03. You belong to me

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03. You belong to me

「もーっ、おにーさん! 昨夜ここに痕つけたでしょ、これ!」  その姿を見せるよりも早く、玄関のドアがバタンと閉まる音と一緒に絢斗の怒った声が飛んできた。 「お……おかえり。どうした?」  状況が飲み込めず、ソファに座ったままそっちを見ると、すぐに絢斗がリビングへ足早に駆け込んでくる。その怒った顔は少し紅潮していて、俺を見た途端にますます赤みが強くなった。 「ここ! これ、昨夜してる時につけたでしょ! 服で隠れないとこにはつけちゃダメって言ったのに!」  俺を非難するような目で睨みながら、絢斗は自分の首筋を指差して俺に示している。そこにはこの距離ではほとんど見えないほど小さな虫刺され痕のようなものがひとつできていて、淡い桃色が絢斗の肌の白さをことさら強調しているように見えた。  絢斗が何に対して怒っているのか最初は全く理解できなかったけど、それを見ていると昨夜絢斗としていたことをぼんやりと思い出してきて、ようやく合点がいった。  まだ絢斗と付き合い始めて間もない頃、初めて一晩一緒に過ごした時に言われたことは俺だってちゃんと覚えている。服を着ても隠れない場所にはキスマークをつけないというあの時の約束を、今も俺は忠実に守っている……つもりだけど、たまに自分でも覚えていないうちにこんなふうに目立つところにつけてしまうことがどうしてもある。  そうか、またやってしまったのか。昨夜は前回から少し間が空いていたから、いつもより気分が盛り上がってたのかもしれない。そんなこと言ったって言い訳にすらならないのだけど。冬ならマフラーやコートでどうにか隠せても、今の季節は誤魔化しようがない。 「ご、ごめんって。でも俺、そんな強く残してない……」  悪いとは思いつつも、夢中になっている最中にしたことを冷静になってから咎められても困る。しどろもどろに反論する言葉を探そうとしていると、絢斗は相変わらず赤い頬をしたまま俺にみなまで言わせずまくしたててきた。 「今日学校で同じクラスの子から蚊に刺されてるよって言われちゃったんだから! バレてなかったからいいけど、次から気を付けてよ!」 「わ、悪かったよ。もうしない」 『水島くん、ここ。蚊に刺されてるよ』 『えっ、うそ? あ……こ、これか』 『気を付けてね。真っ白で綺麗な肌なんだから』 『あ……うん。ありがとう』  ……そんな感じのやりとりがあったらしい。  学校で誰かにわざわざ指摘されたのか……確かにそれは気の毒だ、悪いことしたな。絢斗もきっとその時は気が気ではなかっただろう。 「おにーさんって、興奮するとすぐ痕つけるんだもん」 「だからごめんって」  言いながらそっと絢斗の首筋を見つめる。  でも、あんな見えにくいとこにある、しかもほとんど消えかかってるような薄い痕、普通ちょっと見ただけで気付くかな。相当じっと観察してなきゃ見えないと思うんだけど……。  * 「ねー、おにーさん。オレのハーフパンツ知らない?」  風呂から出てきた絢斗のぺたぺた歩く足音が聞こえてくる。洗い終えた食器を片付けながら振り向かずに答えた。 「ああ、さっき洗濯しちゃったけど……あれ、もうひとつあったよな?」 「ええー? ふたつともなかったよ。もしかして、両方とも一緒に洗っちゃったの?」 「……かもしれない。ごめん」  季節の変わり目は天候が安定せず、タイミングよく週末に晴れるのを待っていたらいつまで経っても洗濯ができない。ちょうど今日は定時で帰れたから、ここのところ雨続きで溜まってきていた洗濯物を片付けてしまおうと絢斗が学校に行っている間に洗濯機を回してしまったのだ。洗濯機に衣類乾燥機能は付いているけど運転音が大きく夜間の集合住宅では使えないので、洗ったものは今リビングで部屋干しにしている。 「んー、まあいいや。今日もまだ暑いし」  そう言ってリビングに入るなりソファにぽんと座った絢斗は、上は俺のTシャツ、下は自分の下着を穿いただけの格好だった。