第四章 盗まれたオートマタ EP.29新聞記者ジールマン

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第四章 盗まれたオートマタ EP.29新聞記者ジールマン

 コンラート・ジールマンは、ブレーメン警察署の出入り口でタバコをふかしていた。薄い栗毛色の天然パーマの上にハンチング棒を被り、ズボンのポケットから懐中時計取出し時刻を確認した。 「ランチの時間に間に合わないじゃないか」  時計は十三時半を回ろうとしていた。上着のポケットから手帳を取り出し"亡き婦人の人形"、"警察に呼ばれた男"と書き足した。彼は地元の新聞社の記者であり、ベルンシュタイン夫人から始まった殺人事件をこれまで追いかけてきた。  ジールマンは二件目の殺人事件が起きたとき、真っ先に連続殺人事件の可能性について触れており、その記事は彼が初めて世間の注目を集めた記事であった。  それゆえに彼には犯罪者の意図に載せられてしまったというじくじたる思いがある。なんとしてでも第二、第三の殺人を実行した犯人の悪事を暴き、雪辱を果たしたいと考えていた。  地元大学で社会学を学んだジールマンは、新聞社の役割は単に事件や事故の記事を書いて市民に知らせることにとどまらず、社会正義に貢献するべき責務を担っているという考えを持っていた。  経済発展が目覚しいブレーメンではここ十年で人口が二倍以上に膨れ社会システム――警察、消防、病院、役所といった公共機関の整備が求められる一方、電球、電話、ガソリン車の普及という近代化が進み、それに伴い人々の生活が大きく変わろうとしていた。  そうした中でジールマンは、"犯罪の近代化"や"変化する社会インフラと現行の法律の問題"などをとりあげ、これからの社会はどうあるべきかを市民に問うような記事を多く書いてきた。 "自動車で逃走する犯人を馬車で追うブレーメン警察" "拳銃を持った強盗に丸腰のブレーメン警察" "犯罪者は電話でやりとりをし、警察署は電報でやりとりをする"  もちろんブレーメン警察署にはガソリン車も自動小銃も電話もある。しかし、それらを効率的かつ効果的に使っているのは、実際犯罪者のほうが一枚上といった印象がある。  そもそも犯罪者は犯行を行う前に準備ができるが、警察は事件が発覚してからでしか、基本的には動くことはできない。そうした犯罪を未然に防ぐための人員も武装も法的な整備もできていないのが現状である。   しかし今回、犯罪者に手篭めに取られたのは警察だけではない。新聞社も連日"ブレーメンの連続殺人鬼"という見出しで『社会を脅かす猟奇的な犯罪者像』を市民に植え付けるような記事を書き、真犯人が仕掛けた『事件の本質から目を逸らせる』ことに貢献してしまったのである。  ジールマンは客観的に自分の職責を評価することができていただけに、後世に『新聞社を利用した情報操作による新しい犯罪の隠ぺい工作の事例』として自分の書いた記事が紹介されるという未来を想像し、夜も眠れない日々を過ごしてきたのである。 「警察を出し抜いてでも犯人を捜し出して見せますよ」  そう編集長に啖呵(たんか)を切って今回の取材に臨んだものの、得られるものは期待に反して少なかった。このままでは社に帰れない。ジールマンは、合同の記者会見が打ち切られたあとも、何か新しい事実はないかと警察署の中をうろうろとしていたのである。 「思わぬところで面白い物を見ることができた。それにあの男は亡くなったアメリア夫人とどういう関係なのか興味深い。こいつは行けるかもしれない」  ベルンシュタイン卿が歳の離れた妻の浮気に激情し、気が付いたら首を絞めて殺してしまっていたという陳腐な事実は、実際多くの市民をがっかりさせた。  遠く離れたイギリス、ロンドンでは『切り裂きジャック』と呼ばれる猟奇的な殺人鬼が世間を騒がせ、その犯人はいまだに見つかっていない。  多くの謎を残したままのこの事件は、世界初の『劇場型犯罪』であったと言える。不謹慎ながら市民の間には、ついにブレーメンにも『切り裂きジャック』が現れたという恐れと同時に、ブレーメンがロンドンやパリなどと同じ大都市になったという自負も混在していたのである。  ジールマンは考えた。もしも今回の『猟奇殺人を装った新しい劇場型犯罪』の謎を解き明かすことに貢献できたなら、一気に自分の名を上げることができる。逆にそれをなし得なければ、知能犯に操られた道化として後世に名を残す可能性もある。ここはなんとしてでも、実行犯の手掛かりを自分の手で見つけて世間をあっと言わせたいという功名心にかられていた。  ジールマンは警察署で見かけた被害者と何らかの接点がある男性を待ち伏せている間に、事件のことを頭の中で整理することにした。  