第四章 盗まれたオートマタ EP.40閉ざされたカーテン

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第四章 盗まれたオートマタ EP.40閉ざされたカーテン

 もう昼になろうかというのに、その部屋のカーテンは閉ざされたままであった。もともと閑静な住宅街だが、今、この部屋の中の静けさは、そういうこととは関係なしに、時間が静止してしまっているかのような静けさ――それを静寂ということもできるが、むしろ時間が凍りついた空間といったほうがふさわしいのかもしれない。  時間とはいったいどういうものなのか。それは時計の秒針がひとつ進むごとに1秒という単位で無限に積み重ねられる、この世界の成り立ち機軸となる目盛りである。  人類が時を計るようになる以前にも地球の自転という単位、或いは地球から見た太陽、月、星の位置によって表されるものとして時間は存在した。世界のあり方というのは、過去から現在に至るまで積み重ねられた結果であり、それが繰り返される限り未来は永続的に存在する。  生物というものは、それ自体が時の流れの結晶のようなものであり、また時を刻む者、そして時を記録する者だといえる。人は遺伝子の箱舟であるという立場でこの世界を見るのであれば、フリッツ・ブランデンブルグの目の前にあるそれは、時を刻むものが必ずしも生物である必要はないと、訴えかけているようでもあった。  ブレーメン警察署から持ち出されたアメリア・ベルンシュタインのオートマタは、うつろな目でかつての恋人を見つめていた。少なくともブランデンブルグにはそう見えた。 「嗚呼、アメリア、僕の愛しい人……」  ろうそくの炎がゆれるたびに、アメリアのオートマタは表情を変える。それは光の強弱によってその美しい顔にできた影が微妙に変化しているだけのことであったが、ブランデンブルグには、密会を重ねた別宅で何度も同じような体験――カーテンを閉ざし、わずかな灯りの中で愛し合った恋人の記憶が、オートマタに足りない生命の光を補完していた。 「もう、誰にも邪魔はさせない」  協力者のジールマンには申し訳ないが、もう二度とあの男に会うつもりはブランデンブルグにはなかった。警察署から見事にアメリアのオートマタを盗み出した二人は、今夜、この場所で会うことになっていた。 「ブランデンブルグさん、とりあえず人形は別宅にでも隠して置いてください。今日一日、何事もなかったかのように振舞うのです。すぐに警察が我々のところに押しかけてくることはないと思いますが、隠密に捜査を進め、我々の動向を探りに来るでしょう。おそらくこの人形の存在を知っている人間はごくわずかだと思いますから、今日はともかく普段どおりにしておけば、無茶なことはしないと、僕は思います」  ジールマンがその話をする前にブランデンブルグはアメリアのオートマタの拘束を解こうとしてジールマンに注意された。 「ダメですよ。まだ、早いです。手足を縛り付けていたほうが運ぶのに邪魔にならない」  ブランデンブルグはその言葉を聞いた時点でジールマンを軽蔑し、若い新聞記者に大事な人を辱められることを想像し、殺意にも近い敵意を胸に秘めていた。 「今度こそ、アメリアは僕が守る」  本当はすぐにでも車でブレーメンを離れたいところであったが、アメリアを荷物として運ぶつもりは毛頭なかった。いかに精巧にできたオートマタとはいえ、昼間に助手席に座らせて街中を走るわけにも行かない。ブランデンブルグは暗くなってからジールマンが訪ねて来る前にここを出るつもりでいた。 「なんて長い一日なんだ。君とこうして一緒にいられる間は、時の流れがどこまで遅くなってもかまわない。だけど、僕は早くこの街をでたい。それには夜を待たなきゃならない。そう思ったとたんに時計は仕事をサボりだした。まだお昼にもなっていないだなんて、信じられるかい? アメリア」  ブランデンブルグが語りかけると、ろうそくの炎が揺らぎ、それによってアメリアのオートマタの表情は微妙な変化をする。  傍から見ると一方的な会話のように見えるが、少なくともブランデンブルグはアメリアと意思の疎通ができていると思い込んでいたし、実際ダミアンが作ったオートマタの表情は本物の人間と区別がつかないほどに豊かであった。  人の身体ははっきりとした喜怒哀楽を表現できるようになっている。生物とは元来、生き残るための手段として、自分以外の相手に、種を超えて自分の意思を表現する必要があった。  それは音であったり、声であったり、その生物によって違いや制限があるが、哺乳類は顔の筋肉を使って意思表示をすることができる。  もちろんどんなに精巧に作られたオートマタでも、顔の筋肉と同じような動きをさせることは難しい。  そこで一部のパーツを微妙に動かすことによって喜怒哀楽が表現できるよう「表情の共通項」を割り出して、顔を整形している。つまり微妙な光の当たり方によって、表情は思いのほか豊かに変化するのである。  更にオートマタが身につけている衣装、そして香水は、実際にアメリアが身につけていたものであり、ブランデンブルグの中にある生前のアメリアの記憶がそれらによって引き出される。  ブランデンブルグにとって今目の前にいるのは、決して生き写しの人形ではなく、アメリアそのものなのである。 「もしもあの男が、不幸にも僕らが出立するよりも前にここに現れたら、僕は君を守るために、あの男を殺さなきゃならない。君は何も心配することはないんだ。だから今は少しお休み。さぁ、目を閉じて」  ブランデンブルグはアメリアの額にキスをし、左手で顔を優しく撫でるようにして、まぶたを下ろした。ブランデンブルグは荷造りを始める前に、不測の事態に備えることにした。書斎の机の引き出しからナイフを取り出し、上着のポケットに忍び込ませた。
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