初めてこの格好をさせた時はあんなに恥ずかしがってたのに、今はもう平然とした顔で歩き回っている。付き合い始めてだいぶ経つし、俺だっていつまでもこの程度のことでいちいち戸惑うような年ではない。分かってはいても、ソファの上であぐらをかいてスポーツドリンクをこくこくと喉を鳴らしながら飲んでいるその姿は、やっぱり少し目のやり場に困ると思う。  濡れた髪の先からぽたりと雫が落ちて、絢斗の首筋に昨夜俺がつけた桃色の痕を濡らすのを見て、あわてて目を逸らした。 「絢斗、髪ちゃんと拭けよ。また風邪引くぞ」 「うひゃっ」  なるべくまともに見ないように気を付けながら絢斗の隣に座り、肩に掛けていたタオルで頭を少し乱暴にわしゃわしゃと拭く。絢斗は持っていたペットボトルをローテーブルに置くと、大人しくじっとして俺にされるがままになっていた。  一緒に暮らすようになれば少しは落ち着くと思っていた。もっと穏やかな気持ちで絢斗を好きでいられるようになるはずだと、そう期待していたのに。  俺の思惑に反して、俺の中の絢斗への衝動は落ち着くどころかますます大きく膨れ上がっていくばかりで、今でも時々どうしたらいいのか分からなくなる。  昨夜この首筋に痕をつけてしまったのだって、完全に無意識のうちにやっていたことだ。こんなに一緒にいるのに俺は今でもまだ自分を抑えることができなくて、その度に戸惑い途方にくれている。  絢斗が欲しい。  他の誰にも見えないように、俺の腕の中だけに閉じ込めておきたい。  だけどそれができないから、せめてこいつは俺だけのものだと絢斗のどこかに印をつけておきたくて、あんなことをしてしまったのだろう。そうしておかないと、俺が目を離した隙にきっと他の誰かが絢斗を見つけてしまうから。絢斗に触れてしまうから。  ……アホか、俺は。  要するに絢斗にマーキングしたいだけだろ。冷静に自己分析してから普通に引いた。  髪を拭き終わってタオルを絢斗の肩に掛けた時、あぐらをかいている絢斗の左足の太腿の内側に小さな桃色の斑点を見つけた。昨夜はこんなところに痕をつけた覚えはない。まじまじとそれを見ていると、そこだけ周りよりも少し腫れたように膨らんでいることに気が付いた。 「あ、絢斗。こっち、本当に蚊に刺されてるよ。ちょっと腫れてる」 「えっ? どこ」 「ここ」  腫れているところを指差すと、絢斗は両膝を立てて座り直し、太腿の内側を覗き込もうとした。 「んー……見えないけど」 「結構下の方だから、脚開かないと見えないと思うよ」  絢斗の膝の裏あたりを少し強めに押さえて、そのまま軽く両脚を開かせようとする。 「え、あっ……ちょっと」  俺の行動を予想していなかったのか、絢斗は後ろに両手をついて戸惑ったような声を漏らした。  少しだけ絢斗に近づいて、絢斗の太腿の内側をじっと見つめる。絢斗の色素の薄い肌の中、虫刺されの痕がさっきよりも赤みを増したように見えるのは俺の幻覚なのだろうか。 「……見える?」 「ううん……」  絢斗は俺の目を見ようとしない。でも、自分の虫刺されの痕を確認しようともしない。ただうつむいて、消え入りそうな声でそう呟いただけだった。  肩に掛けたタオルにほとんど隠れている首筋の痕が、さっきまでの淡い桃色ではなく熟れたサクランボのように赤くなっている。きっと、俺の目にそう見えるだけなのだろう。分かっていても、今の俺にはそれを理解するだけの思考力が残っていなかった。 「ここだよ、ここ」  絢斗の太腿に手をゆっくりと滑らせていき、その鮮やかな赤い色に誘われるように、俺の指先は虫刺されの痕に触れた。俺の意思ではない、無意識だった。 「んっ」  予想したとおり、絢斗は素直にピクッと震える。 「スケベな蚊がいるみたいだな」 「や、柔らかいとこが好きだっていうからね。二の腕とかさ」 「ふーん。なんか分かるかもな、それ」 「え?」 「俺も、絢斗の柔らかいところ大好きだから」  言いながらその痕の周りを指の腹でそっと撫でると、絢斗は目をぎゅっと瞑った。 「……ん、やっ……」  もう俺でなくても分かるほど、絢斗の頬は桃色に染まっている。絢斗はじっとうつむいたまま、俺の視線から逃げようとしている。 「結構腫れてるけど、痒くないの?」 