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第24話 幸太郎の報告
羽佐間 剛という男は、実に面白いと同郷の幼馴染である長谷川 幸太郎は思っていた。二人をよく知る人間からするとまったく性格や育ちの違う二人がこうも気が合うものかと思う。少年時代は病弱で外で遊ぶことが少ない剛であったが、体調がいい時は野山を散策し、なにやらぶつぶつと話しながらお気に入りの場所で本を読みふける。人を避けるということもなかったが、あえて子供たちの輪には入らない。その理由について幸太郎は一度訪ねたことがある。
「子供というのは実に難しい存在だ。しっかりとした自我を持ちながら誰しも誰かの子供であり、その呪縛から逃れるには大人にならなければならない。もちろんそうでない人間もいるが、なにかとままならないものなのさ。たとえば僕は病弱で運動能力は他の子どもたちにかなわない。鬼ごっこなんかしたものなら、それはゲームにならないし、ひどければいじめ、仲間外れにされてしまう。そうなるのも困るが、そうならないのもこれはこれで困るのさ。なぜなら僕の家はあんなのだから、誰も僕の機嫌を損なうことをよしとしない。その地域でやんごとなき家の三男だとしても僕の覚えが悪いというのは損でしかない。そんなことはお構いなしに僕に接してくれたのは、幸太郎、お前くらいのものなのさ。困ったものだ」
そのときの歯がゆさを幸太郎は覚えている。そんなことを剛が考える必要はないと大声で怒鳴りつけたいと思いながらも、剛の見識には聞くべきところが多い。幸太郎は今も昔も偉丈夫で豪胆で闊達である。そう周りから見られていることも知っていたし、だからこそ控えるべきところはそうしてきた。怖がられるのは性に合わなかった。しかし、自分の家や相手の家のことまで考えたことはなかった。人との関わりとは、そうした視点も必要なのだと剛から学び、できることは剛に習った。
剛もまた、幸太郎のそのようなところが見た目に反して愛らしく、頼もしく、だからこそ羨ましく思っていた。幸太郎の実直さは剛にはない。それは鳥が空を飛ぶために羽があり、モグラが地に潜るために爪があるのと同じように憧れてどうにかなるものではない。それでも幸太郎は鳥の心を知ろうし、モグラの気持ちを考える。普通ならそこは人間様として別のことと考えるのが普通である。幸太郎は気が付いたこと、新しい考えや知識に対して自分はどうであるのか、どう感じ、どう思うのかを素直に表現できる。何事にも臆することなくありのままを受け入れるというのは剛にはできないことであった。
剛は本を読み、できるだけそれが事実であるかどうか実践をした結果を知識として構築することを好んだ。それは病弱な自分にどんなことができるのだろうかという可能性の追求であり、モグラは鳥を怖がり地に潜り、鳥は獣から身を守るために空を飛ぶ。それは知識であり、進化の過程で枝別れしたに過ぎず、どちらも同じだと理解してしまう。その理解は動物に心があるかどうかの問題を別のこととして無視することでもある。
剛の特殊な能力――動物に名を与え、人のように対話ができるようになったのは、そうした考え方をしてしまう罪悪感や自己否定から来たものかもしれない。それが実際に能力であるのか病であるのかということに関しても、剛は言及を避けてしまう。それを追求することは剛自身の心のバランスを著しく不安定にすると予測がついてしまうからこそ、剛はそれをしない。できないのである。
幸太郎であればどうなのか。そう自分に問うて剛は幸太郎の言葉を思い出して失笑する。
「剛にはよく動物がなつく。それはお前がいい男だからだと俺は思うし、俺もお前はいい男だと思っている」
幸太郎の剛に対する態度は、自分にないもの、自分と違うものに対する敬意を必ず含んでいる。それは等しく周りに対してそうであるし、それがよからぬこと、幸太郎の価値観に反するものであれば、「それは違うと俺は思う」とはっきり言う。
裏も表もないのではなく、裏も表も見せる。見抜く、見透かさずにありのままを言える幸太郎は、剛にしてみれば動物と会話できるよりも特殊な能力であると、頼もしく思うのである。
