1/2
前へ
/2ページ
次へ
 山が嫌いだ。登りたくなんてないし、近づく事さえしたくない。というより、その存在自体が嫌だ。といっても、昔からそうだったわけではない。むしろ昔は大好きだった。草木の匂いもいいし、何より、登りきったところから見る景色はいつでも素晴らしい。大学の頃は山岳部に入っていたくらいだ。  嫌いになったきっかけは、社会人になって2年目、久しぶりに山に登った時の事だ。社会人になってからの生活がようやく落ち着き、慣れてきたという事もあり、趣味としての山登りを復活させようと思ったのだ。本当は大学時代の友人と一緒に行く予定だったのだけれど、その友人が体調を崩し、僕は一人で山に登ることになった。  この日に備えて、荷物だけでなく、体力面でも数か月前からトレーニングをするなど、しっかり準備をしていた。とはいえ、久しぶりの山登りだから、そんなに大変ではない、気楽に登れるところを選んであった。何も問題なく、気分転換にもなるだろうと、僕はその日をずっと楽しみにしていた。けれど、そうはならなかったのだ。  最初は何も問題なかった。天気も良く、といって暑くもなく、最適な環境だった。トレーニングをしていたお陰で疲れることもなく、順調だった。問題が起こったのは、山の中腹辺りに来た時だった。山道の傍でうずくまっている女性がいたのだ。  最初は無視しようかと思ったのだけれど、僕とその女性以外に人がいる様子は無い。これが夜中だったら怖かっただろうけれど、まだ昼間で空も明るい。幽霊だとかそんな様子ももちろんなく、服装も登山向けの服装で、気が付くと僕は思わず声をかけていたのだった。  大丈夫ですか、という僕の声に振り返ったその女性は、後ろ姿から想像していたよりも若く、綺麗だった。女性は、大丈夫です、と小さな声で答えたけれど、その様子を見ている限りでは、大丈夫そうにも見えない。僕はリュックから水を取り出し、女性に差し出す。女性はそれを受け取り、一口飲んで僕に返した。僕は受け取り、彼女の傍に座る。彼女が心配だったからというのもなくはないけれど、何より、彼女に惹かれてしまったのだ。  そして僕たちは少し話をした。彼女の話は、少し不思議なものだった。彼女は、山に登りに来たという訳ではなく、人を探しに来たそうだ。彼女の親友が一ヶ月前、この山に登ると言っていたのを最後に行方不明になり、未だに見つかっていない。警察には連絡したけれどいまだに見つからず、彼女が自ら探しに来たというのだった。  一ヶ月も前の事なのだとしたら、さすがに今更探しに来ても無駄なのではないかと僕は思ったけれど、それだけその親友の事が気がかりなのだろう、と考えて僕は納得することにした。のだけれど、さらに続く彼女の話は、次第に何か、おかしな方向に向かっていった。  彼女も僕と同じように、今更探しに来てもどうにもならないと最初は思っていたのだそうだ。けれど一週間ほど前に、彼女は親友がこの山で遭難している夢を見たらしい。その日から毎日同じ夢を見て、少しずつ彼女のいる場所も具体的に分かってきた。それで、今日朝からこの山にやって来たというのだ。  その場所を聞くと、それがまさに今僕たちのいる、この辺りなのだという。彼女の親友は、彼女の夢の中で、ここでうずくまって苦しんでいた。そこで彼女もまたここに来て、そうすると、親友の声が聞こえてきた。一緒に山に登ろうよ、と親友は彼女にそう声をかけてきた。そしてその声が聞こえてきたのと同時に、彼女は苦しくなり、うずくまっていたのだという。  僕は冷静を装いつつも、気味が悪くなり、彼女から離れ山頂に向かう事にした。彼女に、これからどうするのかと聞くと、もう少し親友を探してから帰る、と言った。引き止められなかったことにほっとしながら僕はその場を後にした。  そんなことがあったからか、せっかく山頂まで来たのに、あまり気分は優れなかった。ぼんやりと景色を眺めながら持ってきたおにぎりを食べ、早々に下山することにした。下りる途中、彼女のいた場所を通ったけれど、既に帰ってしまったのか、誰もいなかった。と、これがその日の出来事だ。ここまでだけなら、ただの少し気味の悪いエピソードというだけで済んだのだけれど。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加