第5話 神田にてあんこう鍋を食らう

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第5話 神田にてあんこう鍋を食らう

 東京駅にて5年ぶりに再会した羽佐間剛と長谷川幸太郎は路面電車に乗って神田方面に移動した。 「よし、ここで降りよう」  幸太郎は淡路町で電車を降り、剛を案内した。 「どうだ。なかなかの店だろう」  幸太郎は『あんこう鍋 いせ源』という店の前で立ち止まった。 「うむ、できたばかりの店か」 「いや、創業は随分古い。すでに100年の歴史を持っている」 「建て替えか」 「そうだ。震災で焼けてな。去年ようやく営業を再開した」 「それは、それは……。で、その店は美味いのか」 「ああ、美味いぞ。その店は」  幸太郎の顔を見れば、この店がどれだけ美味いのか想像がつく。それでも確かめずにいられないのは、幸太郎が何やら話したくて仕方がないという顔をしているからだ。 「それだけではないな?」 「ああ、まぁな。それはおいおいわかる。まずは飯だ」  幸太郎はやけに楽しそうであったが、剛は少し不安になっていた。  なぜならこういう時、幸太郎は何やら企んでいるに違いないのだ。  しかし、あのような剛毅な性格であるので、すべて顔に出る。  悪い話があるときは神妙な顔をしているし、良い話のときは、早く言いたくて仕方がないという顔をする。  嘘のつけない、よい男なのだとは思うが、どこか危なっかしく感じる剛であった。 「長谷川です。2名で予約している長谷川幸太郎です」 「あら、長谷川様、よくいらっしゃいました。どうぞ、どうぞこちらへ」  すぐに女将らしき妙齢の夫人が案内をしてくれた。  剛にもわかる。  建物は新しくても、この店にはしっかりとした歴史がある。  二人は畳の敷き詰められた大部屋を抜けて奥座敷へと案内された。 「いい店だな」 「おうよ。東京駅はモダンなところがいい。そしてここは伝統を守るような佇まいが良い。どちらも正しいのだと俺は思うのだ。そうは思わないか。剛よ」  なるほど長谷川幸太郎にとっての東京とは、この7年間の震災からの復興と密接に関係し、どうやら今日はそういう観光案内になるのだろうと剛は理解した。 「ああ、古きものをすべてかなぐり捨てて、新しい物に変えていくというのは、いささか乱暴にも思えるし、性急にも思うな。どんなに新しい物でも、いずれ古くなる。古くてなお良きもの、美しきものはそのまま残せばいいのだと、俺は思うがね」  幸太郎は腕を組みながら大きくうなずき、そして笑った。 「安心したぞ。いや、心配はしていなかったが、お前は本当に変わらぬな。剛よ」 「それは皮肉か」 「いや、褒めている。あまり褒めたくはないが、まぁ、感心している」 「随分な物言いだな。再会草々に」 「それはそうだろう。いきなり東京に出てくるなどと、それも何をしに来るのかと聞けば、何もないという。もしかしたら何やら嫌なことでもあって、勢い逃げてきたのかと思ったが、元気そうでなにより、変わりなく何よりと、俺は言っている」 「言いたいことをずけずけという奴だ。お前と言う奴は……。逆にこっちが心配になる。幸太郎、そんなことで東京で上手くやっていけているのか。人ともめ事になっていやしないのか。遠慮がない、無粋だ、思慮が足りないと、煙たがられているのではないのか」 「これは一本取られたな。まるで見たようなことを言う。さぁ、飲めよ、酒は嫌いじゃないだろう?」  互いをよく知る間柄と言うのは、かくも遠慮もなく打ち解けるものなのか。否、幸太郎は特別であろうと剛は思うのであった。  子持ち昆布、あんきもの刺身、から揚げ、そして鍋が運ばれてくる。  箸をつけるもの、どれも美味く、そして幸太郎とかわす酒は格別であった。 「しかし、よくも遠慮なく言うものだな。俺が東京に何の目的もなく出てくるのはそんなにおかしいか」  鍋をつつきながら、剛は突っかかった。 「正直に言う。剛、お前はあの家に居てはいけない。俺は昔からずっとそう思っている」  幸太郎もまた、静岡ではそれなりに名の通った旧家の二男である。ともに家長を継ぐことを期待はされておらず、家の中でもどちらかといえば浮いた存在であった。  長谷川家は幸太郎の剛毅さとはまるで無縁の物静かな人たちが多い。羽佐間の家は常に世の中の新しい動きに合わせて攻めていくような風潮があるのに対して、長谷川家は変わることを良しとしない趣があった。それぞれ相反する家の価値観を持ち、その中で浮いてしまっている二人は、性格こそまるで違うが、どこか似た者同士と言う事であることは、出会ってすぐに理解し、お互いを認め合う関係になった。 「幸太郎が震災後に、家の反対を押し切って東京に出たのは正直羨ましかった。俺にはそんな行動力も、あの焼け野原で逞しく生き抜いていくだけの強さもない。そして俺はこうして逃げてきた。東京が復興し、世の中が変わろうとしているときに、あの家を見かぎって出てきてしまったのだ。何も褒められるようなことはないのさ」  幸太郎はうんうんと、頷きながら、目の前に出された鍋をきれいに平らげようとしていた。 「締めは、うどんか、飯か」  幸太郎が聞く。 「飯がいいな」  剛が答えると、すぐに大きな声で人を呼び、酒のお替りとご飯を注文する。 「俺は思うのだ。剛よ。人それぞれに"機"というものがある。それを待つことは卑怯でも軟弱でもない。何も考えなしに飛び出すことは決して勇気ではない。それはお前に教えられた大事なことだ。それがあったからこそ、俺はここで生活ができていると思う。そして機は熟し、お前がやってきた。なぁに、俺は何も心配などしていない。お前のここでやるべきことは、きっとすぐに見つかるはずだ」 「こんな景気のときにでもか?」 「ああ、今起きている世界恐慌は確かに困った話だ。日本はこれからと言う時に、厄介なことになったと俺も思う。しかし、人のそれぞれの営みは、そういうこととは関係なしに流れ、回っていくものだと、俺はこの数年間、東京に来て学んだよ」 「すごいのだな。幸太郎は」 「いや、ただ声が大きいだけさ。遠くまで聞こえるから重宝されるが、電話機が当たり前、車が当たり前の世界になったら、それも用無しだ」 「そういうものか?」 「ああ、そう言うものだ」  二人は昼から大いに語り合い、良く飲み、良く食べた。  そろそろ終わりにするかというところで、幸太郎が急に小さな声で剛を呼び、耳打ちをし始めた。 「それでな、実はちょっと相談に乗ってもらいたい話があるのだ」  幸太郎の顔には、さっきまでとは違い困惑の表情が浮かんでいた。
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