第四章 盗まれたオートマタ EP.42追跡

1/1
前へ
/52ページ
次へ

第四章 盗まれたオートマタ EP.42追跡

「出てきたぞ」  ダミアンの工房から一台の乗用車が走り出す。アドラー社の白いフェートンにはゴーグルをした中肉中背の男が運転をし、助手席にはさらさらとした金髪をなびかせている細見で身のこなしの軽やかな青年が同乗している。 「ブレーメン署のベーレンドルフと人形師のダミアンか。随分と面白い組み合わせじゃないか。気づかれないように後をつけて下さい」  二人が乗る車を、少し離れたところから観察していた背の高い男は、ライトグレイの帽子を黒い手袋をした右手で押さえながら運転手に指示をした。 「へい、へい」  運転席の男は太く、かすれた声で返事を二度してエンジンをかける。 「こいつの性能なら、アドラーなんかには負けませんぜ、旦那」  後部座席の背の高い男を振り返りながら、男は車のエンジンをかける。えんじ色のボディーが小刻みに揺れ、砂利を潰しながらタイヤが回り始める。 「すぐにおいつきますぜ、旦那」  四つのタイヤがしっかりと岩畳の路面をつかみ、力強く加速していく。 「調子に乗って追い抜かないようにしてくださいよ。フランク」  後部座席から背の高い男が物静かに苦言を呈した。銀縁の丸めがねの奥の細い目は、笑っているのか、怒っているのか区別がつかない。 「へい、旦那」  フランクは少し首をすぼめながら、アクセルをぐっと踏み込んだ。えんじ色のメルセデスは黒煙を巻き上げながら一気に加速し、先に走る白いフェートンを視界に入れると速度を安定させた。 「仰せの通りに」  フランクは大きな口をゆがめながら、ニタニタと哂っていたが、その表情は後部座席の男から見ることはできない。 「フランク」  座席に深く座りながら、さっきよりもやや大きめの声で、ゆっくりと、強い口調で運転手の名を呼んだ背の男は、少し間を置いてから言い放った。 「あまりだらしのない顔で笑わないように。みっともないですよ」  フランクはしかたがなく顔を引き締め、運転に集中することにした。この雇い主は相変わらず冗談が通用しない。わかっていたことだが、今回もし、前の車を見失うようなことがあれば、どんな酷い目に会わされるかもしれない。  願わくは、前を走る自動車の目的地が面倒なところでないことを祈らずにはいられなかった。 「へい、旦那」  二人が知り合ったのは全くの偶然だった。道端で車が故障をし、往生しているところをフランクが助けたのであった。  フランクはブレーメン北部の港、ブレーマーハーフェン近くの整備工場で働いていた。最新のガソリン車から蒸気機関を使った運搬車両、小型の船舶のエンジンから特殊な工作機械や工具に至るまで、港で使われる機械という機械のメンテナンスを何でも請け負っている整備工場である。  その日、ささいなことから親方とケンカをし、タンカを切って飛び出したものの、これといって当てがあるわけでもなく、自分一人が食っていくには、そこそこの蓄えもあったので、しばらく遊んで暮らすのも悪くないと、景気づけに酒を煽ったものの、酔いきれずにふらふらと家に帰る道すがらの出来事であった。 「どうしたんだい? 故障か?」  フランクはそれほど気さくな男でも、困っている人を黙って見ていられないというタイプでもなかった。しかしその日に限っては酒の力も助けになり、職を失った整備工は少しばかり気が大きくなっていた。或いは誰かに愚痴を聞いて欲しいという思いが、彼をそうさせたのかもしれない。 「どうにも困りました。急にエンジンがかからなくなってしまいまして」  フランクは一瞬ドキッとした。自分が声を掛けたのは、さえない感じが遠目でもわかる小男で、だからこそフランクも気兼ねなく声を掛けたのだったが、その男は何かに怯えるようにしながら、必死でエンジンの調子をランタンで照らしながら見ていた。  声は車の中からであった。車はメルセデス社のジンプレックスで、フランクは何度も整備をしたことがあった。それほどこの国ではポピュラーな自動車である。 「なにが、なんだか、さっぱりで……」  小男は悲壮な表情でフランクを見上げた。 「高い金を払っているのですから、それなりの働きをしてもらわなければこまりますね。