第6話 祟り話

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第6話 祟り話

 静岡の片田舎で育った羽佐間剛は、同郷の級友、長谷川幸太郎を頼り、関東大震災から復興を遂げた東京にやってきた。  二人は江戸時代から続いている老舗のあんこう鍋専門店で5年ぶりの再会を祝し、明るいうちから酒を酌み交わしていた。 「相談というか意見を聞きたいのだ、剛よ」  締めの雑炊を取り分けながらその顔は、さっきまでとは違い、何から話すべきかと困っている様子だった。 「ほう、お前でも困ることがあるのだな」  いつぞや同じようなことがあったが、言い始めてから本題に入るまでにかなりの時間を要したことを思い出した剛は、やや意地の悪い態度でじっくりと幸太郎が話し出すのを待つことにした。 「ところで剛よ。お前が急にこっちに出てきたというのは、やはり何か思うところあってのことなのか」  話しづらいのか、幸太郎は自分の話を棚に置いて剛の話題に挿げ替えた。 「さきほど幸太郎が何事にも"機"というものがあると言っていたが、一番の理由はそれだ。細かいことを上げれば、それは山ほど出てくる。いつまでも居心地の良いところに閉じこもっていても自分の見分は広げられない。本で得た知識も、使うことがなければ、知らないのと変わらない。まあ、そのあたりが本筋ではある。それに――」  剛は腕を組んで何やら思案している様子だったので幸太郎が話を進めるように促す。 「俺とお前の仲だ。遠慮なく話せ。誰かの耳に入れようなどと、俺がしないことはお前が良く知っているだろう」  幸太郎は剛のお椀に雑炊のお替りを入れようとしたので、剛はそれを断ろうと試みたが先をこされてしまった。  剛は大きなため息を一つついて話し始めた。 「本家と分家がやりあっている。前はきな臭いですんだが、今は露骨になってきていてね。巻き込まれるのが嫌で出てきたっていうのが大きなきっかけさ」 「そりが合わないのは知っていたが、それほどか?」 「分家で飼っている犬がばらされてね。そりゃあひどい有様さ。こんなひどいことをするやつはこの村にはいない。何かの祟りに違いないと騒いではいるが」 「祟りだと!」  それまで冷静に聴いていた幸太郎の顔が一瞬膠着した。 「いやいや、祟りなんてありゃしないさ。あれは見せしめだよ。単なる嫌がらせにしては度が過ぎているが……」 「そうなのか。祟りではないのだな。でもなんで祟りだなんて話になるんだ」  幸太郎はどうにも祟りが気になるようだった。 「ああ、あれは多分見せしめだよ。犬を殺してはらわたを掻き出されて木に吊るされていた。むごいことをする。つまりこそこそと隠し事をしたり、密偵の真似事をしたり……まぁ、だから犬なのだろうけれども。そういう行為には厳しい姿勢で臨むという警告だな」 「ほうほう、そうなのか。警告なのか。しかし剛よ。俺にはわからぬな。本当に祟りではないのだな」 「どうした幸太郎。祟りがそんなに怖いのか」  冗談めかして言ったつもりだったが、幸太郎はそうは受け取らなかった様子で声を荒らげた。 「怖いものなどあるものか! ただ心配をしているだけだ」  幸太郎の様子がおかしい――剛は腕組みをしながら目を瞑り、やや考えると右目だけ開けて幸太郎に語りかけた。 「なるほど、どうやら相談事と言うのは祟りということか。この件は人の手による嫌がらせではあるが、ある意味祟りに似ている。いや、むしろ祟りの根本的な姿形といってもいいのかもしれんな」  幸太郎は剛の言いたいことが今一つ腑に落ちずに困惑をした。 「つまりだな。幸太郎。なぜ人は祟りを恐れる?」 「それはお前、おっかないからだろう」 「そう、どんなに祟ってもおっかない目に合わなければ……たとえば近しい人たちの間で事故や病気が流行るとか、まして死んだということであれば、それはもうおっかないから人は祟られないようにする。ここまではいいか」  幸太郎は大きく二回頷き、剛の話に真剣に耳を傾ける。 「であれば、これを逆から考えてみようじゃないか。人にやられたくないことをやらせないために、この祟りという人の恐れを利用するのであればだ。それはやっぱり、身の毛もよだつような恐ろしいことをいかにも祟りのように見せつけるというのはどうだ?」  幸太郎は一瞬なるほどとうなずいたものの、すぐに首を横に振って剛に問う。 「いやいや、なんでそこまでせねばならぬ。嫌なら嫌と言えばいいし、無理やり聞かせたいのなら腕っ節の強いところを見せ付けて、脅せば済む話ではないのか? そこまで手の込んだことをする意味が俺にはわからん」  剛は幸太郎のそういうまっすぐなところが好きでたまらなかった。 「幸太郎、お前は本当にまっすぐだな。確かにお前の腕っ節なら、そうかもしれないが、そうでない人の方が多いことをもっと考えるべきだ。それに腕っ節の争いなど、ちょっとした助人を呼んでしまえば……、いや、そうでなくても人数を集めればいいだろう。いずれにしても単純な暴力に訴えるというのは、更なる暴力、つまりはお互いに武装をしていって、本当にもめ事になった時は、ちょっとやそっとのことでは収まらなくなる。これはどうだ? 俺は間違っていることをいっているか?」  幸太郎は子供が宝物でも見つけたようなキラキラとした目で剛の話を聴いている。 「おう、確かにそうだ。やっぱりお前はすごいな。剛よ。それでどうなのだ」 「結論から言えば、犬一匹の命で関係者に意思表示が伝わり、なおかつ祟りという噂で村中に知れ渡る。少し頭の回転の速い奴は、これは本家からの警告だと悟るだろうし、そうでないものも、どうやら分家は祟られるようなことをしたらしいと知る。つまり具体的に何をしてほしくないかを言わずとも、それが多くの人にしっかりと伝播されるわけだ。祟りや呪いの類は、まず始まりはそんなところだと、俺は思っているがね」  今度は幸太郎が目を瞑り、何やら考え事をしたあとに口を開く。 「合点が行ったぞ、剛。俺はつまらんことで悩んでいたらしい」 「どうした。何か祟られるようなことでもしたか?」  剛はからかい半分で言ったつもりが幸太郎は真面目に答える。 「いや、まだしていない。するかしまいか考えあぐねていたところだが、もう決めた。俺はするぞ。剛よ」 「するって、何をだ?」  幸太郎は酒をグイッと人の飲みして言い放つ。 「建物を壊す」 「建物って、なんのだ」 「化け物屋敷をだ」  剛は閉じていた左目を開けた。 「化け物とは穏やかではないな」 「化け猫よ」 「猫か。猫は嫌いではないが、はて、最近どこかで……」  剛は酒を口に含み、ややしばらく思いを馳せたが、その日はついに思い出すことはなかった。
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