第20話 導かれし者

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第20話 導かれし者

 剛と幸太郎は猫塚から斜めに庭を渡るのではなく、正門まで戻って正面から石畳を歩いて洋館の玄関に向かった。一つには、生い茂った雑草を避けるためであり、一つには石畳を実際に歩きながら、人が侵入した形跡がないか確認するためであったが、これといって変わったところは見つけられなかった。  遠目で観た佇まいは、どこか人を寄せ付けないように見えていたが、実際に玄関にたってみるとそれはごく普通の洋館の玄関であり、決して人を拒むような閉鎖的なものではなかった。  幸太郎はズボンのポケットからいくつか鍵のぶら下がったキーホルダーリングを取り出し、その中からやや大き目な銅の鍵を選び、鍵穴に差して回す。ドアノブは少し薄汚れていて、人が触った真新しい形跡はないように見えた。幸太郎はハンカチを取り出し、ドアノブをくるんで直接手が触れないようにドアを開けた。 「このあたりの手順は従業員にも徹底させている。この建物はあくまでも管理を任されているだけで、我々の物と言うわけでもないし、何がどうなるかは、正直まだわからんのでな。できる限り引き渡された状態を維持している」  やや重厚そうに見えた木製の両開きの扉は、物音を立てることなく静かに開いた。 「だが、最低限の手入れはさせてある。錆びて傷んでいたところは、それ以上ひどくならない程度には直しておいたがな」  玄関には4組のスリッパが用意されていた。扉の内側は人の住んでいる温かみはないものの、門の外から見る様子とは違い清潔感と品の良さ、そして質実剛健さを感じる。 「ほう、立派なものだなぁ」 「そう思うか、剛よ。俺もこの建物は気にいっている」  剛は草履をスリッパに履き替え、中に進む。正面に来客を待たせる応接セットがあり、それを右から囲うように階段がコの字に二回へ向かっている。床は板張りで落ち着いた重厚感のあるこげ茶色だが、白い壁が明るさを保ち、階段は窓から射す光で明るく照らされている。 「玄関を見ればその家のことがだいたいわかると聞くが、なるほどこの家、ここに住んでいた人というのは、おどろおどろしい噂とはまるで縁がないように見えるな」 「剛もやはり、そう思うか。おそらくはこの建物に相応しき人物――社交的で飾らない、物静かで穏やかな人たちが住んでいたように思えるのだがな」 「ふむ、玄関を観る限りでは確かにそうだな。幸太郎」  幸太郎は、剛を1階、2階と案内をしたが、二人の最初の印象は変わることはなかった。もちろんすべての家具がそろっていたわけではなく、恐らく建物と一緒に用意したであろう椅子やテーブル、サイドボードなどはそのままで、実際にここに住んでいた人が使っていた生活を感じさせるような品々は引っ越しの際にすべて運びだされたか、または処分されたのだろう。 「なるほど、これだと実際にどんな人たちが住んでいたかに結びつくようなものは何も見つかりそうにないし、まして猫を飼っていたかどうかなど、わかりようもないな」 「やはり、わからぬよな」 「鈴音、お前はどう思う?」  チュンチュン  チュンチュン (猫に限らず獣の気配はしないわね)  剛は部屋にある柱や壁を注意深く見て回ったが、猫が引っ掻いたような痕跡は見当たらなかった。 「どうも猫を部屋の中で飼っていたということはなさそうだな」 「だとすると剛よ、あの庭の猫塚、いったい何なのであろうな」 「庭に居ついた野良猫を葬ったとも考えられなくもないが、野良猫というのはそう簡単に自分の亡骸を人にさらしたりもしないものだ。そもそもこの建物とあの猫塚はどうにも……」  剛は頭をかいて考え込む。 「どこかから運び込んだとでも言うのか? そんな物好きは俺にはわからんな」  幸太郎のその言葉に、剛は一つの可能性を見出した。 「おお、なるほど"運び込んだ"のが、この家の住民であると決めつけるのは確かに無理がある。もっと言ってしまえば、この建物ができてから、あの猫塚が建てられたと決めつけるのも危うい。もしかしたら、最初からこの場所にあったのではなかろうか」  二人は二階から降りて応接間の椅子に腰を掛けた。 