第23話 京子、金づちを握る

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第23話 京子、金づちを握る

「私はこの度の神田神社再建に関わる会計監査業務のお手伝いをさせていただいております。何事にも予算があり、見積が適正であるかどうか。それが正しく実行されているかどうか。そうしたことを調べるの中で妙な話が出て参りました。それというのも資材置き場にする予定の敷地の候補地にあがっている土地――ここは長らく空き家になっている洋館なのですが、その建物の取り壊しに際し、奇妙な噂が出始めました。そこには建物のほかに塚があるのですが、ちょっとした曰くがあります。しかしその曰くに関しては嘘か誠かと言えば、私の調べたところ根も葉もないうわさ話という結論に至りました。もちろん、そんなことが今のご時世にあるはずもないのですが、ただの建物を建築するのであれば、そんな噂は取るに足りないことなのでしょうが、ことがことだけに」  決して歯切れがいいとは言えないまでも、先ほどよりも落ち着きを取り戻した口調で京子は語り始めた。 「ふむ、神社仏閣を建造するにあたって、よからぬ噂というのはあまり気持ちの良いものではないからな」  有働は京子を気遣うように彼女の言わんとしていることは察しているとなんどか頷き手を軽く動かして話を促した。 「左様でございます。ですのでそういうことはきちんと調べて、何事も心配には及ばないと、そういうことにしたいと考えておりました。そんな折にちょっとした事故が起きました。資材を調達する際の些細な事故です。ないに越したことはないのですが、そういうことは起きる時には起きるものです。工場で木材の荷が崩れ一人がけがをしました。命に係わるものではなかったのです。単純なミスが原因であるのは明白あのですが、数日たつとそれは何かの祟りではないかという話が流布し始めました。人のうわさのスピードは電報を打つよりも早いのかもしれません。そして遠くに行けば行くほど、噂の中身はより過激な物、いかがわしきものに変わり、さらにスピードを増し、関係者の間で知らないものはいないというところに至るまで大して日にちはかかりませんでした。これは何とかしないといけないと、考えまして、私はその噂のもっとも珍妙なものを看破しようと幽霊坂に赴いたのでございます」  青木が割って入る。 「そのようなことまでする必要はないと、武井にはもうしたのですが、このとおり真面目で融通のきかないところもありまして」 「よきかな、よきかな。血は争えない。武井靖男もそういうところはあった。それはそれでよいのだとワシは思うがね」  京子は初対面の有働に対して少し気負いが過ぎていたと反省をした。叔父をよくしるこの人物になら、これから語る珍妙な話も信じてくれるかどうかはとにかく、一笑して終わりということにはならないだろう。 「有働様、今にして思えば軽率であったと思います。誰か人と行くべきでした。ですが私は祟りだの幽霊だのと、男連中が騒いでいるのをどうにかしたいと、つい意地をはってしまったのだと思います。噂の現場に夜に女一人で行って何も起きなかったとなれば、そんな噂はすぐに収まると思ったのです。それで3日前のことです。私、時間を作って一人幽霊坂と資材置き場の予定地を見回りに行きましたの。用心のために何かないかと探しましたら工具箱の中に金づちを見つけました。私は不遜に思われるかもしれませんが、その金づちで猫塚なるものの一部を砕いて持ち出し、なんでもないということを証明することを思いつきました」  有働が声に出して笑う。 「剛毅なことだ。確かにそれで何事もなければ、証明にはなっただろうが。どうやらそうはいかなかったようじゃな。ワシなら魔よけの札くらいは用意しただろうがね」 「お恥ずかしい限りですわ。実は数珠は懐に忍ばせておりました。数珠を握りながら金づちを使えば大丈夫だなんて、今にして思えば愚かなことを考えたものですわ」  それまで張りつめていた空気が和らぐ。青木はようやくゆったりと椅子の背もたれに寄りかかり、京子の話を聞くことができると安堵した。 「夜8時、幽霊坂を上って下り、また上って下りました。見通しの悪さは確かに薄気味の悪さを感じましたが、そのときは野良猫一匹見かけませんでしたし、人ともすれ違いませんでした。それで洋館に参りました。薄気味の悪さはありましたが、人のしばらく住んでいない建物というものは、そういうものだと思います。門には鍵がかかっておりまして、鍵はここの管理を任せている会社の合いかぎを預かっておりましたのでそれを使って中に入りました。長らく人の手が入っておりませんでしたので庭は雑草が生い茂り、それが動く気配、そして音が聞こえました。少々驚きましたがそこに野良猫がこのような場所に住み着くことも知っておりましたので、それが猫だとわかればどうということもない。それでも話が化け猫でしたので少しばかり怖くなりましたが。この建物の猫にまつわるおどろおどろしい噂話は嘘だと思っていても、人は想像してしまうものだと知りました。それで、祟りがあるという猫塚を探したのですが、懐中電灯ではそれがすぐに見つからずに庭の中をうろうろしておりました。その時にはもう猫の気配はどこかに逃げ隠れしてしまったようでしたわ。有働様の耳には洋館の猫塚の噂は届いておりましたでしょうか」  有働は首を横に振りながら、目でその話を聞きたいと催促をした。 「この洋館にかつて住まわれていたご婦人が病を患い、主が庭で面倒を見ていた野良猫を殺したというのです。夫人はその後、気がふれて亡くなられたそうなのですが、その猫の遺体の頭の一つが夫人の腹の中から出てきた。猫の怨念、夫人の供養と合わせて猫の死骸が見つかった場所に塚を立てたとのことなのですが、実際そんな話があったことを証明できるものは何もないのです。