第21話 ミステリアス

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第21話 ミステリアス

 偶然同じ車両、向かい合わせの席に座った人と、その向かった先で日をまたいで思わぬ場所で再会する。  それは珍しいことのようで、確率をはじき出せば『ゼロでないことは起こり得る』とまで言わないまでも、決して奇跡のようなことではない。不思議に思うことはあってもなんら不思議ではないのだと剛は思う。  でも、だからこそ、これは不思議なことが起きている、いや、起ころうとしているのだという期待と、それがもたらすこと、或いはそれが自分のみならず、ここ数日時間と場所を共有した近しい人に及ぼす影響については、不安としかいいようがなかった。 「そんな驚くような顔をすることはありませんよ。私にとってこのようなことは、何も特別なことではないのです」  美しい尼僧は、その姿にふさわしい、優しい声で語りかける。しかしそれは、下宿先でであった女性のそれとは違う、どこか甘く危険な香りを伴うものであることが剛を戸惑わせている。故に剛は尼僧の言葉に付き合うことを避けて、尼僧のそばにいる若い僧侶に視線を移した。若い僧侶はその視線を認識しながらも、自ら語ることをよしとはせず、次に発せられるだろう尼僧の言葉を慎まし気に待っている。 「こちらは、私が東京でお世話になっている寺の者でございます」  慎ノ丞は恭しく手を静かに合わせ頭を下げる。 「私がお仕えしております住職様より、御前様の身の回りのお世話を賜りました慎ノ丞と申します」 「小生は上京の折、偶然列車で小田原から東京駅までご一緒させていただきました羽佐間剛と申します。同郷の友を頼り、その者の案内でこの近くに下宿をさせていただいております」  剛はどこまで話したものかと思案しながら、できる限り失礼のないように受け答えをしようと試みたが、自分が何者であるのかを言い表す言葉を見つけるのに苦心をしていた。 「剛よ、どうかしたのか?」  そこにあの偉丈夫が屋敷の戸締りを追えて声をかけてくれた。その大きく逞しい声は、よく言えば魔をも払う威勢を伴い、悪く言えば寝た子を起こしてしまう剛毅なものである。 「幸太郎、こちらは東京に向かう列車の中で偶然お会いした……」  『猫目尼僧』という言葉が、何の気なしにノートをめくった時に偶然見つけた意味不明の覚書のように頭に浮かんだが、その言葉を発していいのかどうか、自分の身の上を語るよりも難しい問題に直面した剛は、情けなく思いながらも尼僧と慎ノ丞に助けを求めた。 「小田原より参りました沙門の身なれば、名乗れる名も無き者でございます。皆様からは私のことを『小田原の御前』などとお呼びいただいているようでございます」  大股で玄関より歩み寄ってきた巨躯の耳にその声がどのように聞こえたのかはわからないが、幸太郎は深々と頭を下げ、飾りのない態度で自己紹介を始めた。 「そうでございますか。では小田原の御前、私は長谷川幸太郎と申します。剛とは同郷の友人。静岡の片田舎でともに育ち、ともに学んだ仲でございます。縁あって剛とお知り合いになったのであれば、どうぞよろしくお願いします。こう見えて何かと頼りになる男ですぞ」  幸太郎は剛の背中を大きな手でたたきながら大声で笑って見せた。  自分は幸太郎のようにはなれないし、できない。この男は自分にないものを持っている。頼りにしているのは自分のほうだと思いながらも、この奇遇というべき再会は、巷で見られるような『よくある偶然』に姿を変えつつあった。 「ときに小田原の御前、もしかこちらの屋敷に、何か御用でもございましたか? ここは故あって、今、私が経営する会社が管理を任されております」  剛がどう切り出そうか思案する前に、幸太郎は当たり前の疑問を当たり前のようにぶつけてみせる。 「はい、長谷川様、この地に用はあったのですが、この屋敷に用があったわけではございません。ただこのような場所に立派なお屋敷が人の手も行き届かないような佇まいであるのを不思議に思って眺めていた次第でございます。そこで見知った顔をお見かけしたので、ついつい声をかけてしまいました」  嘘はついていない。御前の言葉に偽りはないが、本当のことをしゃべっているわけでもない。そしておそらくそれを剛が察するのだとわかっていて、御前は幸太郎と話している。『猫目尼僧』だとは言わずに『小田原の御前』と名乗ったのは、剛だけにしかわからない隠し事、秘め事の綾であり、剛にだけは、本当の目的がなんであるのかを、話す用意があるのだと伝えているという確信めいた仮説を立てながら、剛は答えあわせをはじめた。 「では、御前はその用が済むまではしばらく東京にいらっしゃるのですか?」 「はい、今日明日で済む用ではございませんので、しばらくこちらのお寺にお世話になります」  閉ざされた門を開き、剛と幸太郎は外に出た。 「ほう、ではお近くのお寺ですか?」 「はい、上野でございます」  幸太郎は上野という言葉と慎ノ丞のいでたちからその寺を特定した様子だったが、あえてその寺の名を口には出さなかった。 