「ならば剛よ。あの噂はやはり、丸っきりのデタラメで、どこかの誰かが何のためにか、そんな嘘をでっち上げたってことになるが……それもそれでよくわからん話だ。まして人の家の庭にある猫塚のことを知っていて、そこに掘られた文様を門に落書きするとは、いったい何が目的なんだか、さっぱり俺にはわからん」  幸太郎は少しばかり苛立っているようであった。 「嘘というものにはだいたいの場合目的がある。嘘の噂が広がるのはそれが面白いからで、誰の興味も引かなければ聞いた噂を誰かに話すこともない。人が面白がるのは、だいたいが陰口や悪口の類で、人の秘め事を知りたいというのは、多くの人が持つ感情さ」 「ふん、俺はそんな話は興味がない」 「だがもし、仮に今回の化け猫騒動の目的が幸太郎の邪魔をすることにあるのだとしたら、それを仕掛けた奴はきっとまた、何ややってくるだろうよ」 「なぜ、それがわかる?」 「それは幸太郎……、お前が……」  剛は急におかしくなって笑い出してしまった。 「何もおかしいことはないだろう」 「いや、すまない。確かに笑い事では済まないことになるかもしれん。不謹慎だった」  幸太郎がこの程度の嫌がらせで怖がるような人物であれば犯人――と言えるかどうかはわからないが、仕掛けた人物は次にどんな手をつかってくるのだろうか。本当に化け猫の恰好をして目の前に現れたとしても、幸太郎は臆することなく退治してしまうのではないかと想像して笑ってしまったのであったが、どうじにそれは現実的ではないことを示している。 「幸太郎の偉丈夫さに剛を煮やした輩が、もっと危険な罠を仕掛けてくるかもしれない。それはお前さんやその周りの人を事故や偶然を装って怪我をさせたり、何かを壊したりという悪質なものに発展する可能性がある。化け物を怖がる必要はないが夜道に気を付けるのは、必要かもしれぬな」 「心配はいらん。と言いたいが、俺はいいが他の者に何かがあっては申し訳が立たん」 「だからさ。幸太郎には少し怖がってもらった方が、この場合安全やもしれん」 「俺は怖くない」 「だから、怖がってみせるだけでいい。それで時間が稼げるかもしれないし、相手も油断するかもしれない」 「そういうものか」 「そうであって欲しいという願望も含まれるが、追い詰めるよりはいいと思う」 「ならば、どう怖がってみせる。俺は嘘は苦手だぞ」 「ああ、普通気味悪がれば、それを払おうとするものだろう。不吉なものを」 「なるほど、祈祷か。それならば俺は黙って座っていればいいから、そのくらいならできる」  剛はまたもや笑いそうになったが、どうにか堪えて笑顔で答えた。 「ならばここにはもう用はない。行くとしようか」  二人は立ち上がり、幸太郎はもう一度戸締りを確認するから裏口の方を観に行った。剛はスリッパから草履に履き替え、玄関の扉をゆっくりと開ける。その気配に驚いた野良猫が草むらに逃げ込む音がする。その方向を観ても猫の姿は見えない。 「驚かせてしまったかな」  剛は丁寧に扉を閉め、正門をみやる。するとそこに人影がある。それも二つである。  一瞬身構える剛、向こうもそれに気づいたのか、こちらの様子を伺い、そして深深く、ゆっくりと頭を下げているように見えるが、門の格子の影でよくわからない。剛はゆっくりと前に進み、二つの影の輪郭がはっきりしてくる。二人とも袈裟を着ている。どうやら仏門に帰依した者のようだ。 「何かごようでございますか?」  剛は頭を下げ、幸太郎の気配を背後に探しながら挨拶をした。 「こちらの家の方でございましょうか?」  女性の声――それもどこかで聞き覚えがある尼僧の声。 「いや、そういうわけではないのですが……」  幸太郎はまだ出てこない。剛は一度後ろを振り返り、身振りで答える。 「この屋敷の管理をしている者なら、もうすぐ出てくると思います」  日の光の差し具合で影になって顔がよく見えなかったが、いよいよその姿が明らかになった時、剛は思わず声を上げた。 「ああ、貴方様は!」 「またお会いしましたね」  それは上京の折、東海道線で出会った猫目尼僧であった。
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