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願い出ようとした夕子だが、ふと視界の端に異物を感知する。その方向へ目をやると三毛猫が寝そべっていた。ゆらりと揺れたしっぽは茶色く、先端へ向け黒い毛がぐるりと巻き付いている。
「まあ、ゆうべの猫ちゃん」
「タマ」
夕子と公文が同時に声を発したとき、猫が鳴いた。
『ようやく嫁を貰う気になったのかい。この子は見込みがあると思う、おまえに似合いだよ、公文』
「タマ、おまえは」
「タマさんとおっしゃいますの? 昨夜は寝間着のまま失礼いたしました、山野辺夕子と申します」
『こちらこそ、公文を頼むよ。女っけのないことはアタシが保証してやる』
「わたしがいることを許してくださいますの?」
にゃあと鳴く三毛猫に言葉を返す夕子を見て、公文は驚いた顔をして声をかけてきた。
「あなたはタマの声が聞こえるのですか?」
「いいえ。なんとなく、そう言ってるのかなって思ってるだけ。なにしろ落ちこぼれの巫女ですから。ですが、そうですか。あの三毛猫はあやかしなのですねえ」
可愛らしいわ。
そう言って笑うと、公文は口許を手で覆って視線を下へ向けた。くぐもった声が漏れてくる。
「……聞いていただけますか?」
「なにをでしょう」
「我が草薙と三宝山の主が築いてきた盟約。しかしこれは一族のみが知る秘密です」
「そんな大切なこと、部外者のわたしがお聞きしても大丈夫なのでしょうか」
「部外者ではありませんよ。だってあなたは僕の妻になる方ですから」
そうでしょう?
青年の内心が夕子の頭に響く。
公文が夕子を見据えた。眉は変わらず鋭いけれど、眼差しは優しく、口許は弧を描く。
あの声は単なる願望かもしれない。
けれど、都合よく受け止めることにして、夕子ははにかんだ笑みで「はい」と答えた。
行儀見習いを兼ねて草薙家で暮らすこと約二年。
十九を迎えた夕子と公文の祝言は、滞りなくおこなわれた。
夫婦となったふたりが縁側で寄り添うなか、足下で寝そべる三毛猫が、慶事を祝ってにゃあと鳴いた。
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