第二章 人形師ダミアン EP.6人形の首

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第二章 人形師ダミアン EP.6人形の首

 ベーレンドルフ刑事は、すぐにそれが生首ではないと気づいたが、いわくつきの家に引っ越してきた青年に対して、警戒心と嫌悪感を強めた。 「申し訳ありません。驚かせてしまいましたかね」  その青年はいたずらっぽく笑っていたが、その黒い瞳の奥には底知れない闇が横たわっているように見えた。 「さて、これを見て驚かれたということは、僕の職業のことについて、何もご存じではありませんでしたか。刑事さん」  ベーレンドルフは危うく青年の挑発に乗るところだった。うっかりすれば、青年が何をしているかということを聞きこんでから来たことを悟られかねない。ベーレンドルフは収まりの悪い亜麻色の髪の毛を整えながら冷静に答えた。 「すいません。差支えなければ、お話をお伺いできますか。どのようなお仕事をされているんですか?」  青年は、テーブルのほうに向かって歩きながら答えた。 「人形を作っています。人は私のことを人形遣いと呼んでいます」 「具体的には、どんな人形を?」  青年はテーブルの上に置いてあった人形の首を手に取り、テーブルの上に腰を下ろした。 「まぁ、いろいろと。オートマタというのはご存知ですか。刑事さん」  オートマタ。機械人形、自動人形、日本という国では『からくり人形』といい、ヨーロッパでは十八世紀から十九世紀にかけて作られた「手紙を書くピエロ」や「シャボン玉を吹く少女」などが有名である。 「あのオルガンを弾いたりする人形のことですか」 「そうです。よくご存じで。でも、僕の作るオートマタはそういう次元ではないんですよ。そう、まるで生きているかのような動きをし、その肌の質感やしなやかな動きを再現します。これは僕以外の誰にもできないでしょう。僕は天才なのです」  青年の手の中にある人形の首は、確かにベーレンドルフが今までに見たことがないようなリアリティが宿っていたが、それは技術的なことだけではなかった。 「その、人形の顔。それは何かを参考にして……、そのつまり、誰かに似せて作ったのですか?」  ダミアンの黒い瞳が、ベテラン刑事の培ってきた感覚を刺激した。 『黒だ』  ベーレンドルフはダミアンがこの家で起きた凄惨な事件のことを知っているに違いないと確信した。 「やだなぁ。そんな怖い目で見ないでくださいよ。まるで犯人扱いだなぁ。僕はあなた方の敵ではありませんよ。もちろん、味方になると決めたわけでもありませんけどね」  ダミアンは人形の顔を自分に向けて話し続けた。 「そうですね。モデルはこの家のかつての住人、5年前に何者かによって惨殺されたブルース・エルスハイマーという男です。ですが、私にこの人形の製作を依頼した人物のことはお話しするわけにはまいりません。依頼主と私とのこれは現在有効な契約です」  ベーレンドルフは、ゆっくりと青年に向かって歩き始めた。 「なるほど。いえ、結構。そこまでお話していただければ、こちらとしては十分です。もしよければ、その人形の首、手に取って見てみたいのですが、構いませんか?」  ダミアンはにっこりとほほ笑みながら生首を差し出した。その様は、天使が悪魔の生首を差し出しているように見えた。 「なるほど、これは大変良くできている。いや、こういう言い方は失礼かもしれませんが、確かによくできてますな」 「大丈夫ですよ。人形の褒め方などというものは、そう簡単に言語化できるものではありません。私も言われてうれしい褒め言葉というものも、特にありませんから」 「胴体も……、つまり首から下はこれから?」  ベーレンドルフは、人形の生首の触感が記憶されないうちに手放したくなり、製作者に人形の首を戻した。 「いえ、これは、そういうものではありませんから」 「と、いうと?」 「つまり、首ができれば完成です。他のパーツは今回の依頼には入っていないということです」 「なるほど……、なんといいますか。悪趣味ですな。