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『やっほー』
山登りは最高だ。都会の雑踏を忘れ、森の息吹に包まれる。
「おおー・・・。良い景色だ・・・」
俺は山登りが趣味だ。といっても社会人になってからの趣味なので経験は豊富ではない。同じ趣味を持つ会社の先輩に色々教えてもらいながら、最近ようやく一人で山登りを始めた。
「てっぺん! 最高!」
一人、はしゃいでみる。
「・・・ん?」
不思議な看板を見つけた。
『やまびこ禁止』
なんじゃそりゃ。
「ハハハ、やっほー、ってか?」
あたりを見渡す。誰も居ない。誰か居たら恥ずかしくて思い止まっていたが、誰も居ないなら好奇心でやってみたくなる。すう、と草木が浄化した澄んだ空気を吸う。
「やっほー!」
思いっきり叫んでから、気付いた。近くに民家などがあって騒音の問題で禁止だったのかもしれない。
『やっほー』
「・・・え?」
俺の声、だけど・・・。
いや、気のせいだよな?
・・・気のせいじゃない。
『やっほー』
初めてやまびこを体験したから、こんな気持ちなのかな。なんだか違和感、というか、鳥肌が立つ。
「か、帰ろ帰ろ・・・」
山から帰ったらちょっと高いパックのごはんとレトルトカレーを食べるのが好きなんだ。俺は料理は苦手で、山でのキャンプと自炊はまだ練習中。
『帰らないでー』
「ひっ・・・」
ぞわわわわ、と鳥肌が強烈なものになった。何故かわかってしまった。なにかがやまびこを真似している。そして俺に話しかけている。
『帰らないでー』
「ご、ごめんなさい・・・。すみませんでした・・・。か、帰ります。失礼しました・・・」
『許さないよー』
俺は無言で山を降り始めた。これ以上会話してはいけない。
『どこ行くのー』
『許さないよー』
『帰らないでー』
声が段々明瞭に聞こえてくる。
近付いて、きている?
やばい、やばいやばいやばい!
『お名前教えてー』
『おうちどこー』
『帰らないでー』
『許さないよー』
『こっち見てー』
『怖くないよー』
『おーい』
『おい』
『こっち見て』
『こっち見ろ』
『見ろよ』
『名前教えろ』
『家どこ』
『帰らないでー』
『怒ってないよー』
『許してあげるよー』
ぴたり、と声がやんだ。山の裾を降りきり、アスファルトが見えた時だった。なんだかホッとして、その場に崩れ落ちそうになるのをなんとか堪えながら家に帰った。荷物をそのままドサッと玄関に置き、ドアに背中を預けて、ずるずると、今度こそ崩れ落ちた。
「どうしよ・・・。とりあえず、先輩に連絡して・・・」
震える手で携帯を取り出し、先輩に電話をかける。
「せ、先輩・・・」
『おお、どうした? 今日は山登りじゃなかったか?』
「あの、俺・・・」
山であったことを先輩に話す。
『へえー、山登りしてたら不思議な経験することはあるって聞くけど、そんなことがあったのか・・・』
「先輩は経験、無いんですか?」
『俺? 俺はないよー。オバケとか信じてないもん。まあ、アレだ。怖いなら神社かお寺に電話するか、ネットでお祓いでも調べたら? 便利な時代だからね、今はさ』
「はあ・・・」
『怖いなら俺んち来る?』
「い、行きませんよっ」
『アハハハハ! まあ、怖くなったら夜中でも電話かけてこいよ。明日も休みだしな』
「わかりました・・・ありがとうございます・・・」
『おう! じゃあまたな』
「はい」
電話が終わる。
「飯、食うか・・・。ああ、でも、汗だくだ・・・。怖いけど、風呂、入らなくちゃ・・・」
ビクビクしながらも服を脱ぎ、シャワーを浴びる。暖かい湯で汗を流し、良い香りのする石鹸で身体をこすると不思議と気持ちが落ち着いた。
「ふう・・・」
『やっほー』
俺は聞こえない振りをした。
『やっほー』
『名前教えてー』
『怖くないよー』
『おーい』
『名前教えてー』
『怒ってないよー』
『名前教えてー』
やばい。
着いて来てやがる。
ていうか、家の中に居る?
『やっほー』
リビングの方から聞こえる・・・。
『やっほー』
『やっほー』
『やっほー』
ゴトゴトと物音がする。
『名前教えてー』
『どこにいるのー』
『おーい』
『名前教えてー』
家の中を歩き回っているらしい。
『名前教えてくれたら許すよー』
俺は咄嗟に風呂から飛び出し、脱衣所の鍵をかけると風呂に戻り、風呂の鍵もかけた。そして、心の中で念仏を唱えた。南無阿弥陀仏、しか知らないけど、必死に、本当に死ぬ思いで、唱えた。
『やっほー』
無駄だった。
風呂の天井の、換気口から聞こえた。
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