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しっとりと落ち着いていて、酒もつまみも美味しい素敵な酒場。私は店の常連客になったものの、例のわんこさんとは仲良くなれないままだ。だってお店の中に入っていったはずなのに、誰もわんこなんて知らないって言うんだもん。一体、どういうこと?
可愛いわんこの代わりに、超絶美男子の店長さんが相手をしてくれるんだけれど、欲しいのは色気じゃなくてもふもふ成分なんだよなあ。
「今日もお疲れさま」
「ありがとうございます」
「いい飲みっぷりだね。見ていて気持ちいいけれど、飲み過ぎには注意してね」
「あははは、大丈夫ですよ。家まではちゃんと帰れますので!」
悲しいかな、私は酔いつぶれることができない。せめてべろんべろんの、ぐだんぐだんになったなら、あのもふもふわんこさんも油断して姿を見せてくれるかもしれないのに。
「本当にお酒が好きだね」
「お酒が好きっていうより、雰囲気が好きなんですよ。このお店はうるさすぎないし、かといって静かすぎない。騒ぎたいわけではないけれど、ひとりだと寂しいっていう時にぴったりなんです」
「……ミリセントちゃん、疲れているんだね」
「そう、かもしれません」
するりと自分の口から、寂しいという言葉が出てきてびっくりしてしまった。騎士団には女性の事務員のお姉さまがたはいるけれど、騎士として働いている女性は数える程度しかいない。だから無意識に肩ひじを張って生きているのかもしれない。
普段は言わないようにしている気持ちをするりと吐き出させてしまうだなんて、店長さんったら本当に恐ろしい子! 時々いるんだよね、騎士団の偵察部隊並みに相手の警戒心を解くのがうまいひと。
「はあ、これじゃあ話を聞くのは難しいだろうなあ」
しょんぼりとした私の声が耳に入ったのか、お隣に座っていた常連さんが声をかけてきた。
「何が難しいの?」
「聞きたいことがあったのですけれど、さすがに話の流れもないまま尋ねるのはちょっと」
「具体的に店長さんに何を聞きたいの?」
「実は犬の話なんですけれど」
その瞬間、店内の音が突如消えてなくなった。ちょっと怖いんですけれど? こういうドッキリみたいな反応、やめてもらえます?
「犬って、犬?」
「そうです、とっても魅力的で近づかずにはいられない魔性のわんこの秘密について」
力説しすぎたのか、常連さんがなんとも言えない顔で腕を組んだままうなり始めた。
「あなたは、犬への嫌悪感とかないの?」
なんだろう、アレルギーとかの心配かな。ありがたいことに動物全般大好き。動物たちからはあまり好かれていないのが悲しいところなんだけれど。
「あるわけないじゃないですか。忠誠心が高くて、ひたすら一途。決して相手を裏切らないところなんて、最高です」
「それなら、まあ問題ないか。まさかここで、こんな面白恋愛話を聞くことができるとか思わなかったよ。よーし、みんな、飲もう! 熱い愛の告白に乾杯!」
「え、何を言って……。ちょっと、べろんべろんでひとの話、聞いてないし!」
犬に反応したってことは、やっぱり常連さんたちはもふもふわんこのことを知っているのでは? すみません、その話、詳しく教えてくださいいい。駄目だ、完全に酔っぱらいと化している。最終的に何の解決も見せないまま、あっさり酔いつぶれるのはやめてもらえませんかね?
わんこ、わんこ、もふもふわんこ。会えないからこそ、会いたくなるのか、すべての物事がわんこに結びついてしまう。頬杖をついて、店長さんの揺れる尻尾を目で追いかける。とろんとした目で店長さんの後ろ頭を見続けていたせいか、他のお客さんたちにも笑われてしまった。
「さっきの話を聞いてもしかしてとは思ったけれど。なるほどねえ」
「は?」
「でもわかるよ。好きなひとのことは、何だって知りたくなるものだし。確かに、店長はいい男だもんね」
「まあ、店長さんは美男子ですよね。色気駄々洩れですんごいです」
「珍しく店長がコップを床に落として割っていたし。結構、脈ありかもよ?」
訳知り顔でうなずくおじさんの肩越しに、店長さんがこちらを静かに見つめていることに気が付いた。一瞬目が合う。それなのに店長さんは私から目を逸らすと、困ったような顔で割れた欠片を拾い集め、瞬時に何の傷もないコップに戻してしまった。
あれは、復元魔法! まさか、店長さんって魔術師なの? すごいわ。その昔、誰でも魔法が使えた時代とは違って、今の時代では、魔術師は貴重な人材。望めばどんな職にだって就くことができる。
それなのにどうして酒場の店長さんをしているのだろうか。まさか店長さんは、魔術師になることを厭い、人目に触れないように生きているのかしら。……才あるひとが目立ってはいけない理由ってなんだろう?
そこで私は閃いてしまった。店長さんこそが、私の追い求めていたもふもふわんこで、日頃は正体を隠して人間の振りをしているのではないかと。
睡眠不足と、恋焦がれたわんこへの思いで脳みそが焼き切れた私は、動揺する心を抑えようと頑張った結果、完全に飲み過ぎた。足元がおぼつかないなんて、一体いつぶりのことだろう。そんな私に、店長さんが優しく声をかけてくる。
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