第四章 盗まれたオートマタ EP.33保管室の物音

1/1
前へ
/52ページ
次へ

第四章 盗まれたオートマタ EP.33保管室の物音

 カペルマン刑事は、オートマタに噛みつかれたローベルト主任の応急処置をしながら、これからどうするべきか考えていた。 「俺のことは心配ない。さっきは驚いただけさ。傷はたいしたことはない。医者も要らないくらいさ」  ローベルト主任の傷は皮膚が削り取られ痛々しくはあったが、彼の名誉のためにもあまり大事にすべきではないのかもしれないと考え、ひとつ提案をすることにした。 「今回の件、しばらく二人だけの……いや、ベーレンドルフ刑事を含めた三人の秘密ということにしてもらえないでしょうか。あまりに滑稽なことですし、騒ぎを大きくしすぎると、なにかと厄介かと」  ローベルト主任はふたつ返事で提案を受け入れてくれた。そのうえで、もう一度保管室にいってオートマタに猿轡(さるぐつわ)猿轡をするのを手伝って欲しいと伝えた。流石にいい顔はしなかったが、何事もなかったかのように元に戻したいという言葉にしぶしぶ手伝うことにした。  作業はこれと言って問題なく進んだ。オートマタにまったく動く気配がない。どういう仕組みで動き出し、それが今、なぜ動かなくなったのかもわからないため、慎重に作業をせざるを得ず、三十分ほど時間がかかった。  猿轡は、ロープを使うだけではなく、雑巾をねじったものを口にくわえさせその上でシーツを破って包帯を巻くようにあごから鼻、目にかけてぐるぐる巻きにした。人間なら間違いなく窒息死してしまうだろう。 「それにしてもよくできた人形だ。知らない奴らが見たら、俺たちはきっと犯罪者に間違われるな」 「でしょうね。実際にアメリア夫人を知る人が声を上げてしまうくらいですからね」  カペルマン刑事は余計なことをしゃべってしまったと思ったがローベルト主任はそのことにはあまり関心がないようだった。 「まったくだ。これじゃあ俺も、あの新聞記者のことを笑えんな」  カペルマン刑事は思った。改めてダミアンの、あの黒い目の人形師の忠告は当たっていたと。アメリア夫人を知っている人、特に好意を抱いていた者の目に触れれば、混乱のもとになるし、そうでなくてもローベルト主任がいたずらをしたように、好奇の目で見るものも少なくない。そしてきちんとしたメンテナンスを受けていない機械は、こうして誤作動をして、事故に繋がることもあるのだ。 「誤作動……、事故……」  とは言えカペルマン刑事には何か引っかかるものがあった。 「どうしたかしたか? カペルマン刑事」  あのオートマタがどんな代物であるのか、知っているのはベーレンドルフ刑事と自分だけである。五年前、ブルース・エルスハイマー惨殺事件があった家に移り住んだダミアン・ネポムク・メルツェルという父親にドイツ人の医師、母親に日本人の研究者をもつ、黒い目の人形師が、どのような方法で精巧に作られたオートマタに命を吹き込むのか。たとえあのような危険な目にあったローベルト主任であっても、信じることはできないだろう。 「いえ、ベーレンドルフ刑事に、何と言って報告したものかと思いましてね。アレの管理を任されていたのは自分ですから」  半分は本当で半分は嘘である。確かにダミアンからは、細かい指示が出ていた。基本的にはそれらは守られ、あそこに保管されていた。  それがなぜ、今夜になって急に誤動作をしたのか。きっかけとして考えられること。それは"あまり関係のない者に見せたり触らせたりしない事"と"物音がしても聞こえないふりをする事"の二つが考えられるが後者は結果であってきっかけではない。"話しかけない事""目を合わせない事"はどうだったであろう。今日の昼間、新聞記者がオートマタを見て驚いた。そして参考人として取調べをしていたフリッツ・ブランデンブルクもそれを見た。  見て、そして話しかけたのではなかったのか?  カペルマン刑事は背筋に寒いものを感じ、それ以上思考を進めることをやめた。 「いずれにしても、早めに報告をしたほうがよさそうですね」 「ああ、あいつはせっかちなところもあるからな。"なんでもっと早く報告しなかった!"なんて言って怒鳴り散らすかもしれないぜ」  ローベルト主任は意地悪そうな笑みを浮かべ、そしてカペルマン刑事の背中をポンと軽く叩いた。 「俺のことなら心配要らない。たいした怪我じゃないって、俺からあいつに話しておこうか?」  悪い提案ではないと思ったが、カペルマン刑事は丁重に断り、明日朝一でベーレンドルフ刑事の家に出迎えに行って報告すると伝えた。 「念のため、明日、僕らが来るまで保管室には入らないようにしてください。他の署員にもうまく話しておいてください。騒ぎは大きくしたくないので」  のちにカペルマン刑事はそう指示したことを悔いることになるのだが、それについてベーレンドルフ刑事は「俺もきっと同じことをしたさ」と言って責めることはなかった。  ローベルト主任は他の非番の署員に2階はカペルマン刑事が徹夜で作業をしているから邪魔をしないようにと指示をしたうえで、さらにカペルマン刑事は着替えを取りに、いったん自宅に行ったので今はいないと説明した。実際そういうことがこれまでなかったわけではない。