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桜の下の死体を暴いてやろうと思ったのだ。
「桜の下には死体が埋まっている」とは有名な文言だ。
言われるようになった所以には、古来“桜”と名のつく地名には死体が捨てられていただとか、それが梶井基次郎の短編小説で強化されただとかの理由があるわけだが、個人的には人間の心理に基づいているのだと思っている。
美しいものには理由があり、その理由はとても他人の目には晒せないような醜いものである、あって欲しいという心理。
人間、どんなに美しく品行方正な外面をしていても、中身が伴っているとは限らない。
芸能ゴシップ記者として、そんな存在はごまんと見てきた。清純派で売っておきながら五股をかけていた役者。有名おしどり夫婦の実態はDVの絶えない凄惨なもの。
どんなに取り繕ったところで、裏の顔と表の顔は、そう簡単には切り離せない。どちらも持っているからこその人間だ。
表から秘された、醜い裏の顔こそを人間は知りたい。足を引っ張りあって、見上げていた人間を引き摺り下ろして嘲笑するのが、最も「気持ちのいい」ことだ。
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