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港町の歌姫
僕はキャリーケースから出せと騒ぎ立てる黒い毛糸玉を安宿に残して、まだ夕陽の残滓の残る夜の街に出た
目的地は、陽のある間に着いた時に場所の確認が出来ているので迷うことなく辿り着いた
正直僕には敷居の高い、高級そうな酒場だ
意を決して扉を開いて足を踏み入れる
むせ返るような煙草の煙と様々な酒の香りが纏めて襲い掛かってくる
ただ、客席を埋めているのは居酒屋ではなく高級クラブに出入りするような、スーツ姿ばかり
東洋人が珍しいのか、一瞬注目を集めたが
直ぐに興味を無くされたようで、恐れていた酔っ払いに絡まれる事なくカウンターに向かい、幸いな事に空いていた奥から二番目のスツールに陣取りギムレットを頼む
バーテンダーは無言で頷きシェーカーにジンと氷、ライムジュースを注いでシェイクし始めた
店の一番奥にはステージがあり、僕より少し若いと見た、ウェーブのかかった黒髪に黒い瞳の歌姫がバックバンドの演奏に合わせて歌っている
情熱的な真紅のドレスがよく似合う、やや切れ長の瞳と気持ち厚めの唇が、彼女の美貌を引きたてている
僕には音楽のジャンルがわからないが、恐らくはここスペインではメジャーな部類に入るのだろう
と、一瞬目が合ったような気がしたが、すぐに逸らされたので多分僕自身が自意識過剰になっているのだろう
僕が店に入ってから、5杯目のギムレットを注文した時、彼女のステージは幕を下ろした
ビールやワインではなく値段が高めのカクテルを何杯も注文する東洋人は珍しいからか、バーテンダーの愛想がすこぶる良いような…
ギムレットに口をつけようとした時に、空けてあったスツールに人が座る気配
微かに香る薔薇の香り…女性か
「この人と同じもの」
思わず振り向いて見てしまう
それがアンジェリカの方の依頼主との邂逅の合言葉だったからだ
入口から来るものだとばかり思っていたが…まさかまさかの先程までステージに居られた歌姫が依頼主とは
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