ブレーメン署はこの日に限って、警備が手薄になったのはそうして事情があった。かくしてブランデンブルグとジールマンは、拍子抜けするほど簡単に夜明け前のブレーメン署に侵入することに成功したのであった。 「やはりあなたが言った通り、簡単に入れましたね」  ジールマンは声を殺して話しかけた。 「まさか警察署に泥棒が入るなんて、誰も考えないですからね」  ブランデンブルグは店で使っている衣装をディスプレイするためのトルソーを抱えていた。 「うまくすれば、しばらくは気づかれないでしょうし、警察もまさか、泥棒の侵入を許したことを公にもできないでしょうからね」  二人の計画はこうである。  警察署の警備は主に地下の拘置所で、二階は手薄である可能性が高い。入り口を誰にも見られないタイミングで入ることさえできれば、保管室までは簡単に行けるだろう。  保管室に鍵がかかっていたとしても、普通のドアの鍵であることは昼間、ジールマンが見ている。あまりほめられたことではないが、ジールマンは必要に応じて鍵のかかった部屋に侵入する術を心得ていた。  さらにブランデンブルグが店から持参したトルソーを代わりに置いておけばしばらくはごまかせる。おそらくわざわざシーツの中身を毎日のように確認はしないはずである。  そして人形が盗まれたことがわかったとしても、警察が泥棒に入られたことは前代未聞の不祥事にあたる。表立った捜査はできないし、場合によっては事件そのものをもみ消される可能性もある。 「ここです。鍵は……、さすがに施錠はしてありますね。任せてください。この程度であれば朝飯前です。僕は朝食を抜く派ですけどね」  ジールマンが時々使うジョークをブランデンブルグは好きにはなれなかった。今自分たちはとんでもないことをしているのである。 「ジールマンさん、泥棒というのは、もっと真面目にやるものですよ」  ジールマンは笑いを堪えるのに必死であったが、手先は休むことなく用意していた鉄製の細長い道具を使いあっという間に鍵を開けてしまった。 「さぁ、お姫様を救出しようじゃないですか? 王子様」  ブランデンブルグは頭を振って大きくため息をついたが、その一方で扉の向こうにいる愛しい人にすぐにでも会いたいという気持ちがこの状況を受け入れさせた。  どんなに静かにドアを開けようとしても物音ひとつさせないというわけにはいかない。さすがのジールマンにも緊張が走る。慎重にノブを回し、ゆっくりとドアを開く。昼案はまるで気にならなかったが、蝶番のきしむ音が廊下に響き渡る。二人は息を止め、気配を探る。他に物音はしない。ドアの向こう側に闇がぽっかりと口を開けている。 「灯りを」  ジールマンはポケットからマッチを取り出し灯りをともす。マッチの灯りに二人の男の顔が浮かび上がる。ドアのそばにランプを見つけた。 「あった」  ランプに火を入れ、灯りを調整する。ジールマンを先頭に二人は灯りを頼りにゆっくりと部屋の奥に進んでいく。 「確かこの突き当りのはずです」  灯りの届く範囲にようやく目的の物が姿を現す。ジールマンはランプを少し高くかざす。ブランデンブルグは身体を少し低くしてランプに照らされたシーツを掛けられた人影に手を掛ける。 「アメリア……」  シーツを下から上にまくり上げていく。素足が見え、足首のところがロープで縛りつけてある。人形であるはずなのに、それを見た瞬間痛々しさが伝わってくる。見覚えのある衣服。ブランデンブルグの店で買った物ではないが、上質の生地に品のある花柄が特徴的だ。引き締まった腰の後ろに両手が回されてこちらもロープで縛られている。 「悪趣味な……人形になぜここまでのことをするのかまるで理解ができない」  ジールマンはブランデンブルグの背中越しに覗き込みながら言った。 「嗚呼、かわいそうになんてむごいことを」  ブランデンブルグはジールマンとは別の意味で感傷的になっていたが、シーツをすべてめくり上げたとき、それはもはや怒りへと変わっていた。 「警察の連中、どうしてこんなことを……」  ランプに照らし出された異様な光景に二人とも思わず声を上げた。顔を包帯のようなものでぐるぐる巻きにされたアメリアのオートマタは、さながら顔にひどい傷を負った重症患者のように見えたが、口に何かくわえさせられている。これはもう拷問の末に殺されたようにしか見えなかった。 「昼間はこんなんじゃなかったはずだ。いったいどういうつもりなんだ。警察の奴らは」  ブランデンブルグはいきなりアメリアのオートマタに抱きつこうとした。ジールマンはとっさに危険を感じブランデンブルグの肩を掴もうとして失敗した。 「嗚呼、アメリア、僕のアメリア」  ブランデンブルグの嗚咽が保管室に響く。一刻も早くここから離れたいジールマンは焦った。しかし、催促することを躊躇するほどに、二人の姿は痛々しい物だった。 「やはりまるで人形には思えない……」  顔を包帯で覆われてもなお、それはアメリア夫人の何者でもないことがブランデンブルグを通して伝わってくる。 「さあ、急ぎましょう。ここまできて、誰かに見つかっては全てが台無しです」  ジールマンは余計な詮索はやめて、ブランデンブルグの恋人を救出することに専念することにした。
/52ページ

最初のコメントを投稿しよう!

16人が本棚に入れています
本棚に追加