「もし、私に御用があるときは、この慎ノ丞を尋ねてくださいまし」 「よしなに」  慎ノ丞は挨拶をし、それに剛も幸太郎も応える。 「では、まいりましょうか。慎ノ丞」 「はい、御前様」  屋敷を立ち去る二人の後姿を眺めながら幸太郎がつぶやく。 「なぁ、剛よ。尼僧とは、ああいうものか」 「うん、どういうことだ?」 「いや、出家というのは、仏に仕える身になるということなのはわかる。俺には経験がないからわからんが、艶っぽい坊主がいないのであれば、艶やかな尼僧もいないものだと思っていたのだが……」  剛は幸太郎が仏門に対してどのような考えを持っているのかは知らない。しかし、出家した幸太郎を想像することは楽しかった。怪力坊主、魑魅魍魎を退治する邪気祓いの専門家――それはそれで見てみたいものだと剛は笑った。 「幸太郎が言わんとしていることはわかるが、さて、俺に答えられる類のことではないな。尼、尼僧、比丘尼と呼ばれる彼女たちの歴史は、ひとくくりにいえないような複雑なものがある。小田原の御前が名を名乗らず、宗派やどこの寺に世話になっていることを口にしないのにも何か訳があるのだろうし、見た目に尼僧だからといって、どういった素性の人であるかはわからんよ」  幸太郎は剛の言葉をじっと聴いていたが、どうにも腑に落ちない様子であった。 「いや、俺が言いたいのはそういうことではなくてだなぁ。剛、俺は……」  幸太郎は何か言いかけてその言葉を飲み込んだ様子だ。 「幸太郎、きれいなものはきれいだと言っていいし、美しいものは美しいと言っていい。悪いもの、汚いものも同じだが、ああいうものはそもそも、適当な言葉がないのだよ。あるようにあるものを、それぞれが受け取ればいいということもある。共通の言語である必要はないのさ」 「ああ、剛の言っていることはなんとなくはわかる」 「そうか、わかるか。心配するな。俺もお前と同じ気持ちだ。そう、強いて言えばだなぁ……」  剛は腕を組み、言葉を搾り出す。 「面妖というやつだな。珍妙でも奇妙でもなく、これは面妖だ。英語で言えばミステリアス(mysterious)」 「おう、ミステリアスだな」 「そう、妖しげで、あるはずもないのにそうとしか見えず、妖しげだと決め付けても、そうでないように思える。まさにミステリアスだ」  幸太郎は門に施錠しながら剛を食事へと誘った。うまいてんぷら屋があるという。  二人は猫塚のある屋敷をあとにした。  その少し前に屋敷を離れた御前と慎ノ丞は神田須田町にある蕎麦屋に来ていた。一般の客とは別室になる。寺とは古くからの付き合いだという。 「御前様、あれでよろしかったのですか」 「どうかしましたか。慎ノ丞?」 「いえ、御用はあれでお済になったのかどうかと思いまして。まさかあのような場所で、お知り合いの方とお会いするとは思いませんでしたから、必要があれば間をおいて引き返してみてはいかがかと思いまして」 「それには及びません。十分です。あの場所には探しているものはありませんでした。でも無駄足にはなりませんでした」  慎ノ丞は何も聞かされてはいない。行動の提案は案内人としてするべきことではあるが、何をしに、何のためにいくのかと言う事は詮索すらするべきではないと心得ている。 「では、あのお二人から連絡がくるようなことがございましたら、そのままお伝えするということでよろしいでしょうか」 「はい。そうしていただけますか。その件に関して最重要事項として扱ってください」 「かしこまりました。そのようにいたします」  御前は慎ノ丞にやさしく微笑みかけながら話す。 「何か物事をなすとき、なさねばならぬとき、そのお勤めには、ときに縁(えにし)をたどるような導きがあるのだと思います。私がここに今日、この時間、この場所にいることと、あのお二人がそこに交じり合うことには、それなりの意味があるということです。そしておそらくあの剛という青年も、同じように感じているのだと思います。小田原からこちらに来るにあたり、あの青年と出会ったことは、『兆し』というもので、今日のことは『気づき』となり、さらにこれは『ゆかり』となり、それらを紡いで結びまで行けば、これは縁と業という線になり、それらを周りの点、この場合、あの長谷川幸太郎というお連れの方や、そこに連なり、関わる者、さらに私がすでに持っている縁と業の線、これは詳しくは申し上げられませんが、それらを結びつけるといくつかの面となり、いよいよ形となって現れるものだと思います」  慎ノ丞は一瞬時間や空間が、現世より切り離されたような感覚に襲われた。 「そして慎ノ丞、あなたもまた、そこに関わる点であるのですよ。私があなたを選んだことは、つまりはそういうことなのです」  一瞬のうちに現実に引き戻された慎ノ丞は恭しく両手を合わせ、頭をたれる。 「心してお務めさせていただきます」 「頼りにしています」  慎ノ丞はその不肖の身を必要とあらば炎の中に投げ入れることも辞さないという覚悟の思いを、その胸に焼き付けたのであった。
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