確か殺害の動機とされる夫人の浮気に関して、確かな情報は何も得られていない。それはベルンシュタイン卿の被害妄想であり、実際に夫人は不貞を働いていたのかどうかはわからない。  仮に先ほどの男性がその不貞の相手であったとしても、今更、警察がそんな人間に事情を聞いたところで、残りの二つの殺人の実行犯につながるような情報を持っているはずもない。では、なぜ、あの男はあそこに居たのか。  ベルンシュタイン卿の突発的な殺人を猟奇的な連続殺人に見せるための工作――革製の紐を二重に巻いて猿轡(さるぐつわ)をしたうえで自分の手で正面から首を絞め殺し、被害者が履いていた靴を脱がして持ち帰るという、一見常軌を逸したように見える犯行スタイルは、第一の殺人の犯人がベルンシュタイン卿であることを隠すために必要な工作であったのではないか。もしかしたら、そのことと不倫相手と何か関係があるのか。  つまりベルンシュタイン卿が怪我をしたのはあの男との格闘の末なのではないか。だとすれば、おそらくベルンシュタイン卿は、連続殺人の罪をあの男に、妻の不倫相手に被せることで復讐をしようとして、失敗をした。 「それにしても、あの夫人を模した人形はいったい何なんだ。さっぱりわからないな」  あの男の様子から、あの人形のことは何も知らない様子だった。いずれにしても事件に関する新しい情報であるのなら何でも構わない。ジールマンは煙草を根元まで吸い終わると、地面に捨てて足でもみ消した。  ちょうどそのタイミングでブレーメン警察署から一人の男がうつむき加減で出てきた。彼は未練がましく警察署を振り返りながら、ゆっくりと路地に向かって歩き出した。 「すいません。ちょっとお話、よろしいですか。私はコンラート・ジールマンと申しして、今回の事件、アメリア・ベルンシュタイン夫人を最初とする連続殺人事件について調べいるのですが……」  男は酷く驚いた様子だったが、ジールマンを無視して再び歩き出した。ジールマンはすぐに男を追いかけるように並走する。 「あなた先ほど亡くなられた夫人の名前を呼んでいましたね。親しい関係だったんですか。ご親戚とか、ご友人とか、或いは……」 「あなたに話すようなことは何もありません。どうか、お引き取り下さい」  取り付く島がないという感じで、男はジールマンを避けた。 「まさか恋人ってことはないですよね。だとするとあなたはきっとこう考えているに違いない。夫人を死に追いやったのは自分の責任だと……」  男は立ち止まり、ものすごい形相でジールマンに掴みかかった。ジールマンは身構えたが、男の目に涙が浮かんでいるのを見て確信した。間違いない。この男が不貞の相手だと。 「私は新聞記者をしています。今回の事件、夫人はお気の毒でした。そのことにあなたが責任を感じようと感じまいと、それは当事者の問題です。世間はとにかく少なくとも私には興味はありません。しかし、残りの二つの殺人事件、これは第一の殺人事件が起きなければ死なずに済んだ人たちの問題です。これはあなた方の個人的な責任の範疇を超えて、公な責任があると、私は考えています。このような悲劇が二度と繰り返すことがないよう、事件の真相を白日のものとし――」  男は力説するジールマンの胸ぐらを掴み、強引に話を中断させた。 「貴様に何がわかる!」  鬼気迫る形相でジールマンに詰め寄り、路地の裏手に引きずりこむと、男は泣き叫んだ。 「そして貴様に何ができるというのだ。僕は全てを失った。彼女は僕にとって何よりも大切な存在だったんだ。彼女がいなければ、世界がないのと変わりはない」  男は泣き崩れ、ジールマンにしがみついて立っているのがやっとであった。 「彼女ならまだいるじゃないですか。ブレーメン警察署に」  男の嗚咽が止まった。 「もし、あれをどうにか手に入れることができたのなら、いろいろとお話を聞かせてもらえますか?」  男の目が救いを求める子供のように変化した。 「それにはあなたの協力が必要だ。どうです。二人で彼女をあの薄暗い部屋から救い出しませんか?」 「僕は……、僕の名前は、ブランデンブルク、フリッツ・ブランデンブルクと言います」  ジールマンはその名前に聴き覚えがあった。 「フリッツ・ブランデンブルク……あの『ブランデンローザ』のやり手オーナー」  ジールマンは襟元をただし、そしてブランデンブルクに右手を差し伸べた。その手をしばらく眺めたブランデンブルグは両手でその手を掴んだ。 「どうか、僕を助けてください。ジールマンさん、そしてアメリアを助け出してください。お願いします」  一体のオートマタを巡って、運命の輪が大きく動き出した。
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