「うん、別に……なんとも」 「そっか」  だから嫌なんだ。ほんの少しだけでも目を離した隙に、こんなところを蚊に刺されるなんて。しかも全く気付かなかったって、無防備にもほどがある。  絢斗が俺の目の届かないところにいると思うだけで気がおかしくなりそうだ。  だってそうだろ。こんなに真っ白で綺麗な肌、誰だって一目見たら目が釘付けになる。目が離せない。その中には絢斗に対して邪な気持ちを抱く奴だって絶対にいる。俺以外の誰かが絢斗をそんな目で見ているのかと思うと、胃の奥がひどく不快で気分が悪くなる。  絢斗は俺だけのものだ。  絢斗を変な目で見るな。  絢斗に触るな。  自分の中でうごめく昏い何かをぼんやりと見つめていると、不意に絢斗の片手が俺の腕にそっと触れた。 「あの、おにーさん」 「ん?」  絢斗は顔を上げて俺の目を見た。何かを懇願するように俺を見上げるその目の中で、俺は今どんな顔をしているのだろう。 「……むずむず、する」  ほんの少し上擦った声が、うわごとのように呟いた。 「なんだ、やっぱり痒くなってきたのか。虫刺されの薬あるから、持ってくるよ」 「じゃなくて……」 「なに?」  俺の腕を掴む指先に、きゅっと力が込められる。 「だから、ここ……熱いの」 「エアコンの温度下げる?」  聞き返すと絢斗は唇を噛んで、ますます頬を紅潮させて俺の目を睨んだ。 「いじわる、しないでよ」 「何のこと?」 「……」 「絢斗」  またうつむいてしまった。少しやり過ぎたかな。  そう思った時、ほとんど聞き取れないほど微かなため息が絢斗の唇から零れた。 「……エッチ、したい」 「よくできました」  今夜は痕を残さないよう気を付けないと。  絢斗はいつも部屋の明かりを消してと言う。俺は絢斗の顔も身体もよく見ていたいから本当は消したくないけど、絢斗にとって負担に感じるような要素はひとつでも多く潰しておきたい。  だから今日も部屋の明かりは消して、リビングの隅に置いてある小さなテーブルライトが放つぼんやりとしたオレンジ色の光だけを頼りに絢斗に触れた。 「もう、こんなに……」 「だって……おにーさんが、焦らすから」  薄暗い中でもはっきりと分かるほど赤い顔をした絢斗は、今にも泣き出しそうな目になっている。たった今しがた脱がせた絢斗の下着を床にぱさりと落とすと、既に先走りが溢れ出しているそこからむせかえるような絢斗の匂いが漂ってきた。 「きっとここ刺した蚊も、絢斗のエッチな匂いに誘われてきたんだろうな」 「オレ、そんな匂い……しないもん」 「するよ」  驚かせないようにそっと触れたのに、絢斗の小さな身体はビクリと震えた。 「んやっ」  その弾みで倒れそうになったけど、すぐ後ろにあったソファの肘掛けに絢斗が背中を預けて何とか座ったままの体勢を保っていられた。 「絢斗の身体って、すごくやらしい匂いがする」 「なに……言って」  ソファの背もたれについた手をぎゅっと握りしめながら、絢斗は戸惑ったように俺を見ている。 「……ちゃんと俺の匂いつけておかないと、また別の蚊に刺されそうだな」 「え……」  俺はソファから降りるとそこに跪いて絢斗の両足首を掴み、俺の方に向くよう軽く引っ張りながら少し強めに脚を開かせようとした。正面から向かい合った時に俺が何をしようとしているのか分かったらしく、絢斗は脚に力を入れてなかなか開かせようとしない。 「ちょっ、おにーさん……ま、待って」 「何だよ、したいんだろ?」 「でも……っ、だ、ダメ。出ちゃってるから、汚いよ……」 「初めてするわけじゃないだろ。ほら、脚開けって」 「あ……」  微かに震えている絢斗の脚は、少し強引に左右に押すとあっけなく開いた。困惑しきった表情で俺を見下ろしたままソファの背もたれを必死に握りしめる絢斗の目には、明らかにこれからされることへの隠しきれない期待が込められている。  屹立した絢斗のそれを根元から指で支え、先端からまた溢れ出てきた絢斗の雫を舌でそっと舐め取った。 「あ、あっ……! やっ、だめ」  ほのかな石けんの香りに混じって、もはや隠せないほど強く絢斗の匂いがする。頭の奥が痺れて、めまいがした。 「やめ、やめて、おにーさんっ……そ、それ……だめ、なのっ、あっあっ、やだ」  絢斗は素直だ。