やかに暮らせば健康になるさ」と父は笑った。 「たまに見に行ってくれない?」  母に頼まれて、僕が月に一度山へ偵察に行くことになった。 「親父、どう?」  携帯電話が繋がらないので、いつも訪問は突然になる。 「お、お、おおッ、お前か!」  その度に、父はオーバーなほどに驚いた。  心臓が弱い父だ。  急に顔を出してビックリさせるのはマズイと思った。  僕の報告を受けて、母も「毎月行かなくてもいいわ」と折れた。  だが、次にサプライズを受けたのは母だった。  隣町のイオンモールのマクドナルド。  ファーストフードを滅多に口にしない母が偶然立ち寄ったら……。 「アナタ、山にいるんじゃなかったの?」  会社の元部下と仲良くデート中の父にバッタリ出くわしたのだ。 「お、お、おおッ、お前か!」  とは、ならなかった。  父はシラーと視線をそらし、相手の女性を残してスーっと店を出たらしい。  僕が訪問した時の父のリアクションは演技だったのか?  僕らを山に寄せつけないための?  それから父は相当額の預貯金を母に残して、生まれ育った町を離れた。  風のウワサに北関東の観光地で一人、旅館の住み込みバイトをしていると聞いた。  人生山あり谷あり。  父の人生が今、どこに当たるのか?  他人の目には谷底だろうが、僕にはどちらか判断できなかった。  定年までほとんど会社を休まず、毎日遅くまであくせく働いた父。  家の中ではいつも苦虫を噛み潰したような顔をしていた。  それが今では何にも縛られずに生きている。  意外と笑顔でハツラツと働いているような気がした。  それって人生の絶頂だったりして?  ただ、僕はあえてその山に登ろうとは思わないが。  しばらくして、テレビのニュース番組である山あいの村が紹介された。  かつては「やまびこ日本一」で村おこしを目指した観光地だった。  だが、地形の変化か気候の変動か、昔ほど「ヤッホー」が返って来ないという問題に直面した。  「日本一」を返上して意気消沈していたそんな村に、救世主が現れた。  新しい観光の目玉になる『やまびこシステム』が開発されたのだ。  観光客が見晴台から「ヤッホー!」と叫ぶと、「もっと大きな声でー!」とやまびこが返ってくる。  しかも、叫んだ当人ソックリの声で。  それがSNSで話題となり、小さな村に再びやまびこ目当てに人が集まっているという。  「バカヤロー!」と叫べば、「おまえもなぁー!」。  「お金持ちになりたーい!」と叫べば、「無理でーす!」。  「カノジョがほしいー!」と叫べば、「それもムリでーす!」。  『やまびこシステム』の開発者としてテレビ画面に登場したオジサンを見て、僕と母は口に含んだお茶を吹き出した。 「親父!?」 「お父さん!?」  音声を使った技術開発の研究者だった父にとって、観光客が叫んだ声を即座にサンプリングして転用することなど朝メシ前だった。  見晴台の真下に設置したマイクで声を拾い、観光協会員がアドリブで返した言葉が今度は対面の山に設置したスピーカーから流れる。その時に、音声変換システムが作動するのだ。 「ボイスチェンジャーの技術を応用しまして……」  緊張気味にシステムの説明をする画面の中の父。  元気そうで良かった。  旅好きの母は早速、週末出かけようと僕に言った。  そして、週末。  天気も良く、テレビで紹介されたばかりの『やまびこスポット』にはそこそこの観光客が集まっていた。  番組で見た見晴台に立ち、母は大きく息を吸って叫んだ。 「あなたー! そろそろ帰ってきたらぁー?」  あらかじめ僕が観光協会に連絡を入れておいたので、その日の『やまびこ係』は打ち合わせ通り開発者の父に押しつけられていた。  アドリブに弱い父だが、心臓も弱い。  「大丈夫か?」と僕はヒヤヒヤしたが、ずいぶん間があって対面の山のスピーカーから声が返ってきた。 「はい。どうも、すみませんでしたー」  やまびこにしては消え入るような声量だった。  システムを作動させず、父の地声だったところに僕は母に対する誠意を感じた。 (了)
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