いえ、あなたがということではなく、その依頼主が」  ベーレンドルフは精一杯の嫌味をダミアンにぶつけた。 「いえ、これは僕の趣味と言ってもいいんですけどね。やはり、悪趣味ですかね」 「あっ、いや、なんというか、私にはどうも、こういうものは」 「人間であれば、おしゃべりをするのに首より下も必要です。あー、つまり、首だけでは生きて話をすることはできないという意味でね」  ベーレンドルフはその視線で疑問符を人形遣いに投げかけた。 「つまり、人形にしゃべらすのであれば、首から下は必要ない。正確に言えば、仕掛けを作った台座があれば十分ということです」  ダミアンの視線の先に、人形の首を置くのにちょうどいい――という表現も罰当たりではあるが、適当なサイズの木製の箱が置いてあった。 「なるほど、あの上に載せて、その人形に話をさせる。そういうことですか?」 「ええ。それで事足りますから」 「そもそも人形にしゃべらすなんて言うことが、できるんですか?」  ダミアンは生首を台の上に乗せた。そのいたずらっぽい笑みの向こう側には、明らかな悪意が見て取れた。 『ぐぅごぉぼぉ!』  ベーレンドルフは意表を突かれ、思わず懐に携帯していたルガーに手を掛けた。  それはまさに不気味な光景であった。台の上に乗せた生首が、人とも獣とも違う奇声を発したのである。 「まだ、調整の途中でしてね。昨日の夜、うっかり動作させてしまったものだから、近所から苦情が来るかなぁと思っていたのだけれど、まさか警察沙汰になるとはね。しかし、この国には、こういう行為を罰するような法律はなかったように記憶していますが、何か罪になりますかね。刑事さん」  ベーレンドルフがいたずらの過ぎる青年に怒鳴りつけようとしたその時、間が悪いことに玄関が勢いよく開けられ、カペルマン刑事が銃を片手に飛び込んできた。 「大丈夫ですか! ベーレンドルフ刑事!」 「この馬鹿野郎!」  黒い瞳の青年に浴びせられるはずの罵声は、ベーレンドルフの愛すべき部下に向けられた。 「あーあ。乱暴にしないでくださいよ。そのドア、越してきたときから蝶番が一つ、壊れかけていたのに」 「あっ、すいません。悲鳴のようなものが聞こえたので、つい……、あっ、ドア壊しちゃったみたいですね。すいません」  カペルマン刑事は大きな体を縮めて謝罪をした。 「ったく! これは申し訳ないことを。修理はこちらの責任でやらせていただきます」 「いえいえ、それには及びません。ただ、そのかわりに、一つお願いがあるのですが、聞いてもらえますかね」  やられたと、ベーレンドルフは直観した。 「明後日、こちらのこの仕事の依頼人が来るのですが、商品の引き渡しに際して、立ち合っていただけたら嬉しいのですが」 「依頼人……、先ほど、契約上、話せないと伺ったと思いますが」 「えぇ、現時点で、その契約は有効です。しかし、明後日にはどういうことになるのか。それはその時にならないとわからないと、僕は懸念しているのですよ。ベーレンドルフ刑事」  最初からこれが狙いだったのか。  そう思いながらも、ベーレンドルフはダミアンの依頼を引き受けることにした。かくしてブレーメン警察の刑事、ヴィルフリート・ベーレンドルフと自らを人形遣いと称するダミアン・ネポムク・メルツェルは出会った。ベーレンドルフは黒い瞳の人形師に操られているような不快感に耐えながらその場を後にした。 「すいません。ベーレンドルフ刑事」  ベーレンドルフの愛車、アドラーの白いフェートンに乗り込もうとするとき、カペルマン刑事が陳謝した。 「気にするな。お前のそのでかい図体を俺は頼りにしている。よく駆けつけてくれたな。しかし、あの青年はいったい何者なんだ。まさかあの扉……」  この時、ベーレンドルフはあの家の扉が壊れることするダミアンの計算に入っていたのではないかと疑いだした。 「何か気になることでも?」 「いや、なんでもない。署にっ戻るぞ」  二人の刑事を乗せたフェートンは軽快な音を立てて、その場を立ち去った。
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