第22話 日本橋

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第22話 日本橋

 有働忠孝は日中、大学での用事を済ませ、車で日本橋に向かっていた。 「旦那様、少々道が混んでいるようでございます。日本橋までは時間内に着きますが、昨今、あの辺りは大変混雑しておりまして、建物の前にお車をつけるのは、少々遅れるかもしれません」  車を運転しているのは、身なりを整え、物静かながら軽快なハンドルさばきをする初老の男である。ピンと背筋を伸ばして運転をする姿は、どこか人形のように見えなくもない。 「そうか。榊よ、気にするな。車とて万能ではない。それでも復興前の東京に比べれば、移動には時間がかからなくなった。それでもこのようなことが起きるのは、ついつい人間がせっかちになってしまっている証拠じゃよ」 「恐れ入ります。旦那様」  関東大震災のあと、東京の街は交通網が整備され、移動には自動車や路面電車が効率よく走れるように道路が整備された。それに伴い都市機能が一部に集中し、交通渋滞を引き起こし始めている。有働は帝都復興にあたり、自分なりの考えを持っていたがそれを公の場で口にすることはあっても、国に働きかけることはなかった。  彼の中では理想と現実という問題以前に、政治的なことに関わることに慎重である以上に、好きではなかったのである。 「私には私の思うところがあるように、人には人の思うところ、そして何を基準に行動するかということについて、とやかく言うのは主義ではないし、何より、とやかく言われるのはどうにも歯がゆい」  有働は震災後の復興に際し、帝都がこの先どうあるべきかという持論が、容易には世間、とかく経済と政治の世界において受け入れられないことを知っていた。古きものを守り、新しきものとの共存、そして有機的なそれらの結合と調和は、目先の利益にとらわれていては実現など難しい。なによりも理想のためには金がかかる。金がかかるところには利権があり、政治とはそれを公共の利益を目的として公平に執り行われるのが理想であるが、そうならないことを知っている。 「ものごとの優先順位を間違ってはいけない。なくしてはならないものを失ってから嘆いても元には戻らん。同じように一度形を整えてしまったものをやり直すことは用意ではないのだよ」  有働は立て替えられた真新しいビルディングや彼が理想とする道幅よりも狭く整備された道路を眺めながらため息をついた。 「左様でございますか。旦那様」  歩道にはモダンな洋服を着た男女が往来している。街の佇まいも江戸時代から大正へと引き継がれてきた様子とは打って変わって一気に西洋のそれに近づいてはいるものの、人々の暮らしが何もかも変わってしまっているわけでもない。理想的な街づくりをするためには、そのような人々の生活を脅かす側面も否めないが、そうした不安を取り除くことこそ、政治の本来の役割だったとしても、そこにはどうしても力の論理や思想や慣習、そして人の欲が絡む。  有働は近代化は必須だとしても精神的な支えとなる風習や文化、とりわけ神仏の役割について重きを置き、その保存に心血を注いでいた。沖縄で老朽化が進み取り壊されそうになった歴史ある首里の城を教え子からの打診を受けて国に働きかけ、事なきを得た。  国の神社仏閣に関する限り、彼は建築の分野では第一人者であり、それ相応の発言権がある。しかしそうした力を頼りに自分の思うがままにことを進めることはなかった。建築とは神事においては重要な役割であることには変わりはないが、建築によって神事が行われるわけではない。神事や政には、やんごとなき事情がある。そこに口を挟むことは、激流の中を救命胴衣もなしに逆らって泳ぐようなものである。  まして有働は泳ぐことが苦手であった。 「古きもの、新しきもの、それぞれに一長一短がある。どちらが優れているといえば、新しいものであるべきであるが、古きものすべてが劣るわけではない。機能や利便性だけでことを進めるがごときは、なんともあさましい。古きものと新しきものの間に壁を作ってはならない」  車は目的地の西河岸橋近くまで来ていた。西河岸橋は明治24年に弓弦形ボウストリングトラスという、当時最新式の鉄橋であったが、震災で被災し、その2年後の大正14年に現在の橋がかけられた。その先に先月竣工したばかりの7階建ての頑強なビルディングが建っている。 「旦那様、どうにか時間に間に合いましたようで、よろしゅうございました」 「ふむ」  その建物は関西から東京に進出してきた財閥系の東京支社であり、重厚かつ独特な均整の取れた現在の日本橋にあって、新たな価値観を提唱するようなモダン建築物である。  