俺のケーキは山にある

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     今日は8月16日。  俺たち大学生にとっては夏休みの真っ最中だが、一般的にはそれよりも『お盆』だろうか。  つまり帰省ラッシュの時期であり、道路も鉄道も大変な混雑のはず。  ふだんでも実家まで新幹線で三時間以上かかる俺の場合、今ならば一体どれだけかかることか。  そもそも大学生の夏休みの帰省なんて普通、ラッシュを避けて早めに済ませておくものだ。それすら怠っていた俺が、今さら実家に帰るはずもなく……。  二十歳の誕生日を迎えた今、俺はアパートの自室で、一人寂しく過ごしているのだった。  大学一年目の去年は、友人たちと集まって遊んだ覚えがある。  とはいえ、別に俺の誕生日祝いではなく、たまたま別の行事が重なって集合しただけ。今年も同じ理由で集まる者もいたけれど「わざわざ二年連続で……?」と遠慮する者もいたし、俺も遠慮組の一人になっていた。  せっかくの誕生日なのだから皆で遊びたい気持ちもゼロではなかったが、どうせ彼らは、今日が俺の誕生日なのを意識していない。それは既に去年、思い知らされていた。  もしも俺の方から告げれば「おめでとう」の一言くらい貰えるだろうが、そんな形ばかりの挨拶だけ貰っても、嬉しいどころかむしろ虚しく感じてしまう。  だから去年、俺は言い出せなかったし、俺の誕生日について誰も触れないまま、友人たちは解散してしまった。  そんな経験もあったので、今年は一人で過ごそうと決めたのだ。  俺しかいない部屋で、一応の決まり文句を口にしてみる。 「ハッピー・バースデー・トゥー・ミー」  ちょっと虚しくなるが、気を落としてはいけない。これは俺が選択した行動の結果なのだから。  誕生日ケーキも用意してはいないけれど……。 「大丈夫。俺のケーキは山にある」  独り言と共に窓を開ける。外の景色に目をやりながら、俺はフーッと、誕生日ケーキのロウソクを吹き消すみたいな仕草をした。  はっきりと見える如意ヶ嶽、いわゆる大文字山の篝火(かがりび)に向かって。  8月16日は、ここ京都では五山送り火で知られる日だ。  俺の視線の先では、山の斜面の『大』の字に沿って、篝火(かがりび)が燃やされていた。まるで、誕生日ケーキの上で揺らめく炎のように。  俺個人のために用意されたものでないのは、もちろん頭では理解しているが……。  京都市内に住む8月16日生まれならば、少なくとも一度くらいは、似たようなことを考えるのではないだろうか。  大文字山の送り火は俺の誕生日ケーキだ、と。 (「俺のケーキは山にある」完)    
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