人も、自動車も」  やや甲高い声だが、やさしさや、いたわりや、ひ弱さといったものとは無縁で、冷徹で剛毅、狡猾で無情とは言いすぎでも、前者に比べれば、はるかにそちらに近い声にフランクも一気に酔いがさめた。 「どれ、俺が見てやろう。うまく行ったら、美味い酒の一杯か、煙草ひと箱でも恵んでくれたらそれでいい」  フランクは思った。なるほど自分はなんだかんだ言っても、やはりこういうこと――人助けではなく、黙々と機械をいじっているのが性にあっているのだと。  思いっきりタンカを切って工場を出てしまったが、明日朝一番で詫びを入れよう。どんな整備工場でも、ブレーマーハーフェンくらい、いろんな機械をいじれる場所は、そうない――などと考えているうちに、エンジンがかからない理由がわかった。 「少し待ってなぁ、一五分、いや一〇分で部品をとってくるから、そしたら元通りだ」  フランクは後部座席に座ったまま動こうとしない声の主に聞こえるように小男に向かって言った。小男は後ろを振り返り、声の主にお伺いを立てた。 「こちらの方が車の調子を診て下さると申しておりますが、いかが致しましょうか?」  フランクは見るに見かねて後部座席の男に話しかけようと車内の様子を覗おうとすると、それを静止するように中から声がした。 「通りすがりの方には、感謝の言葉もございません。お言葉に甘えて、修理をお願いしたいのは山々なのですが。こちらにもいろいろと事情がございまして、こういうことを申し上げるのは非常に心苦しいのですが、ひとつ約束して頂きたいことがあります」  フランクは決して勘が鋭い人間ではなかったが、この時ばかりはこの男が厄介な素性で、これから何を言おうとしているのか察しがついた。 「ああ、面倒に巻き込まれるのはこっちも御免だ。ここであったことは誰にも言わないし、今から俺が行くところには誰もいない。十歳の時に父親は家を出ていき、残された母は女手一つで俺を育ててくれたが、無理が祟って俺が十六の時に流行病で逝っちまった。以来二十年、俺は天涯孤独の身さ。疑うのならこの男を俺のところまで一緒に来させればいい。俺は人間には、興味がない。興味があるのは機械だけさ」  声の主は満足げに何度か頷いた。相変わらず姿を見せないままではあったが、礼は十分にするからと、フランクに修理を依頼した。  十分後、フランクは工具と修理部品を携えて車まで戻ったとき、ある異変に気が付いた。小男の姿が見えない。 「時間どおりですね。仕事ができる人、私は好きですよ」  小男はどこに消えたのか。それを聴くことはとても危険なことであると思ったとフランクは、それを口にしなかった。  その時の礼に数日飲み歩いても釣りがくるマルクを受け取った、それと一緒にフランクが修理をしたメルセデスの管理と運転手を任された。メルセデス65HPは六気筒 九.五Lエンジンを搭載し、最高速九〇km/h を誇る。  目の前を走るアドラー社のフェートンのスペックを大幅に上回っていた。  あの小男がどうなったのかは知らない。たった十分の間にこの世から消えてしまうということもないだろうから、命をとられることはないと、その時フランクは思ったのだったが、はたしてそれが正しいのかどうか。フランクは考えたくはなかった。  以来三か月の間、フランクは後部座席の男と必要以上の会話をしないことを心がけていた。  この世界には知らないほうがいいということがある。  だからこそ、前を走るフェートンに乗っている人物がどこの誰であるのか、そういうことにはなるべく関心を持たないようにしていた。しかし追跡して一〇分もしないうちに、フランクはあることに気付いた。 「それにしても、よく整備された車ですな。あのフェートンは」 「ほう、やはりわかるものですか。あの車は運転している男が自分で整備しているらしいのですよ。まったく物付きというか、変わり者と言うか。もっとも助手席に座っている青年ほどではなありませんがね。」  珍しく饒舌だとフランクは思ったが、これ以上余計なことを言わないでおいたほうが身のためだと、口をつぐんでしまった。  沈黙のまま、追跡は続いた。
/52ページ

最初のコメントを投稿しよう!

16人が本棚に入れています
本棚に追加