スタート地点に戻ってもそこには誰もいなかった

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     宿舎の前をスタート地点として、小高い丘をぐるりと周る山道だ。だいたい一時間くらいであり、今は夜だからそれっぽい雰囲気もないけれど、昼間ならば爽やかなハイキングコースに違いない。  歩き始めて数分もしないうちに、左右を木々に挟まれて視界が悪くなる。後ろを振り返っても、もはやスタート地点は目に入らない。そこで待っているサークルの友人や先輩たちの姿も見えないし、宿舎の(あか)りも届かなくなっていた。 「懐中電灯、落とさないでね。月も星も見えないから、それがなくなると真っ暗だし」 「もちろん。そんなドジじゃないさ」  隣を歩く女性の言葉に、僕は笑顔で応じた。  彼女はくじ引きで僕とペアになった滝里(たきざと)さん。同学年だが大学の学部は違うし、サークル内でもパートが異なるから練習中に話す機会はなかった。  もしかすると、口をきいたのは今回の夏合宿が初めてだったかもしれない。それほど希薄な付き合いの異性と二人きりで夜の山道を歩くのは、人によっては気まずいものだろう。  だが少なくとも彼女の(がわ)にはそんな意識もないらしく、まるで数年来の友人みたいに、気さくな態度で僕に話しかけていた。 「田中先輩が『お化けなんかより、神隠しの方が怖いだろ』って言ってたけど……。あれって、お化けはいないって意味よね?」 「それはもちろん、幽霊の(たぐ)いが実在するはずはないし……」 「あら、ごめんなさい。そういう意味じゃなくてね」  僕の答えが見当外れだったらしく、彼女はクスクスと笑いながら続ける。 「ほら、お化けに扮した脅かし役なんて用意されてないんだろうな、ってこと。そういう用意がないからこそ、神隠しの伝承を持ち出して、代わりにそれで怖がらせようとしてるんじゃない?」 「ああ、なるほど。それは一理あるね」  確かに肝試しといえば普通、どこかに脅かし役が隠れているとか、きちんとコース通りに歩いた(あかし)として途中に置かれた小道具を取ってくるとか、そうしたイベントが用意されているものだろう。  しかし今回の肝試しは、ただ夜のハイキングコースをぐるりと一周するだけ。しょせんは合宿中のちょっとしたレクリエーションであり、たいした準備もないのは明らかだった。 「いくら暗い山道とはいえ、ただ歩くだけじゃ怖くないわよねえ」  滝里さんは微笑みを浮かべるが、薄暗い中だ。懐中電灯の光に照らされた笑顔は、薄ぼんやりとしていて、少し不気味に感じられた。 「それに、私たち二人きりでもないしね」 「えっ?」  彼女の言葉に驚いて、僕はきょろきょろと周りを見回してしまうが……。  大袈裟に手を振りながら、滝里さんは再びクスクスと笑っていた。 「違う、違う。誰も隠れてないし、私にしか見えない幽霊がいるって意味でもないから、安心して。私が言いたいのは、今このコース全体の話」  今回の肝試しは、二人一組が十五分おきにスタートする手はずになっている。一周およそ一時間だから確かに、四つの組が常にコース上を歩いている計算になるわけだ。 「なるほど。それだけ大勢(おおぜい)いれば、神隠しも起こりそうにないね」  僕もその手の話には詳しくないけれど、少なくとも僕のイメージでは「知らないうちに一人また一人と消えていく」というのが神隠しのパターン。一度に大量に消えるものでもないし、大勢(おおぜい)いれば大丈夫に思えた。  滝里さんの神隠し観も同様らしく、彼女は頷きながら言葉を続けていた。 「それにさ。前の二人も後ろの二人も姿は見えないけど、でも静かな山道だから悲鳴を上げれば聞こえるはずでしょ? それが何も聞こえてこないんだから、怖いことは何も起きてない、ってことよね」 「ああ、そうだね。みんな僕たちみたいに、ただ談笑しながら歩いてるんだろうね」 「あらあら。『談笑』だなんて、なんだか堅苦しい言い方だわ」  このように僕たち二人は、とりとめもない言葉を交わしながら、木々の間を進んでいたのだが……。    
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