ないというのは見つけられないというだけで、あったかどうかもわからないというところなのですが、私が思うに、どうにもその話には辻褄が合わないように思えてならず、そんなことは別の理由でその塚はあるのだろうと思いました」 「いかにも。そのようなところだろう。古来から伝わる伝承や逸話というのは時間の経過とともに面白おかしく、ときにおどろおどろしい話に形を変えてしまうことがある。塀の中の塚のことなど誰にわかるわけもない。或いはその洋館が経つ前からそこにあった可能性もある。武井君は正しいとワシも思うよ」  「しかし」と有働は話を続けようと思ったが、それはすべて話を聞いてからでもいいと思いとどまった。「しかし、不思議なことはある」と。 「それであたりを探し回るうちに、ふと何かの気配に気づきました。音がしたのか、視線を感じてのか、よくわかりませんが、気配を追って懐中電灯をそこに向けると人の影が映ったのです。女性でした。髪の長い、女性の後ろ姿です。たぶん」  それまで滑らかに話をしていた京子の口調が重いものに変わる。 「それで、私、しっかりと見なきゃと、そんなものは……、化け猫などいるはずがない。ただの見間違えに違いない。確かめなきゃって思って声をかけたのです。ここは関係者以外立ち入り禁止だと。そしたらその人影が突然消えました。でも姿は見えなくても何やら音が、草をかき分けるような音に交じって猫の声が聞こえました。そしたら灯りの中に大きな猫の影が映って見えたのです。色はわかりませんが、人の頭よりも少し大きな猫の頭が見えて猫の声を発したのです。私、怖くなって洋館の玄関に向かって走り出しました。鍵は持っていたので中に入ろうと背を向けて走りました。必死で」  先ほどまでの和んでいた雰囲気が一変した。有働は話を続けるように促す。 「鍵はバッグの中。でも鍵より先に金づちが見つかり、それをもって後ろを振り返りましたが、もうその姿はどこにもありませんでした。私はしばらくその場で気配を探しましたが、もうどこにも姿がなく。そしたら見つけたんです。例の猫塚を。私は周りを警戒しながらゆっくりとその猫塚に近づきました。あの影が見えたのは入り口に近い塚とは反対側であることもわかりました。塚に近づくと足元に何か白いものが草に引っかかっているのが見えました。それがこれです」  京子はバッグから折りたたんだ和紙を取り出し、有働に見せた。有働が手に取り和紙を開く。 「ほう、これは面白い。猫であるな」  そこには墨で書かれた見慣れぬ文字のようなものが書かれていた。日本の言葉ではない。 「このような文字は見たことがないが、しかしおそらく猫であろうよ」  有働が文字の全体をなぞり、青木と京子に見えやすいように頭、耳、目、前足、後ろ足を示してみせた。 「私もそうではないかと思いました。そのときは気づかずそのままバッグにしまって塚の前に経ったのですが。私にはもう、塚を砕くほどの勇気はなく、一時も早くこの場所を離れようと、すぐに門を閉めてその場を去りました。でも、話はこれで終わらないのです」  有働は京子から受け取った和紙をテーブルに置いて話の続きを聞いた。 「私、気が動転していたせいか、洋館を離れてから、そこで起きたことをあれこれ考えて歩いておりました。あれはいったい何だったのだろうかと。そして気が付くと幽霊坂を上りかけていました。気が動転して、つい歩いてきた道を逆にたどってしまったのだと思います。そこで一匹の白い野良猫と鉢合わせをしてしまい、思わず声を上げてしまいました。猫も驚いたのでしょう、低いうなり声をあげてすっと姿を消しました。それで坂を上る必要もないので振り返って坂を下りようと思ったのですが、そこに先ほど見たのと同じ背格好の女ががこっちをじっと見て立っているのを見ました。私はいよいよ怖くなってそのまま坂を駆けあがり、迂回して駅に逃げ込みました。どうにも要領のつかめない話で申し訳ありませんが、あれはいったい何だったのでしょう。私がみたものは、噂にある化け猫だったのでしょうか」  有働は今一度テーブルの和紙を手に取り、その形を見るだけでなく、和紙そのものを調べるように裏表を入念に見ながら語りだした。 「ふむ、実に興味深い話だ。私の一応の解釈はあるが、あまりことを性急に事を測ってはつまらぬ間違いをしてしまうかもしれん。ここはひとつ、私に調べる時間を頂けないだろうか。ついでにこれも預からせてほしいのだがかまわないかな」  青木と京子は顔を見合わせ、青木が口を開いた。 「このようなこと、有働様にお願いするのは心苦しいのですが、この件、できるだけ内密にしていただければ有働様にお任せできればと思います。それでいいな。武井君」  京子は頷き、有働に深々と頭を下げた。 「よろしくお願いいたします。有働様。何かお手伝いできることがございましたらお申し付けくださいませ」  有働は面を上げるように促し、出された茶を一口含んでから話し出した。 「事情は承知している故、なるべく内密にことは進めるとしよう。そうだな。とり急ぎやってもらいたいことはできる限り、噂話の内容を集めてくれ。具体的に誰がいつ、どこで起きたのがわかればいい。それからその話を誰から聴いたのかということも大事な情報だ。それらがある程度わかったら手紙でもくれたら助かる。そうだな2週間というところか。そこをひとつ期限としてある程度結論を出すとしよう。ワシも神田神社の工事にはいろいろ思うところがある。不安要素はできるだけ取り除き、よき仕事としたいものだ」  有働はそう約束して日本橋をあとにした。車の中で榊に小田原の御前と急ぎで連絡をとるよう伝えた。それが剛が東京に出てくる2週間ほど前のことであった。
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