俺が舌を這わせて少しずつ少しずつ先端へと進む度、俺の舌の動きひとつひとつに敏感に反応して、その小さな身体がビクッと震える。俺はいつも絢斗に触れる時、絢斗を驚かせないようにと細心の注意を払って優しく触れているつもりだけど、今の絢斗はどんなにそっと触れても驚いたように震えてしまう。  きっとこいつのことだから、そんなふうに敏感すぎる自分の身体を恥ずかしいと思っているのだろう。ちらりと視線だけで見上げると、絢斗は耳まで真っ赤になって必死に何かを堪えているような表情で俺を見ている。目が合った時、また絢斗はビクッと小さく震えた。 「……すごい、絢斗の匂いがする」  まだ咥えてもいないのに、絢斗からそっと離れた瞬間つうと細い糸が引く。 「おにーさん……おねが、い、も……やめて」  頭の上から途切れ途切れに落ちてくる絢斗の声は少し掠れていて、息遣いが荒く苦しそうに聴こえる。 「どうして?」 「で、出ちゃうよ……」 「いいよ、出して」  絢斗を先端から咥えこもうとする俺の頭を、絢斗の手が頼りなく押さえて止めた。 「だめ……っ、ソファ、汚しちゃう」 「俺の口の中に出して大丈夫だよ。我慢しないで」 「そんなの……っあ」  隙をついて咥えた瞬間、絢斗は切ない声を漏らした。 「やっ、ああっ……ん、んやっ、おにーさん……っ! だめ、だよ、あ、あっ」  絢斗は何かしがみつくものを探すように、ソファの座面の上で指をぎゅっと握っている。  絢斗の匂いがする。まるでこの部屋中に充満しているんじゃないかと錯覚するほど、絢斗の匂いしかしない。そのあまりに甘美で魅惑的な匂いに閉じ込められたまま、俺はただ無心で絢斗を貪った。 「んっ……う、んん」  何度も唇を上下に滑らせながら、同じ速さで両手の指でも少しずつ絢斗を追いつめていく。夢中になっている俺には、絢斗の震えはもう感じ取れなくなっていた。 「やだ、やだやだ、も、ホントに……出ちゃうよ、だめ……っ、ああっ」 「……っふう、……んう」  俺の口と手の動きに合わせて絢斗から溢れ出た蜜が淫靡な水音を立て、それは絢斗の愛らしい喘ぎの隙間を縫って部屋中に響いているようだった。絢斗にもこの音は聴こえているのだろうか。それとも登りつめていく感覚に夢中で、気が付いていないのかな。  ふと視界の端を赤いものが掠めていく。横目で見ると、それはあの虫刺されの痕だった。  絢斗の白い肌の上で、それは痛々しいほど赤く腫れている。 「んっ、やっ、おにーさん……っ、あ、あっ」  絢斗の身体が微かに強張った。また目だけを上に向けると、絢斗はぎゅっと目を瞑っている。  ああ、絢斗のこの表情が、俺はたまらなく好きだ。絢斗は今、与えられる羞恥と快楽に戸惑いながら、それに流されてしまいそうな自分を必死になって押し留めようとしている。そんなことをしても抗うことなんてできないと分かっているはずなのに。真っ赤になって今にも泣き出しそうなこの顔を見ていると、それだけで俺の方まで達してしまいそうになる。 「だめ、だめ、そこ……っ、や、やっ! おにーさ、おにーさんっ……あ、あっ、ああっ!」 「んっ……」  絢斗の表情にぼうっと見惚れていた時、絢斗は俺の口の中でそれまで必死に堪えていたものを全て放った。その感覚にはっと我に返ったが、いつの間にか緩んでいた口元から少し零れてきてしまい、あわてて手で拭い取る。 「あっ、ごめ……!」  それを見て、絢斗はすぐに俺に向かって手を伸ばしてきた。俺は口を閉じたままその手を軽く払いのけ、いつもローテーブルのそばに置いてあるティッシュの箱を手探りで引き寄せて、何枚か引き抜くとそれで口を覆って中のものを吐き出した。 「……ごめん……おにーさん」 「……」  何となく、絢斗の顔が直視できない。ティッシュを手でくしゃりと握り潰すと、絢斗の手がためらいがちに俺の袖をきゅっと掴んできた。 「おにーさん……怒ってる?」 「なんで」 「だって……やめてって、言ったのに」 「……俺、怒ってるように見えるか?」 「見えるよ」  わずかに顔を上げると、目が合った。絢斗はまだ乱れている呼吸を落ち着けようとしながら、それでも俺の目をじっと見ている。