「頼まれたことを調べているのだが、どうも要領を掴めずにいる。任せておけと言っておきながら不甲斐ないことよ」
偉丈夫が閉店した東風亭に顔を出したのは夜8時を回ったころだった。
「あら、めずらしい。幸太郎さんがそんな所在なさげな顔をするなんて、さてはお友達に無理難題でも押し付けられましたか?」
初枝は手早くコーヒーを淹れて幸太郎に差し出し、カウンターで本を読みながら友人を待っていた剛のほうを悪戯っぽく見ながら微笑んだ」
幸太郎が何かを言いかける前に剛が先んじる。
「いえいえ、幸太郎しか出来ないことを依頼して、どうやら僕の期待通りの答えを持って帰って来てくれたようで、ほっとしているところですよ。初枝さん」
幸太郎は不満げに剛を一度見やり、出されたコーヒーの礼をまず言うと、先に出されたよく冷えた水を一気に飲み干して言った。
「剛、お前の良くないところだぞ。そうやって自分は何でもわかっているような言い方をして人をからかうのは」
剛はおさまりの悪くなった髪の毛をかき上げながら初枝に向かって言った。
「幸太郎に難題を出したことは事実ですが、無理をせずともちゃんと答えを持ってきてくれると信じていました。これは幸太郎にしかできないことなので、私はとても感謝をしているのですよ。それに――」
先に呑んでいたコーヒーを一口、口にしてから剛はゆっくりと話し始めた。
「手品というものは、タネもしかけもあるものです。今からそれを披露しますのでどうか内密にお願いします。そうでないと僕が人でなしだということがみんなにバレてしまう」
剛の言葉に二人は文字通り目を丸くして沈黙してしまった。剛はしまったという顔をしてから一度咳払いをして話をつづけた。
「これから話すことはとてもデリケートなことなんです。でもぜひ初枝さんの意見も聞きたいし、これから話すことで何か心当たりがあるのであれば、その話を聞かせていただきたくて、この時間までお待たせしてしまったのです。最初から事情を話せなかったこと、ご容赦ください。千春さんには聞かせたくなかったので」
剛は沈黙による二人の了解を得て、話をつづけた。
「僕がこちらにお世話になる際に、幸太郎よりある依頼を受けていたのです。それは面妖なことでして……」
剛は初枝にわかるように幽霊坂にまつわる化け猫騒ぎ、そして空き家になっている洋館の話を簡潔に話した。
「それで私は剛から頼まれたのです。その噂話に関する詳細な情報を関係者から聞き取ることと、幽霊坂の古い地図――それは手に入れることができました」
幸太郎はスーツケースから数枚の地図を取り出し、カウンターの上に広げてみせた。
「なるほど、これは助かる。さすがだ、幸太郎。ここからわかることは、幽霊坂というのは、昔からすると随分と整備をされていて、そのような面妖なものがいるのだとしたら、そのたびに噂話がでそうなもの。初枝さん、どうです。そのような話を聞いたことはありますか?」
初枝は即答こそしなかったものの、首を横に振って明確に答えた。
「長いことここにいますけど、そんな話はきいたこともありませんわね。私が知らないのだから、なかったと言っていいと思いますわ」
幸太郎はうなりながら大きく何度か頷き、初枝の言っていることは間違いないと意を表した。
「であれば、今回の幽霊坂の噂話は、この場所と歴史にはなんら関係のないもの、強いて言えば洋館の猫塚の話がありますが、それだって、いまさらということになります」
幸太郎が話に割って入る。
「だがな、剛よ。このことは神社の工事、あの洋館の庭を整備するというところから始まっているのだから、その因果を無視することはできまい」
剛は頷き、そして説明を始めた。
「その通り。この噂話はあくまでその工事にまつわるものであって、そこにたまたま猫塚という厄介な存在したに過ぎない。もっともそれが問題なのだが、逆に言えば、そうでなければ、この幽霊騒ぎは起きなかったということになる」
「ふむ、まさしくそうだ。だからこそみな、祟りだと恐れている」
「では、なぜ、その場所なんだ?」
幸太郎には剛の言っていることが呑み込めずにいる。