1階部分と最上階は、明るい色、それ以外の中間部分はレンガ造りを思わせる茶褐色をしており、機能性、耐久性に優れながらも美しくバランスの取れた佇まいをしている。 「見事なものであるな。これはこの日本橋のこれからを象徴するが如し。立派であるな」  多くの建築に携わってさわってきた有働をもってして感嘆せしめたその建物は、以来、この地を代表する建築物と称されるが、その先に日本人の誰も想像しえないような使われ方をするようになるのは、ある意味、歴史の皮肉であるのかもしれない。日本が世界との戦争に負け、占領軍にこの建物が接収されるのは、20年後の話である。  午後6時。日本橋大村ビルディングの応接にて、有働はある人物と面談することになっていた。その人物とはこのモダンな建築の設計に携わった建築家、武井靖男の紹介であった。武井靖男は有働が帝都大学で教授になった2年後に入学し、有働に建築学を学び、卒業後に満州に渡り、帰国後、いくつかの建築事務所に出入りし、現在では大村財閥の後ろ盾を得て起業し、大きな仕事をいくつもこなしている。  有働が応接室に通されてすぐ、一組の男女が現れた。男はレザーのハンチング帽をかぶり、面長で切れ長い目が特徴的に見えた。まだ30歳を超えたばかりの若々しさはあるものの、どこかふてぶてしさを持ち合わせている。女性は黒髪を一つに束ね左の胸に垂らしている。こなれた身のこなしは持って生まれた気品というよりはよく教育を受けたモダンな女性といった印象を受ける。 「初めまして、私はここで都市計画事業の監査をしております青木と申します。こちらは秘書の武井です」 「武井というと、武井家の?」 「はい、武井靖男はわたくしの叔父にあたります。京子と申します」 「ほう、そうですか。彼にはずいぶん世話になった」 「いえ、叔父も有働先生には大変お世話になったと」  二人は有働の合図でソファに腰を掛けた。 「本日はわざわざご足労頂き、ありがとうございます。実は折り入って先生にご相談したいことがございまして、このような時間におよびたてした次第です」 「どのようなことです。まずは話を聞きましょう」 「実はお話があるのはこちらの武井のほうでして、なんとも面妖なお話で恐縮なのですが、このようなお話、いきなり先生にするのもどうかと思ったのですが、それで私が付き添うことになったのです。どうか気を悪くなさらないでください。武井も少し混乱しているようですので」  回りくどい青木の説明は少しばかり有働を愉快にさせた。この男は普段は理知的でこういった回りくどい言い方などはしないのだろうと予測がつく。その男がこうも歯切れの悪い口調でしゃべるのはこれから聞かせる話が突拍子もないことに違いない。それが有働には面白かった。 「どうぞ、遠慮せずに。私はありふれた話をこの時間に聞くには少し歳をとりすぎたようだ。楽しく聞かせてもらおうじゃないか。その面妖な話とやらを」  青木はやや面食らったような表情を浮かべ、武井京子に話をするように視線で促したが、京子は少しこわばった様子ですぐに口を開こうとはしなかった。 「それでは、まず私から。先生は昨今、神田あたりに流布する妙な噂について聞いたことはございますか。そのぉ……、怪談というか、この世のものでないものが現れたなどという珍妙な噂を」 「ほう、この世のものでないものといば、幽霊とかお化け、或いは妖怪といったたぐいの話ではないかと思うが、そういう噂があるのか?」  青木は自分が言ったことを少し後悔するような素振りをしながら、なんどか首を縦に振る。 「実はその噂の妖怪を実際に武井が見たというのですよ」 「ほう、それは面白い。詳しく聞いてみたいものだ」  やや間を開けて、京子が口を開いた。 「私、本当に見たんです。あれは何かを見間違えたとか、そういうことじゃなくて。ええ、もちろん暗がりであったし、そんなものいるはずもないんですが、確かにあれはそこにいたんです。そしてどこかに消えてしまった。そんなことあるんでしょうか。この近代化された帝都の町の中で」  京子は取り乱した自分を取り繕おうと懸命に努力をしているようだったが、それがうまくいっているようには見えなかった。 「なぁに。そんなに怖がる話じゃない。ましてそれを見た自分を責めることもない。見たままを順を追って話してくれればいい。時間は十分にある」  有働の言葉にはやさしさも含まれていたが、それを凌駕する好奇心が多く含まれているようだった。
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