第25話 剛の手品

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第25話 剛の手品

 初枝は笑いながら手早くコーヒーのお代わりをさりげないしぐさの中にも愛着を込めて剛と幸太郎に用意をした。幸太郎は笑われていることには腹を立てていないが、話をもったいぶる剛の態度を快くは思っていない。そしてそれすらも見透かされていることに恥ずかしさ、照れくささを隠せないでいた。 「幸太郎は誰よりも答えのそばにいるんだよ。立場を変えて物事を考えるというのは簡単なことではないだろうし、幸太郎は『なぜそんなまどろっこしいことをするのだ』という気持ちの良い性格をしているからなおさら難しいのだと思う。ただ問題はそれを織り込み済みで誰かがこの状況を作っているのかどうか、或いは当てが外れてこうなっているのかどうか。そのあたりはまだなんとも言えなのだが……、まぁ、それはいい」  剛はティーカップを持ち上げ、ゆっくり香りを愉しんだあとに初枝におかわりの礼を会釈で済ませてから一口、コーヒーをたしなむ。幸太郎もそれにならう。 「話を整理すると、幸太郎の言う通り、この件は神社の工事、あの洋館の庭を整備するというところから始まっているのだから、その因果について考える必要がある」 「ふむ、それはあっているのだな」 「そう、あっている。あっているのがこの場合は問題というか、最初にそれを疑問に思うべきなのだよ」  初枝は黙って二人の様子を覗っている。まるでそこにいて、そこにいないような自然な振る舞いは長年、客商売をやってきて身に着けた所作なのか、或いは初枝にはそうしたことにもともと長けていたのだろうかと剛は視線を店の主人の手元に一瞬視線を向けてから話を続けた。 「思うに、これは誰かが……、この場合一人とは限らないが、何者かの意図によって引き起こされているのだと僕は考えている。つまり誰もがあの洋館に注目せざるを得ない状況を作り出した。これは手品でいうところの……。」  剛は懐に右手を入れて十円玉を一枚取り出して見せた。手の平を広げてやや大げさの動作で表向きになっている十円玉を左手で裏返して見せて、その上にペタンと左手をかぶせた。 「さて、十円玉は表か裏か」  剛はちょうど初枝と剛の中間の位置に両手を伸ばし、右手に左手を乗せた状態で二人に問うた。 「気に入らんが裏だ。俺にはそう見えた」 「そうね。そのままなら裏だわね」  剛はゆっくりと左手を手前に引く。そこに裏になった十円玉が現れ、続いてもう一枚の十円玉が表で現れた。 「あらまぁ、増えてるわ」 「これでは裏も表もないではないか」 「いや、裏でもあり、表でもあるというべきなのさ」  剛はそれぞれの十円玉を左手の人差し指で指示した。 「いつの間に十円玉を増やしたのかしら、確かに一枚しかなかったわよね」 「ふむ、まるで気づかなかった。勝手に増えることもないのだから、剛が我々の目を盗んでどこかから出したのだろうが、それが今回の件とどう関係があるというのだ。いや、その前にどうやったのだ。このペテンは」 「おい、おい、ペテンはひどいだろう。幸太郎よ。まぁ、ペテンには違いはないのだが手品や奇術と呼ばれるものの基本は今僕がやって見せたような手順や動作なんだ。これらをより複雑に、大掛かりに、そして巧妙にやってのける人たちのことを魔術師、奇術師というんだ。その労力と創意工夫と小道具や大道具に見合う対価を彼らは稼いでいる。立派な商売さ」  剛は十円玉二枚を懐にしまい、再び何もない手の平を二人に見せてから、そのてを裏返して見せた。 「あらまぁ、そんなところに隠してらしたのね」  剛は右手の小指と薬指の間に十円玉を挟んで隠し持っていたのだった。 「手品の基本は気をそらすことです。僕が右手を懐に入れる動作を二人に見せつけ、そこから十円玉を一枚取り出したように見せる。もし僕が『今から手品をします』と宣言していたのなら、人によってはその次点でこの右手が怪しいと見破り、裏も見せろと言うかもしれませんが、技術に長けた人であればそれすらもかいくぐって十円玉を隠すでしょう」 「つまり剛よ。どういうことなのだ。手品はわかった。今回の件がこれと同じように誰かがないものをあるよういに見えてしまうような手品を仕掛けたのだとして、それは誰がどんな目的で仕掛けたのだというのだ」  幸太郎はまっすぐにことの本質をついてくる。それが剛にはうれしかったが、同時に嫉妬にも似たような感情を伴っていた。 「その話は後でするよ。もう少しこの手品の話をさせてくれるかい?」 「いいとも、お前、駄目だといってもするのだろう」  初枝はおかしくて仕方がなかったが、ここは剛を後押しすることにした。 「私ももっと聞きたいわ。手品の話、だって勉強になりますもの。人がどんなふうに人の目を盗むのか。それを見破ることができるようになれたのなら何かと安心ですわね。特に今のような時代には」  幸太郎は「なるほど」と初枝の言葉に大きく相槌をうち、剛の話により集中した。 「観る人によっては、このような手品はすぐに見破るでしょう。しかしここでまたしても、このようにしたらいかがです?」  剛は先ほどと同じように十円玉を右手に乗せて、そこに左手をかぶせ、ゆっくりと手前に引く。すると十円玉は3枚に増えていた。 「あらまぁ、今度は2枚増えたわ」 「どこに隠していた……、いや、待て、そうか。左手は観てないな」 「その通り。幸太郎、これが手品の面白いところでもあり、人の目を盗む手口なのさ」  剛は左手を袖に入れてさらに二枚の硬貨を出して見せた。それは五円玉と一円玉であった。 「僕は最初からこの方法でお二人をだましていたのです。懐に右手を入れる動作、そして右手で十円玉を隠す仕掛けを見せて、完全に左手から注意をそらす。僕は最初から手品を用意していたわけではありませんでした。先ほど、ほんの言葉の綾で『手品というものは、タネもしかけもあるものです。今からそれを披露しますのでどうか内密にお願いします』とつい口にしてしまい、実は慌ててこの手順を考えついたのです」 「まぁ、剛さんって案外、お人が悪い方なのね。それとも意地っ張りなのかしらね」 「それは両方です。初枝さん。剛は人よりも知恵が回るので意地を張るとこのようないたずらをして人を困らせるのですよ」  剛はおさまりの悪い髪の毛を掻きむしりながら照れくさそうに笑った。 「ですので、今回の事件は用意周到になされたものではなく、その場しのぎの隠し事から始まり、それを再利用してより手の込んだ手品に仕立てたような流れではなかったのかと僕は考えているのです。誰もがそれを祟りではないかと思わせるための仕掛けだと思わせておいて、本当の目的は『誰もが』ではなく特定の人間をターゲットにしている可能性。その一人が幸太郎、お前だと、僕は思っているのだよ」  剛の言葉にそれまで和やかだった空気が一瞬張り詰めたが、それを幸太郎の大きな笑いが打ち消す。 「なるほど、そういうことかよ。剛、これはすこぶる愉快ではないか。それで俺は誰と喧嘩すればいいのだ。俺が祟りや魑魅魍魎の類を怖がるのだと思っているのなら、これ以上笑えることはないではないか」 「お二人を観てると本当に楽しいですわ。まだまだ話は続きそうですわね。お二人ともおなかはすいていませんか。あるものでよければ……そうねぇ。パリ風サンドイッチとならすぐに用意できますわよ」  二人の返事を聞く前に初枝は戸棚から材料を取り出して調理にかかった。  東風亭は奇術の見世物小屋から本来の姿を取り戻した。
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