「なぜ、と言われても、神田神社の工事をするためには資材置き場はあったほうがいい。効率を考えれば条件として悪くない」
「悪くないが、最善でもない?」
幸太郎はしばらく考えて答えた。
「そうだ。悪くはないが、よくもない。調べてみないとわからないが、あそこでなければいけないということはないな」
「初枝さんはいかがです? あの洋館には昔からよからぬ話があって、なぜあんなところを資材置き場にするんだという印象がございますか?」
初枝は即答した。
「工事というものがどういう手順でされるのか、それも神社となればどれだけの資材が必要なのか、想像もつきませんわ。でも、そうね。あの場所は不思議な場所ではあっても、よからぬ場所ということもないわね。不思議と言っても空き家である事情を知らないというだけかしら。猫塚なんて話は、聞いたこともないし。せいぜい野良猫が住み家にしていることぐらいね」
剛は幸太郎が来るまで読んでいた本を手に取り二人に見せた。
「これは古来から伝わる魑魅魍魎、妖怪や怪異をまとめた本です。化け猫の話でもっとも有名なのが『佐賀怪猫伝』。これは佐賀藩で実際にあった政権交代を題材にした化け猫の作り話です。政権を奪われた元藩主の恨みが化け猫となって現れ、その家に祟るというよくできた物語さ。猫というのは犬とは違って人の思うようにならない、というよりなりにくい生き物なだけに、長く生きた猫は尾が二つに分かれて猫又という怪異に変化するので飼う年数を決めていたなんて話もある。しかし、化け猫というのはもっと古い物語にはなかなか出てこない。キツネやタヌキのほうが主役といったところか。化け猫の存在が多くの人に認知されるのは江戸時代、つまり都市としての機能がそろってからのこと。化け猫が油を舐めるという描写は、食物が粗末で油分の足りない猫が植物性の油を舐めていたことから化け猫の定番として描かれるようになった。つまり化け猫というのはどこにでもいたわけでもないし、昔から居たわけでもない。いわば都市伝説といったところか」
こういう話を披露するときの剛は、知識欲を見たし、高揚感に包まれた少年のようであった。
「なるほど、化け猫というのはそういうものであったか。ではやはり、あの騒動は単なる噂と言うことになるのか。それにしても解せぬなぁ。いい大人が化け猫の祟りだと言って仕事に支障がでるというのは、なんとも解せぬ。それに実際どうであったかといろいろな人に尋ねてみたが、みな歯切れ悪く、そういう話を聞いただけだと言う。目撃したという男に連絡を取ろうにも、なんだかんだと理由をつけてなかなか会ってもくれないし、話もできない。電話ぐらいする時間はあるだろうに」
幸太郎は剛に頼まれた噂の出どころ、化け猫を見たという『銀二』という男、その男に化け猫の話を聞かせた『正田』という男への接触が未だに出来ていないことを悔やんでいたのだったが、その話を聞いたとたんに剛の表情が喜びに満ちていることに戸惑った。
「それが知りたかったのだよ、幸太郎よ。お前は本当にすごいやつだ」
「なんだ、俺をばかにしているのか」
「違う、違う、褒めているのだよ。それこそ手柄というものだ」
「どういうことだ。もっと俺にわかるように言ってくれ……。もちろん初枝さんにもだ」
初枝は話の内容よりも二人――剛と幸太郎の関係性に憧れのようなものを感じ、微笑ましく思っていた。
「本当に羨ましいわ。だからこそ二人とも、お互いを大事にしなければなりませんよ。幸太郎さんも、剛さんも」
つい思ったことを口にしてしまったと、初枝は舌を出して照れ臭そうに笑った。
「つまりだ。幸太郎。ないものはないのだよ。そしてないものがあるということは、つまりはあるように見えているだけなのだよ。これは手品の基本でもある」
幸太郎は不満げに答えた。
「俺は手品が嫌いだ。人を化かすことを生業とするなど、俺にはよくわからん。それにもったいぶった言い方をしているときの剛はもっと嫌いだ」
初枝が先に笑ったのか剛が先に笑ったのか。閉店時間を過ぎた神保町の喫茶店から笑い声が漏れ聞こえていた。
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