とろんとして惚けているようなその目は、どこか不安そうにも見えた。  別に怒っているわけではない。だけど、全く何も感じていないと言ったら嘘になる。  今もまだ絢斗の太腿の内側でその存在を主張し続けている赤い痕は、俺がつけたものじゃない。俺しか知らない絢斗の身体に俺以外の誰かがつけた痕がある。そう思うだけで頭がどうにかなりそうで、たとえそれが人ではなく蚊の刺した痕だったとしても胸の奥がざわついて気分が悪い。ひどく不快だ。  蚊に刺されただけでこんなことを思うのなら、もし万が一何かの間違いで絢斗が他の誰かに触れられてしまった時、俺は正気を保っていられるだろうか。 「おにーさん……」  そろそろと手を上げて、袖を掴んでいる絢斗の手にそっと重ねた。 「わ、笑うなよ。聞いても」 「笑われるような理由なの?」  混じり気のない澄んだ瞳でそう聞かれて、ますます言いづらくなってしまう。視線を横に泳がせながらぼそぼそと答えるので精一杯だった。 「……絢斗の太腿刺した蚊、許せなくて」  思ったとおり、絢斗はすぐには何も言ってこなかった。ただ、きょとんとした顔で俺を見ている。 「ど……どういうこと?」  穴があったら入りたいとはまさにこのことだ。今になってようやく正常な思考ができるようになってきて、自分の頬が熱くなっているのが分かる。  ああもう、こうなったらヤケだ。 「だって絢斗のこんなところに勝手に痕なんかつけて、その……腹立つだろ。絢斗のここは、俺にしか見せない場所なのに」 「おにーさん、本気で言ってんの?」 「う……ああもう、だから嫌だったんだよ。俺だってこんなキモいこと、言いたくなんか……」  もはや絢斗の顔を直視できない。立ち上がってその場から逃げようとすると、後ろからシャツの裾をくいっと引っ張られてそのままソファに座ってしまった。  横から絢斗がぎゅっと腕にしがみついてくる。 「……えへへ。おにーさん、バカみたい」 「うるさい。分かってんだよ」  絢斗は俺の肩にぴったりと寄り添って、自分の額を俺の腕に押しつけてきた。 「ごめんね、こんなとこ刺されちゃって。これからは気を付けるよ」 「そうだよ。絢斗がやらしい匂いさせてるから蚊が寄ってくるんだよ、反省しろよな」 「えー、なにそれ。だからそんな匂いさせてないってば」 「まだそんな寝ぼけたこと言うのか。じゃあ、絢斗のその匂いが消えるくらい、俺の匂いつけてやらないとな」  俺の腕に絡められた絢斗の手をそっと掴んで絢斗の方を向いた時、ようやく目が合った。無限に広がる宇宙のように、昏く深い色。 「……うん。いっぱいつけてよ、おにーさんの匂い。オレはおにーさんのものだからね」  抗うことも許されないほど、強い引力で吸い寄せられる。惹きつけられて目が離せなくて、満ちていく潮の中で溺れるような自由のきかない感覚に俺は意識を委ねた。  絢斗の太腿の内側にまたひとつ、小さな桃色の花が咲いたように痕が増える。 「……もう。またそんなとこに、痕つけて」 「俺のものっていう印だよ」 「そんなことしなくても、オレはおにーさんだけのものだよ」  答える代わりに、もうひとつ場所を変えて吸いついた。 「ん、あっ」 「痛い?」 「ううん……」  こんな印、いくつつけたって足りない。  この不安はどうしたら消えるんだろう? どうすれば絢斗を、俺だけの腕の中に閉じ込められるんだろう?  蚊一匹ですら触れないほど安全な場所で大事にしまっておきたいのに。そうすればきっと、絢斗はどこにも行かない。誰も絢斗を見つけない。いつまでも俺だけのものでいてくれるのに。  絢斗は俺だけのものだ。  絢斗を変な目で見るな。  絢斗に触るな。 「んやっ、おにーさん……っ、おにーさ、ん……おにーさんっ……あ、あっ」 「……っ、や、と……絢斗」  誰にもそんな顔を見せないで。  誰にもそんな声を聴かせないで。  誰にもこんなところを触らせないで。  こんなことするのは絶対に俺だけだって、頼むから俺に確信させて。  俺を不安にさせないで。  なあ、絢斗。  俺、何かおかしなこと言ってるか?
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